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靖国といえば、右派からはあまりにも中韓とのわだかまりばかりが強調されるが、あれはどちらというと本当は国内の側からのわだかまりの方が多くても不思議ではない施設だ。
薩長の奴等は敵味方供養をせず、彰義隊の遺体を野ざらしにしたそうだ。
参考資料↓
http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/travel/temple/archive/news/20050315org00m100042000c.html
中国・朝鮮の頑迷な保守派に比べれば、薩長の下級志士はまだ開明ではあったとはいえ、サムライはサムライであり、戊辰戦争ではその限界はあったと思う。更に戊辰戦争の後始末では、遺体放置という、これまでのサムライより一層タチの悪い面が見える。
ただ、一つ腑に落ちないのは、徳川家康ともあろう者が、何故島津に琉球貿易独占を許したのかである。島津は元々関が原の合戦でも西軍についており、外様中の外様である。琉球貿易に興味があるなら、幕府が薩摩に奉行を置き、薩摩を天領にして、直接行うべきだろう。何故、薩摩に琉球貿易独占を許したのか?謎は尽きない。徳川家康程の者ともなれば、外様である薩摩・長州が手を組み、幕府に歯向かう可能性は考えるだろう。にも関わらず、家光の代になっても、幕末に至るまで薩摩は琉球貿易独占の地位を確保し続けた。
薩摩を取り潰さなかったばかりに、最後まで幕府に忠義を尽くした者は靖国にも祀られなかったのだ。
中朝の頑迷保守派に比べれば、幕府も薩長も開明であるとはいえ、最後の最後まで結局どちらも官軍の錦の御旗にこだわるという限界があった。天皇急死後、新しい宮様を立てて官軍を名乗る薩長に対抗し、幕府側も別の宮様を立てて抵抗した。靖国・天皇の存在は、日本国民の近代的統一の象徴であると同時に、むしろ日本国民の近代的統一に足を引っ張り、国内を分断させるしこりを残す存在であるともいえるのだ。