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http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Japanmilitarism/one_year_of_jdf_sending.htm
NHKスペシャル「陸上自衛隊 イラク派遣の一年」から透けて見えるもの
イラク派兵を利用し市街戦訓練。自衛隊の侵略軍化を図る
◎殺戮のための銃改造と銃撃訓練、プロパガンダとメディア統制・情報操作など侵略戦争に耐えうる軍隊造り
◎何と、自衛隊サマワ統治の手本は旧日本軍の“戦史”と“三光作戦”
はじめに−−なぜメディアはこの危険な真実を隠すのか。陸上自衛隊はイラク派兵を通じて、市街戦向けの軍隊に変貌しようとしている。
(1) このレポートは、今年1月29日に放送されたNHKスペシャル「陸上自衛隊 イラク派遣の一年」を紹介するものである。もちろんこの番組は、従来のNHKや大手企業メディアと同様、「人道復興支援」を美化する側面を持っている。しかし同時に、自衛隊派兵の“もう一つの姿”を暴いている。自衛隊が「復興支援」を口実にいったい何をしているのか、ひげの佐藤元隊長は、あの笑顔の裏で何をやってきたのか。−−従来この種のイラク報道番組が描いてこなかった側面を取り上げているのである。
※「陸上自衛隊 イラク派遣の一年」 http://www.nhk.or.jp/special/libraly/05/l0001/l0129.html
私たちはちょうど1年前、「シリーズ:自衛隊派兵のウソと危険」において、「人道復興支援」は隠れ蓑であり、派兵の本質は、自衛隊の侵略軍化である、と6回シリーズを組んで明らかにした。今回この番組を見て私たちは改めて衝撃を受けた。自衛隊の市街戦準備、都市戦闘訓練が予想以上に進んでいたのである。新聞やTVを含むメディアは、この事実を全く無視している。国民の目の届かないところ、メディアが隠蔽するところで自衛隊は着実に危険なものに変貌しつつある。
※「イラク派兵を機に帝国主義軍隊へ脱皮を図る自衛隊 「人道復興」などそっちのけ。“至近距離の敵に対処する新たな訓練”に終始する陸上自衛隊−−NHKスペシャル『陸上自衛隊 イラク派遣〜ある部隊の4か月〜』から見えるもの−−」
この5月、中部方面隊からの自衛隊第6次イラク派遣として、伊丹(千僧)基地第三師団が派遣されようとしている。北海道の旭川、札幌、千歳、東北の青森、山形、名古屋、広島等々と全国の陸上自衛隊員を戦場イラクに送り込み、隊員たちを実戦訓練させるためのローテーションである。これまで3000名近い自衛隊員が戦場に足を踏み入れた。私たちは、来月の第6次派遣団の出発を前に、イラク派兵の真実、「戦う軍隊」へ変貌しようとしている自衛隊の危険な姿を明らかにしておきたい。
(2) 「陸上自衛隊 イラク派遣の一年」と題したこの特集は、いかに「復興支援」で自衛隊が苦労し奮闘しているかという観点から見ることが出来る。イラク派兵は表向きは「イラク復興支援」のために行われていることになっているからである。しかしそうではなかった。いや、正確には、自衛隊は日本で宣伝されているような「復興支援」はやっていなかったのである。やっていたとしてもそれはパフォーマンスであり、隠れ蓑に過ぎなかった。本当の目的は全く別のところにあったのである。番組はそのこと、つまり派兵の本質を明らかにする。「大量破壊兵器」をでっち上げなければ、アメリカがイラク戦争を開始することができなかったように、給水と復興支援をでっち上げなければ、自衛隊を派兵することができなかったのだ。
