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大日本帝国の世界史における貢献は善でもあり、悪でもあるという認識は必要ではないか。日本の躍進は明治期のベトナムの日本留学運動など、アジア人民を勇気付ける面もあったが、中韓は元々存在自体が反日なのではなく、江華島事件以後、反日にさせられたのだという認識が必要だろう。
日本の正の部分ばかり見れば、中韓が何故反日なのか説明がつかないだろう。日本人が中朝と同じことをされても、やはり相手が自己の行動を美化すれば同じような反応をするだろう。つくる会や自由主義史観の教科書の全てが間違いではないのだろうが、負の面も合わせて見ることで、大日本帝国の実態に迫ることができるのだろう。物事には正負二面性があり、正ばかりでも負ばかりでも実態には近づけないのではないか?
司馬遼太郎は、「栄光の明治、悲惨な昭和」「昭和は悪い時代、明治・大正までは良かった」ととらえているようだが、実際は明治維新を断行した薩摩藩は日本最初の植民地経営者であったこと、戊辰戦争にグラバーが関わっていたこと、そして幕府側死者の祀り方および東京招魂社の問題、廃仏毀釈運動、神社統合令などに、すでにアジアの救世主であると同時に当初からデーモニッシュな面を持っていたということだ。「中韓を除く」アジア諸国を勇気付けたというのは、日本の近代化はそういう限界のある革命だったのだ。