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3月24日、中央アジアのキルギス共和国で政変が起こり、アカエフ大統領はロシアへ逃げた。
同大統領は、90年に初代大統領に就任。以来、西側諸国との交流を積極的に推進し、キルギスは「旧ソ連の中でも民主化の手本」「資本主義経済のモデル」などと評価された。
日本との関係も深く、キルギス政府は一昨年度までに円借款と無償資金協力を合わせて約346億円ものODAを受けていた。
だがアカエフ政権が倒れてみると、一気に長期独裁政権の膿が噴出したのだった。
「最大の腐敗は、アカエフ大統領の不正蓄財でした」と現地情報通はいう。
「現在、暫定政権のウセノフ副首相代行が命じて、アカエフ大統領と一族による不正蓄財の徹底調査を行っていますが、その額はキルギスの年間国家予算の3.7億ドル(約400億円)をはるかに上回るという。アカエフ大統領は、夫人や長男に主要な事業をやらせ。職権乱用等で不当な巨利を食らっていた疑いがもたれているのです」
問題はここからである。
ご記憶の方も多いだろう。平成11年8月、このキルギス共和国で日本人技師4名がイスラム武装勢力に拉致された。
交渉は難航したが、63日後に4名は無事開放された。
その際に当時、身代金が支払われたといわれたが外務省は公式に否定し、真相は藪の中だった。
だが事件から6年を経て、新たな事実が明るみに出た。先の事情通はいう。
「アカエフ大統領の不正蓄財を調査する過程で、暫定政権関係者の間から、アカエフ大統領とその周辺が身代金を着服していたという話が漏れ始めたのです」
後述するが、日本政府はゲリラに支払うために、300万ドル(約3億円)の身代金をキルギス政府に渡していた。ところが、この身代金はほとんどイスラム過激派に渡っていなかったのである。
さらに驚くべき事実がある。
当時の事情を知る外務省関係者は、今になってこう打ち明けるのだ。
「人質解放まで2ヶ月を要しましたが、実は事件発生から10日目までには、身代金の支払いがなくとも解放される目処が立っていた。ところが、外務省の不手際でゲリラ側との交渉がこじれてしまい、みすみす300万ドルを支払わざるをえなくなったのです。」
身代金の支払いを認めれば、類似の日本人拉致事件を誘発することになり、その点で当時の政府が否定したことは理解できる。
しかし、支払わなくても解放できたとなると話は別で、外務省の大失態である。
おまけにその身代金の行方は不明朗なものだった。外務省は、そうした事実をこれまで隠蔽してきたのだ。
ならば、人質解放交渉の舞台裏はどうだったのだろうか?関係者の証言を基に当時を振り返って見る。
平成11年8月23日、キルギス南西部オシ州バトケン地区に、隣国のタジキスタンからイスラム武装勢力が侵入。
当時、同地区で地質調査を行っていた国際協力事業団(JICA)派遣の日本人技師4人が拉致された。
事件直後、日本政府は外務省地下1階にあるオペレーションルームに領事移住部を中心にした緊急対策室を設置。同日、三橋秀方カザフスタン大使がキルギスの首都ビシュケクに入り現地対策本部を設置した。
現地で実務を担当していたのが当時、駐ロシア大使館勤務の松田邦紀・現地対策本部事務局長(現・ロシア課長)と本省の審議官の原田親仁氏(現・中国大使館公使)である。
外務省関係者は続ける。
「松田、原田ともキャリア外交官ですが、ゲリラと直接交渉できるパイプがあるわけではなく、もっぱらキルギス政府を通じて情報を収集していた。現地対策本部で収集した情報はモスクワにある日本大使館を経由して、本省の緊急対策室に上げられたわけですが、ゲリラに繋がる有力な情報はなかなか得られなかったのです」
本省で情報を共有していたのは、川島裕事務次官(現・宮内庁式部官長)、竹内行夫総合外交政策局長(現・日本経団連特別顧問)、河相周夫総合外交政策局総務課長(現・北米局長)、今井正領事移住部長(現・マレーシア大使)ら。