「陸上自衛隊はイラク・サマワで3つの復興支援活動を行っています。サマワに入って1年、給水支援では5万トンを越えるを水を浄化し供給ています。医療支援では、地元の病院に対してに89回医療指導を行っています。公共施設の補修、学校や運動場、道路など52カ所の修復工事を進めてきました。」−−番組の復興支援の説明は活字にしてわずか3〜4行の説明で終わる。実に正直である。だが、NHKを含むマスコミが一年間垂れ流してきた情報は、このような派兵美化、自衛隊の美談ばかりだった。「ひげの佐藤」「イラク人との交流」「子ども達と楽器演奏」「バッジ配り」「ねぶた祭り」等々。
しかし同時に番組は“もう一つの姿”をドキュメントする。イラク市民から罵声を浴びる自衛隊員、殺りく精度をあげるための銃改造と銃撃演習、プロパガンダと情報操作等々。−−NHKはこのような映像を入手しながら、なぜ派兵一年後のわずか1時間のスペシャル番組でしか報道しないのか。このような疑問が湧いてくる。サマワへのロケット弾攻撃に関しても、現地住民たちはこれが外部の武装勢力ではなく自衛隊の活動に不満をもった地域住民による攻撃であることを口々に断言している。この映像をみるだけで、自衛隊派遣はサマワ住民の要望であるという小泉首相の発言が真っ赤なウソであることが明らかになる。
(3) イラク派兵の本当の目的、それはアメリカの戦争に付き従い世界の紛争地・戦場へ自衛隊を出兵するために戦闘訓練を積むこと、実戦に必要な教訓を収集し蓄積すること、この一語に尽きる。宿営の仕方、道路の歩き方、住民に対する対応、メディアの扱い方等々、全ては海外の紛争地域での軍事行動の一環なのである。
その中でも重要なことは、まず第一に、直接的武力行使のための条件整備である。直接的武力行使に踏み切るためには、「武器使用基準」を作成し隊員が引き金を引いて敵を殺して終わりと言うのではない。直接武力行使を想定した訓練と実戦配置、「手を振りながら、銃から指を離さない」という隊員の日常的な体勢、射撃精度を高めるための銃へのスコープの装備、いつ敵に襲われるか分からないという緊張の持続、武装グループからの襲撃などを想定した、武器よる反撃の訓練、反撃体勢の構築、指揮官のとるべき行動、そしてPTSD対策など精神ケアシステム全体が必要である。これらの構築がイラク派兵を機に一気に動き出した。直接的武力行使=武器使用という憲法9条のなし崩しの蹂躙に対する最後の砦に、憲法改悪という法整備の面からではなく、実態面から接近し突破しようという試みが平然と行われているのである。
第二に、自衛隊がサマワに駐留しながら、米と一体となった占領軍であるという本質を隠蔽し、いかに地域住民に受け入れられるか、いかに反発を買うことなく居座り続けるか。これはまさに敵地での占領支配のためのノウハウであり経験の蓄積である。自衛隊がいかにサマワ住民に熱烈に歓迎されたとしても、自衛隊が日本の軍隊であり、占領軍、侵略軍であるという性格を変えるものではない。番組で紹介される「イラク復興支援の教訓」は「インフォメーション・オペレーション」(情報戦)と副題が付いている。「イラク復興支援の教訓」といえば聞こえがよく、あたかも復興支援の水の供給や建設資材の調達を問題にしているのかと思いきや、実は“プロパガンダ戦略”である。カネをいかに効果的にばらまくか、地元メディアを有効に利用するか、人心をいかに巧みに掌握するか等々、情報戦が展開されているのである。それは今後の恒常的な海外派兵=占領軍としての敵地への駐留と住民統治を成功裏に納めるためのノウハウを蓄積するモデルケースとして行なわれていることを示している。
(4) 新「防衛大綱」には、海外派兵を本来任務とする内容が加えられ、自衛隊法の改悪も目論まれている。ところが実際には、イラク特措法による特別措置であるはずのイラク派兵によって、すでに海外派兵恒常化のための準備が着々と進められているのである。
イラク派兵第一陣出発から1年と数ヶ月−−自衛隊の60年の歴史からすれば決して長くはない期間である。この番組は、「国際貢献」と「復興支援」を口実に戦場への海外派兵を成し遂げた自衛隊が、イラク派兵によっての巨大な変貌をとげていく姿をとらえている。どこかで歯止めをかけなければ取り返しのつかないことになる。
