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戦後、これだけの時間が経過しても、未だに日本の戦争責任を懸命に追及し続ける学者や団体、個人がいる。
彼らの大半が戦争を体験していない。
彼らは自国の罪を見つけ、暴露し、日本国民に反省させる事が大好きである。
今回のデモ等に便乗し、
「反省しろ」
「謝罪しろ」
「反省がないからこうなった」と、主張する。
彼らは日本国民に罪悪感を植え付けるために、根拠の軽薄な戦争犯罪とされるものを捏造、でっち上げる事だってする。
時には、半日ナショナリズムで国内をまとめる中国や朝鮮の代弁をする。
何に対して彼らは責め虐げるのか?
彼らは「自分」を決して責めていない。
彼らは「自国」を責め虐げている。
そして彼らは、責める事で自分達を「正義」と錯覚する。
彼らはそこに「やりがい」「いきがい」を感じ「陶酔」する。
自国を虐げ、先人達(まだ健在な方も多い)を完全な悪と認定し、自分を純粋化して行く。
一種の宗教と同じだ。
「戦争を憎むための主張だ」
「二度と戦争をしない国にするためだ」と彼らは言うはずだ。
「戦争を憎み、日本を戦争犯罪国家と認定し、永遠にその罪を追及し続けていけば戦争は防げる」と主張する。
もちろん、そんな事で戦争は防げるはずも無い。
韓国や中国が「反日」で元気が出るならその通りだが、子供達や先人達がそれと同調したアイデンティティーの犠牲になるのはいかがなものか。
そして、宗教化してしまったこの主張と同調できない感覚を彼らは嗤う。
彼らの主張では、方法論として、戦争を抑止できない。
そんな主張しか出来ない人には笑って、流すしかないだろう。
まだ、日本はまともだ。
90年代には、そんな主張に、無抵抗に流された時期もあったが、皆、なんとなくではあっても、正常な事に気づき始めたのかもしれない。
私の投稿を「扇動」と呼ぶ「徐往」「ワヤクチャ」「考察者K」のデモ関連の投稿を見直す事を薦める。
上に記した私の宗教定義に見事にはまっている。
※彼らの投稿を読みすぎてフックされませんようにお気をつけください。