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(回答先: Re: どのようなことばを取り戻すべきか? 投稿者 スパルタコスポノ 日時 2005 年 4 月 27 日 22:55:46)
スパルタコスポノさん、レスありがとうございます。
1人の人権もないがしろになれていないか?
この事を問題にすべきなのでしょうね。
小泉政権は「痛みを伴う改革」と言いました。
年間3万人の人が死んでもその後にいい社会が生まれるのだと。
私は逆だと思います。
年間3万人を殺すような弱肉強食の社会はさらに多くの人を殺す事を容認する社会になると思います。
つまり戦争も辞さない社会です。
小泉は戦争準備の為に国内の締め付けを行ったと思います。
>Re: どのようなことばを取り戻すべきか?
消えていった言葉は消える運命にあったのではないでしょうか?
我々はもっと分かり易い言葉で社会を表現すべきでしょう。
>http://www.asyura2.com/0502/war69/msg/724.html
>投稿者 日時 2005 年 4 月 27 日 22:55:46: VwFkRnCGdf9dw
>(回答先: どのようなことばを取り戻すべきか? 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 4 >月 26 日 21:30:30)
>国家ではなく、職場で働く労働者階級が中心の思想。国家が繁栄しても、過密労働で>ノイローゼで死にかかった人ばかりでは意味がない。
個人の為に国家は何をできるかですね。
ケネディの演説の逆です。
個人の為に何もできない国家であるならば税金を払う必要はありません。
私は税金は全部一旦市町村にだけ払うべきだと思います。
市町村は余剰金を都道府県に上げ、都道府県は余剰金を国家に上げればいいのです。
国家運営はその程度の最低限で行うべきです。
>話はそれますが、日本の伝統文化を守れという人が結構言葉遣いが荒くて、日本語を>汚くしているという現象を見たりします。「愛国心とは、口汚く中国人や朝鮮人を罵>って、日本語の細やかな敬語を大事にせず、乱暴で荒い言葉遣いをする事」という風>潮になってきているんじゃないかと愛国サイトの動向を見て思ったりします。
国を戦争の危機に陥れるのが愛国だとは何と薄っぺらい事でしょうか?
>50年代、60年代にあったことばが消されて、なかったことにされてはならない。
>どのような言葉があったのでしょう?
>反帝反スタ・全世界の労働者解放が前提の言葉から、国益至上の言葉へと議論の前提>がシフトしました。
反帝反スタですか?
左翼用語ですね。
その世界観はどれだけ現実に切り込んでいたのでしょうね?
一般に使われる事がなかったというのは何かピンとこない事があったでしょうね。
現在のアメリカにアメリカ帝国主義という言葉を使えばピッタリきますが。
労働者開放も何をどうするのかがはっきりしなかったですね。
革命が労働者を解放する?
党官僚の独裁で労働者は苦しめられるのでは?という感じしか持ちませんね。
国益至上となったのは「国益=国民一人一人の利益」という欺瞞に対する批判が有効に行われなかったからですね。
>トロツキーの評価は重要ですね。
>日本では暴力主義者の代名詞のように日共によって言われておりましたが、果たしてそうなの>か?
>トロツキズム=極左の規定は他の先進国ではありません。他の先進国ではトロツキス>トはゲリラやテロではなく、労働現場や議会で合法的に闘っています。
でしょうね。
日本で何故ここまでトロツキーを排除しようとしたのか考えなくてはなりませんね。
トロツキーの統一戦線論や「分派の容認」などが日共指導部にとっては都合が悪かったのではないかと思いますね。
社共共闘などという考えは日共には希薄ですね。
社民党(社会党)の方でもそうでしたが。
こういう事で日本革命は敗北したと私は思います。
>「日本国民は小泉政権と石原都政の下で、従順に働いた」と。我々は全て皆つくる会教>科書を支持していたことにされるかも知れない。戸塚ヨットスクールの暴力的しつけに>よる殺人を肯定する石原は高校時代、社会主義研究会にいた。
>そうですか?
>何を学んでいたのでしょうね。
>自分が対抗する思想を学んでいたのか?
>そうかも知れません。
>50年代、60年代にあった悪いものは反省してよいが、良いものは受け継がねばならな>い。
はい。
どんないいものがありましたか?
>というより、あの当時はラジカルな体制批判が当たり前の風潮があったと思う。今は>体制擁護が前提で、過去の日本を賛美するようになっている。
ラジカルだったのかも知れませんが、言葉として何が残ったを考えるとどうなのでしょう。
我々はまだこれから言葉を獲得していく時期にしか過ぎない気がします。
>一方、我々は新しい概念も生み出すべきでしょうね。
>「人間及び生物を幸福にするシステムとは何か?」
>というような問いによって我々はブレインストーミングをやっていくべきでしょう。
>結局、目指すのはマルクス主義というような一つの思想ではなく、それでしょうね。>また偉そうな事言ってしまった。いや、最後に究極に来るのは思想などなく、悟りな>のでしょう。思想を基盤にした論争とはそこへいたる過程。(ココ細かいつっこみな>しでお願いします 汗)
言葉によって表現されている範囲における思想はまだまだ弱々しい物であると感じます。
言葉を超えた情熱のようなものが必要だと思うのですね。
それをまた言葉を通じて表すしかないというのが苦しいところなのですが。
結局、人の生き様や美学というようなものに感動する事無く何かが進展する気がしませんね。
日頃はただの飲んだくれだった男がバリケードの上に立った時、彼は正真正銘の英雄であった。
という文章がベンヤミンの文章(「パサージュ論」だったかな?)の中にあったと記憶しておりますが、こういう感動の積み重ねなのですかね?革命とは。