※米の戦争への加担、海外派兵を本来任務とする新「防衛大綱」の批判は「新「防衛大綱」「中期防」閣議決定批判:シリーズその1 血まみれのブッシュの侵略戦争と軍事覇権に全面奉仕する愚挙」(署名事務局)
以下、番組を紹介する。項目立てなどは署名事務局の責任による。必ずしも番組の構成とは一致していない。
2005年4月20日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局
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【番組紹介】======================
NHKスペシャル「陸上自衛隊 イラク派遣の一年」から
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第1部 市街戦、都市戦闘を前提にした訓練・装備
(1)市街戦も辞さず−−憲法9条の破棄をも辞さない冒険主義的な目論見でイラク現地に入る。
番組は、陸上自衛隊イラク派遣4次隊の福田築部隊長が去年11月クウェートの空港に降り立つところから始まる。4次隊はここで最後の訓練をした後、国境を越えイラクのサマーワに入る。
ナレーションは語る「向かうのは今も戦闘が続いている国です。自衛隊はこれまで人に向けて直接射撃するような事態に直面したことがありません。隊員は危機が迫った場合迷わず射撃できるよう徹底して訓練を続けていました。福田部隊長は自衛隊の歴史を変えかねない状況を強く意識していました。ロケット弾は自衛隊の宿営地の中まで打ち込まれています。イラク・サマーワ、隊員は実弾を込めた銃を持ち緊張の中、活動を続けています。イラクでの任務が自衛隊を大きく変えました。自衛隊は発足して半世紀国土の防衛を任務としてきました。イラク派遣から1年、自衛隊は海外派遣を前提とした実力部隊に変貌しようとしていました。」
福田隊長は語る。「我々はみんな知っていますよ。サマーワで引く引き金1発の銃弾の重みをね。十二分にわかってますよ。それだから難しいことを。」
この言葉は憲法を蹂躙してイラクに派兵された自衛隊が直面する事態を見事に言い当てている。住民への武器使用=直接的武力行使は、これまで解釈改憲によっても超えることのできなかった最後の一線である。そしてこれを突破し米英並に海外での戦闘に参加することが改憲の最大の衝動力の一つなのである。日本と自衛隊はイラク派兵のわずか一年数ヶ月で「憲法解釈」や論理の問題ではなく、現実と実態面において憲法9条蹂躙をなし崩しで進めているのである。ただ、これまでのところ、幸運にも銃撃戦がなかっただけのことである。
(2)米軍にならった「精神ケアシステム」−−これも市街戦訓練の一部。
イラクでの任務を終えた部隊がクエートの米空軍基地に戻ってきた。隊員が最初に行ったのは武器と弾薬の返納である。1発も撃つことなく済んだ銃弾だ。使わなかった銃弾は全て正確に数えられ、厳重に管理される。ここで自衛隊員は、「武器も弾薬も返納しますので、解放されるのかなという感じ」などという感想をもらす。殺戮のための銃と弾薬を返納し、戦闘態勢から解かれるのだ。ここから、兵士を戦地での緊張状態から解放するために行っている精神療法が施される。アメリカなどで行っているシステムに倣ったものだ。悩みなどを会話の中で吐き出させ、帰国後の生活に早く戻れるようにするのが狙いだという。隊員たちはイラクでの体験を口々に話す。「印象に残ったのは11月の2発目、コンテナに貫通した、忘れられない・・・飛んでる弾の下にいるのはすごい気持ち悪いというか怖いというのか」「近くでセレブレション・ファイアーがあがったとき、すごい緊張があったな」「サマワに入ったとき、イラク人みんな敵に見えるもん、そういう先入観でいってるから」