「ゲリラとの交渉に当たって、現地対策本部に指示された政府の基本方針は、第一に人質の無条件解放。それが駄目ならば、第二にODAなどの経済援助と引き換えに解放してもらう。そして最後の選択枠が身代金による解決方法だった」と先の関係者は言う。
むろん現地からの情報は小渕首相をはじめ、首相官邸を預かる当時の野中広務官房長官、鈴木宗男官房副長官らにも逐一もたらされた。もっとも、現地対策本部では、イスラム武装勢力との交渉はキルギス政府に頼るしかないのが実情でした。
だが、現地が情報収集に苦慮していた一方で、別ルートから外務省は直接ゲリラとの接触に成功していた。
当時の事情をよく知る関係者は「高橋ルート」と呼んでいたが、隣国ウズベキスタンの日本大使館参事官だった高橋博史氏(現・ウズベキスタン大使館公使)がタジキスタンに入り、日本人を拉致したイスラム武装勢力のナマンガニ司令官につながるルートで人質解放に着手していた。
「最初から高橋さんは”人質解放はお金で解決できる問題ではない”と力説していました」と、在中央アジアの日本大使館の関係者は証言する。
「というのも、ゲリラのグループはいくつもある。彼らは理念に基づいて行動しており、1つのグループに身代金を支払ったら収拾がつかなくなることを高橋さんは熟知していたのです。彼は通訳役なしで現地の人間と話ができる。ナマンガニのグループは、同じ時期にアカエフ政権を揺さぶるために、キルギスの兵士や警官を何人も拉致していた。その作戦中に、たまたま捕らえてみたら日本人だったということです。はじめから身代金目的の拉致ではなかった。高橋さんは、長年にわたってイスラム武装勢力との人脈を築いてきましたが、交渉はお互いの信頼関係に基づいて行われた。その時点では、犯行グループからは、身代金の要求はなかったのです。」
高橋氏は、昭和24年生まれ。拓殖大学卒業後、パキスタンの日本大使館の専門調査官として外務省に中途採用された異色の外交官である。
平成8年から約2年間、内戦中のアフガニスタンに国連特別ミッションの政務官として常駐した経歴もありイスラム勢力の情報収集や分析にかけては世界的にも評価が高い。
当時のウズベキスタン大使は中山恭子前内閣官房参与だったが、中山大使は本省に高橋氏の交渉経過を報告していた。
事件発生から1週間後には、高橋ルートによって、人質となった日本人の生存も確認され、ゲリラは身代金を要求することもなく人質を解放する方向へ傾いていた。
ところが、ここから人質解放は難航する。
現地対策本部はキルギス政府に身代金を支払う用意があることを伝えていた。それがゲリラ側には筒抜けの状態だったのである。
政府関係者は言う。
「高橋氏は、ゲリラに身代金を支払わないことを前提に交渉を続けていた。その方向で話がまとまりかけた頃、他方で金を支払う用意があるという情報をゲリラ側が入手した。それがゲリラ側の不信感を招くことにより、交渉は頓挫してしまったのです
事件発生から10日後のことである。
ある政府高官のもとを今井領事移住部長が慌しく訪れた。そこでのやり取りは以下の通りである。
今井氏「ゲリラから300万ドルの要求があります。出していいでしょうか?」
政府高官「そんなに必要なのか?」
今井氏「キルギス政府から言ってきています。我がモスクワ大使館を通じての連絡です。」
300万ドルの身代金は、とりあえず外務省の機密費(報償費)から捻出することにした。川島事務次官は了承し、小渕首相や野中官房長官、鈴木官房副長官らに根回しを行ったのだった。
身代金は、松田現地対策本部事務局長が「アメリカドルを外交袋のズタ袋2つに詰め込んで」、モスクワから現地まで運んだという。
それにしても、小渕首相や外務省幹部はどうして高橋ルートを信用せずに、身代金を支払うことにしたのだろうか?
