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国内2寺院に眠る三蔵法師の霊骨
『反日』飛び火 仏教界で騒動に
「西遊記」の三蔵法師として有名な玄奘法師の頭骨片が、日本の二つの寺院に存在する。戦時中、南京政府から「日中友好」で贈られたものだ。だが、中国の仏教界から「当時の南京政府は日本の影響下にあった傀儡(かいらい)政府。事実上、日本が強制的に持ち帰った」と、返還を求める声が出る。反日デモが続く中、インターネット上には「日本は泥棒」の記述も。霊骨をめぐる騒動の行方は−。 (藤原正樹)
「『玄奘法師の霊骨を返してほしい』という声が、中国の仏教界から噴出している。日本が戦利品として持ち帰ったもので、自主的に返還すべきだという主張だ。北京や洛陽などの寺院から『返還されればウチにほしい』という争奪戦も起きている」
玄奘法師の正式の墓がある中国の興教寺(西安市)と交流があり、同寺の名誉会員である受川宗央氏(70)は、霊骨をめぐる中国の現状を解説する。
玄奘法師の骨は、国内では慈恩寺(さいたま市)と薬師寺(奈良市)に奉安されている。骨が日本に渡った経緯は数奇だ。一九四二年、中国の南京を占領していた日本軍が工事中に石棺を掘り起こし、石棺に刻まれた記述から玄奘法師の骨と判明したという。
慈恩寺の大嶋見順住職(79)によると、日本軍は骨を南京政府に引き渡し、南京政府が一部を日本仏教連合会(現・全日本仏教会)に贈呈。四四年、日本に運ばれ、戦災を避けるために慈恩寺に預けられた。
「日中友好の趣旨で日本仏教界全体に贈られたもの。戦後、蒋介石の国民党政府から『日中文化交流の礎であり、返還には及ばない』と認められている」(大嶋住職)が、現在の中国政府の了解は得ていない。
慈恩寺の霊骨は水晶の小壺(つぼ)に納め、石塔の下に安置されている。五五年、台湾の仏教教会からの申し入れで台湾に分骨され、八一年には薬師寺に分骨された。受川氏は「対立している台湾に分骨された時には、中国仏教界から大反発が起きた」と振り返る。
反日感情が高まる中国内のネット上の書き込み内容も激しい。
「『日本は玄奘の霊骨を盗んでいった泥棒』という過激なものもある。玄奘がインドから持ち帰った教典翻訳の拠点とした(中国の)大慈恩寺のHPにも『傀儡政府との取り決めで持ち去った』と記されている」と話すのは、国内の主要な宗派が加盟する全日本仏教会の幹部だ。
■関連の映画公開 宣伝協力頼めず
霊骨にちなんだ映画「レジェンド 三蔵法師の秘宝」を公開する日活の担当者は「従来の中国映画では中国大使館に宣伝協力を頼んできたが、今回は霊骨をめぐる台湾との関係や対日感情の悪化など微妙な問題があり、要請できなかった」と話す。
中国内の反発の背景には、玄奘法師に対する尊敬の念もあるようだ。
駒沢大学の池田魯参教授(中国仏教)は「宗教が否定され、仏像などが破壊された文化大革命時にも、玄奘は宗教者としてではなく、中国歴史上の偉大な文化功労者として顕彰されてきた。中国のどこの博物館にもシルクロードを旅する玄奘の掛け軸が飾ってある」とその人気を指摘する。
■遺骨崇拝の念は「日本では強く」
一方で、東京大学の丘山新教授(中国仏教史)は「文化革命後、仏教を観光資源として利用するために、中国政府は寺院をきれいに整備する政策を進めた。利益を上げるために利用できる物は利用する考えだ」と解説する。
中国寺院からの返還要求は、玄奘の霊骨を観光の目玉にしたい意向も働いているという。
大嶋住職は「中国には仏教の思想を広める考えはない。利害だけが重要で、勝ち組になろうと躍起だ」と言い、池田氏は「最近になってボルネオ島などに遺骨拾いに行くほど、日本人の遺骨崇拝の念は強い。中国では強い崇拝はない」と民族性の違いを指摘する。
ネット上の記述に驚いた全日本仏教会の幹部は「騒動の出所を確認したい」と話しているが、中国内から自発的に起こったものではないようだ。
受川氏は「中国仏教会の副会長などに会い、返還を要求してはどうかと話した」と説明し「玄奘法師の霊骨は、戦後処理の象徴。返還されないと“戦後”は片づかない」と運動の趣旨を強調した。
名古屋市の平和公園にある千手観音像も霊骨とよく似た経過をたどっている。戦中、名古屋市から十一面観音像が贈られた返礼として、南京政府の意向で毘盧(びる)寺から贈られたものだ。
観音像の交換は「日華事変の犠牲者の冥福を祈る」名目で行われたが、「中国国民に親日感情を植え付けるための日本軍の宣撫(せんぶ)工作」と市民団体「二つの観音様を考える会」の長岡進氏は解説する。十一面観音像は文化大革命時に破壊され現存していない。
同会は千手観音像の“里帰り”を目指し、昨年十月に毘盧寺の伝義住職を名古屋市に招いている。観音像と対面した伝義住職は「早く帰ってきてほしい」と話した。同寺では、観音像が返還されてきた時のために、安置するお堂を建設済みだ。しかし「こちらから教えるまで、伝義住職は観音像が日本にあることを知らなかった」(長岡氏)。
同会は「中国側から正式に返還要求が出る局面をつくる」という“日本発信”の目標を掲げる。「日中の真の友好のために、観音様問題は無視できない。大局的にみれば、日本による略奪。返還を実現させたい」と長岡氏。戦後処理の完了を目指す受川氏と同じ考えのようだ。
こうした日本発信の運動について、大嶋住職は「日本人から情報を売り込んで、国際問題の火種をつくっている。自分の満足のためにやっている。中国側から正式な返還要請はない」と憤る。これに対し、長岡氏は「傀儡政権下といえども、贈ったものを返せとはいえない中国のプライドがある。日本から自発的に返すべきだ」と主張する。
大嶋住職は訴える。
「玄奘法師の霊骨は、蒋介石政府から『日中友好、文化交流の理念から返還に及ばない』と認められている。霊骨をめぐる騒動は法師に対して失礼だ。玄奘法師は仏教を通じた平和を希求していた人物。政治的な運動は、偉大な宗教家をおとしめ汚すことになる。日中友好回復のために、より一層、玄奘三蔵を顕彰していく未来志向が必要だ」
(メモ)玄奘法師
唐代の仏僧。1300年前、釈迦の教えを現地で学ぼうと国禁を犯して、インドに旅立った。17年の歳月をかけ、貴重な教典を中国に持ち帰り、唐の皇帝・太宗から「三蔵法師」とたたえられた。帰国後、長安(現・西安市)の大慈恩寺で20年間、教典を翻訳。約2万キロの旅路は「大唐西域記」に著され、「西遊記」のもとになった。日本で用いられている教典の4分の1は、玄奘法師の翻訳という。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050418/mng_____tokuho__000.shtml