無実の住民を殺害した良心の呵責、いつ敵におそわれるかもしれないと言う恐怖−−米兵たちが直面するPTSDからはほど遠い。しかし、隊員の口からは、サマワに入ってイラク人をすべて敵として対応したこと、迫撃砲弾によって死の恐怖に直面したこと等々が語られる。武力行使と戦闘を前提にした兵士たちの精神ケアシステムが、日本の自衛隊にも生まれたのである。しかし実際に銃撃戦に遭遇すれば、まさに米兵の置かれた状況に投げ込まれる。米兵と自衛隊員は紙一重なのだ。
※米軍のPTSD対策などについては以下を参照 [シリーズ米軍の危機:その2 イラク帰還兵を襲うPTSD]イラク帰還兵で急増するPTSDと戦線離脱。必死に抑え込もうとする米軍の非人間的な“殺人洗脳ケア・システム”(署名事務局)
(3)「ミニサマワ」−−イラクからの情報によって日々変化する実戦戦闘訓練、市街戦訓練
番組は次に、山梨県の陸上自衛隊北富士演習場・梨ケ原廠舎(しょうしゃ)内に造られた模擬宿営地=ミニサマワを取材する。山形の部隊の一年間の変化を捉える。国民の目に触れる自衛隊の活動の多くは災害派遣である。それが2004年7月、戦地にむけた新たな訓練の一部の取材が行われたのだ。そこには600人を収容するテント、100台を越える車両、演習場に模擬宿営地が作られていた。
※ミニサマワについては以下を参照 「陸自北富士演習場に“ミニサマワ宿営地”を造営==イラクで武力行使をする軍事演習を開始」(署名事務局)
福田部隊長はサマワと同じような環境で訓練を進めるように命じられていた。隊員は移動の際も銃を手放さないようにしていた。イラクからの最新情報が次々とマニュアルとなって福田部隊長の元に寄せられ、それに基づいて訓練の指揮をとっているのである。福田部隊長は「教訓は山ほど来ています。」と語り、イラク現地での試行錯誤が教訓となり、訓練の中身やマニュアルに反映されていくことを明かしている。これこそがイラク派兵の最大の目的の一つである。イラクからの情報を「一つのマニュアルとして持ち、そのマニュアルに基づいて今訓練をしている」と明かしている。
場面は、車両で移動中の警備訓練に移る。ナレーション「この訓練もイラクからの情報を参考に計画が作られていました。住民がいる中で武装グループから襲撃を受けたと想定していました。武器を使って反撃するのかしないのか、その判断が最大のポイントでした。」
福田部隊長には実際イラクで起きた緊急事態についての情報も寄せられていた。4月にサマワの宿営地に向けて砲弾が打ち込まれた事件、そのとき派遣部隊がどう対処したのかという情報だ。福田部隊長は言う、「実際のオペレーションの中で、我々に非常にインパクトが大きかったのは迫撃砲で、実際にやられているということで、事細かにいろいろ得ています。そういうことを具体的に日々の訓練に反映させています。まだたくさんありますよ。」
※イラクを模倣した訓練は、日米合同軍事演習としてもおこなわれている。イラク派兵を予定されている陸上自衛隊中部方面第三師団37連隊(大阪府和泉市信太山)は、2004年10月、2週間かけて米海兵隊とグアムの都市型ゲリラ戦演習場で、合同演習を行った。陸自隊員と海兵隊員が銃を構えて家宅捜索の演習をし、イラク各地の道路にある検問所に類似した設備も使用された。海兵隊の広報担当官は、検問所の仕様は設置する地域によって異なるが演習で使われた設備はイラクの地形や治安状況にあわせたものだったはずだと説明した。在日米海兵隊ホームページ http://www.kanji.okinawa.usmc.mil/News/041101-guam.html
(4)イラク現地にいる自衛隊はもはや復興支援部隊ではない。治安・警備部隊、つまり名実共に占領軍部隊である