先の政府関係者は言う。
「高橋ルートを通じて直接ゲリラと交渉し、万が一、失敗して犠牲者が出たら政権へのダメージは計り知れない。その点、キルギス政府を介していれば、ある程度、リスクが分散できると判断したのです。」
別の外務省関係者は、外務省のキャリアとノンキャリアの確執が背景にあったという。
「現地対策本部のキャリア組にとっては、ノンキャリが手柄を立てることに忸怩たる思いがある。高橋ルートを妨害することまではしないが、最後まで非協力的な態度を貫いていた。」
国益そっちのけで主導権争いが行われていたのである。それを裏付ける証言もある。
「ウズベキスタンの大使館は蚊帳の外に置かれ、現地対策本部からは全く情報が入ってこなかった。中山大使は高橋さんが孤軍奮闘している様子を見て、ロシア大使館や本省に情報を流してくれるように何度も掛け合ったのですが、最後まで改善されなかった。」(先の在中央アジア日本大使館関係者)
先にも述べたが、ゲリラ側は日本の交渉態度に不信感を持っており、交渉は暗礁に乗り上げた。9月から10月にかけて、見せしめのために人質の一人を殺害するという情報も流れたが、現地対策本部に確認する術はまったくなかった。
「しかし、高橋さんが人質が映ったビデオと写真、手紙を入手して生存を確認した。現地対策本部は、それを本部に送るよう要求した上で、キルギス政府に入手ルートを説明するように求めた。高橋さんはそれを拒否し、10月11日に直接、本省に送った。現地対策本部とは決定的に対立する事態に陥ったのです」(別の外務省関係者)
10月16日、本省からの報告で高橋ルートは閉鎖され、交渉は現地対策本部に一本化されることになった。そこには、あまりにもお粗末な顛末が隠されているのである。
10月25日、ようやく人質は解放された。
しかし、冒頭にも述べたが犯人グループに身代金はほとんど渡っていない。
先の政府関係者は言う。
「事件解決から年が明けて、タジキスタンのミルゾ非常事態相が来日し、政府高官と会食した。その席で、ミルゾ氏は”ゲリラには身代金が渡っていない”と明確に発言してのです。」
そもそもがキルギス政府から提示された300万ドルという金額の根拠自体がはっきりしていない。そう外務省幹部が断言する。
「省内でも根拠を明確に説明できる人はいないでしょう。言われるままにだしてしまったというのが実態です。当時、9月20日付のモスクワ放送がナマンガニ司令官は150万ドルを要求しているというニュースを流した。幾らかの金がゲリラへ渡ったとしてもほとんどはアカエフ大統領やその周辺が着服したのでしょう」
さらにもう一つ、看過することができない重大な疑惑がある。別の外務省関係者はこう証言する。
「キルギスの現地対策本部には事件直後に約30人の要員が東京などから送り込まれた。彼らには一日あたり主張費として3万円から4万円が支給されている。現地での宿泊費や食費その他の経費は、そこから出すことになっている。ところが、帰国後に彼らはお金が貯まったといって喜んでいる。現地での経費はすべて対策本部が賄い、各人には出張経費がほとんど手元に残ったというわけです。対策本部はどこから資金を調達したのか?実は300万ドルの中から捻出していたといわれているのです」
よってたかって身代金を食いものにしたということなのか。外務省はこの期に及んでも「身代金を支払った事実はありません」(報道課)を繰り返す。
しかし、そもそも身代金の300万ドルは、我々、国民の税金から支出されたものなのである。その使途が疑惑に満ちたものであるだけに、外務省には説明責任がある。
アカエフ大統領の失脚がなければ、関係者は永久に口をつぐんだまま真相は永遠に闇に葬り去れたに違いない。
以上週刊新潮から抜粋。
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