サマワの自衛隊への砲弾による攻撃−−2004年4月、その後8月に8発、10月には2発が初めて宿営地の中に着弾、2005年1月宿営地の中にロケット弾が撃ち込まれている。この宿営地への攻撃を反映し、およそ600人の隊員で構成されるイラク復興支援部隊の内、安全確保のため警備部隊に130人の隊員を割いている。過去のPK0(国連平和維持活動)の警備要員は同じ規模の部隊で10人前後である。部隊編制から言っても、イラクの自衛隊はもはや復興支援部隊ではなく、治安部隊と言っても過言ではない。それだけではない、イラク派兵によって全国の陸上自衛隊の部隊は大きく変わることを求められてきたという。
昨年10月には、自衛隊が補修に当たった幹線道路沿いに建てられていたサマワにある日本・イラク友好記念碑が何者かによって爆発物が仕掛けられ破壊された。さらに砲弾の発射事件が相次ぎ、初めて自衛隊の宿営地の中に着弾、1発は荷物保管用のコンテナを貫通した。事件直後、日本の復興支援に不満を持つ地元部族の犯行かという見方が出ていた。自衛隊はこの事件を口実に、地域対策にあたる要員をさらに増やした。@情報収集部隊、A治安部隊、B復興支援部隊−−この事件以後、実際には@とAが大多数を占めることになった。
(5)装備も市街戦向けに変更。殺戮の命中精度を上げ、戦意を高揚させる狙撃兵用の最新スコープを装備
福田部隊長率いるイラク派遣4次隊、隊員たちはイラクへの出国を3週間後に控えていた。この日、陸上自衛隊16万人のトップ、陸上幕僚長の視察が行われた。ナレーションは語る「国内での最後の訓練は、敵と接近した状況での射撃でした。イラクの教訓によって隊員たちの装備は強化されていました。小銃に取り付けられている最新スコープ、命中精度を飛躍的に高めるとして装備されました。」福田部隊長は、陸幕長にスコープをのぞかせ「真ん中に来れば命中します」と説明する。狙撃兵が使用するゲリラ必殺用の装備である。陸幕長は満足げに答える、「これがあるのとないのでは全く違うよな。近くで射撃すると練度があがるとともに、戦闘員としての本能がよみがえってくるよな。」スコープは、そのものの命中精度以上に、戦意高揚の意味があるのだ。
イラクでの教訓は出国の直前まで福田部隊長のもとに伝えられていたという。できる限り、イラクで起こった事態をつぶさに反映した訓練を隊員に施しイラクに派兵するのである。陸幕長に、福田本部長が「サマワの1発はどれほど影響のあるものか隊員たちは十二分にわかってますので」と説明する。
※「ニューズウイーク」2004年12月8日号では、銃改造に関する別の事例が紹介されている。イラク派兵の自衛隊に、戦闘への「密令」が下されていたという暴露である。それは、サマワでの市街戦を可能にする武器改造を指示する陸上自衛隊の「内部文書」がオランダ軍撤退直後に発令されていたと言うものだ。この「内部文書」は「89式5.56ミリ小銃の改造について」と題され、陸上幕僚長が各方面総監、補給統制本部長、イラク復興支援群長宛に出したものだ。「改造指令書」という添付文書で「イラク復興支援で使用する89式5.56ミリ小銃の切り替えレバーを改造し、左右の居銃姿勢においても迅速に射撃が実施できるようにして、隊員の安全性の向上を図る」、「本改造は任務終了後、改造前の現状に復帰する」と記している。89式小銃は、安全装置のかかった状態、単発、連射、3連射の4段階に切り替えるレバーがついている。陸上自衛隊が使っているこの銃はレバーが右側しかついておらず、右構えでなければ撃ちにくい。今回の改造によって切り替えレバーを左側にも追加し、左構えでも素早く射撃できるようにした。自衛隊関係者は言う。「市街地のような狭い場所だと、道路の角(壁づたいに)曲がるときなどに、右利きの人でも左構えで銃を使うことがある。市街戦でより効率的に活動するための改造だろう」。
第2部 自衛隊のイラク駐留・占領支配にとって決定的に重要な情報戦
(1)イラク派兵の教訓をマニュアル化する陸上自衛隊研究本部(埼玉県朝霞駐屯地)
各地での部隊に伝えられる行動マニュアルは海外戦略を作る機関=「陸上自衛隊研究本部」で作られていた。この組織はイラク派兵に伴って新たな活動に乗り出した。8月には、研究本部から特命を帯びた隊員がイラクに送り出された。この隊員は復興には直接関わらない。隊員の任務は派兵部隊の行動をつぶさに観察して、すみやかに陸上自衛隊研究本部に報告することである。送り出された研究本部の隊員がイラクで聞き取り調査を行う。調査の対象は迫撃砲攻撃への対処から、指揮官の行動に至るまで、あらゆる分野に及ぶ。集められた情報はイラクから日本に報告され、研究本部から全国の部隊にリポートやマニュアルという形で速やかに発信されてゆく。
このシステムもアメリカ軍などにならって導入された。発信される情報を陸上自衛隊では「教訓」とよぶ。
ナレーションは語る。「陸上自衛隊はイラクで、これまでの海外派遣とは異質の活動を進めています。そこから得られる教訓を今後の活動の柱の1つにしていこうとしています。」
(2)「イラク・プロジェクト」−−全てはイラク派兵を中心に回り始めた。
陸上自衛隊にとってイラク派兵は全てに優先する課題となっているという。昨年9月、出入りが厳重に管理された部室で会議が開かれた。派遣部隊を指導する「イラク・プロジェクト」である。議論の中心は部隊の安全を確保するために、いかに派遣地域を安定させるかである。「派遣地域を最も知り尽くした幹部先遣隊」として最初にイラクに乗り込んだ元佐藤正久隊長が現地で行った活動を陸上自衛隊では大事な教訓として位置づけていた。
a)イラク住民から突きつけられる要求。どうやってごまかすか。
九州と同じ大きさのムサンナ県、人口50万人の州で、自衛隊は海外派遣では初めて地域住民への対策を行ってきたという。陸上自衛隊が教訓とする佐藤元隊長の活動とはどのようなものだったのか。
2004年1月に現地入りした佐藤元隊長は、給水、医療、施設補修の3つの分野をどこから行うのか調べ始め、地元の有力者と会って、要望を聞いた。そこで突きつけられたのは3つの分野をはるかに越える要望の数々であった。自衛隊を支持すると言って宿営地に集まってくる人々は、「雇ってほしい」、「ハイテク機器を導入してほしい」、「遊園地を作ってほしい」等々の要望。佐藤元隊長は語る「現地の要望というのは幅がどうしても広いんです。尚かつレベルも高いです。我々は3分野(給水、医療、施設補修)をやるということできましたけど、向こうのニーズは復興ですから、3分野にとらわれず、電力、下水、米、農業とか幅広いわけです。我々に期待しますので。」
「イラクの人々の望む復興支援」を掲げて小泉首相は自衛隊を派兵したはずなのに、佐藤元隊長は「向こうのニーズは復興だから幅が広くレベルが高い」といかにも間抜けなことを言っている。給水と補修でお茶を濁そうとしたが、現地の要望はそんなものではなかったのだ。
b)土建業者の胴元になり直接地域住民への対策に乗り出す自衛隊。不満をもつ住民にカネをバラ撒き歓心を買う。
佐藤元隊長はいったん帰国し、政府の関係機関に実情を伝え、地域住民を雇用する資金が捻出された。0DA(政府開発援助)の資金も投入されるようになる。ナレーションは語る「これまでのPK0では自衛隊は国連の枠組みの中にあり、直接地域住民への対策に乗り出すことはありませんでした。各自治体からの要望は陳情合戦の様相を見せるようになっていきました。」 ムサンナ県にはサマワなど併せて11の自治体があり、資金を動かす裁量を与えられた佐藤元隊長は積極的に行政機関に入っていく。佐藤元隊長は過大な要求と現実的な要望に振り分け、優先順位を付けていくうちに、行政機関の顔役のような存在になっていく。新しい支援事業が行われるたびに、佐藤元隊長の影響力が増していく。佐藤ブリッジと名前が付けられた橋。佐藤元隊長は行政にとって極めて重要な位置を占めるようになった。土建業者と利権のドンとなった佐藤元隊長は言う、「みんな俺が俺がと言う人ですから、彼らのニーズをまとめるのが難しく、その時には最終的には佐藤が言うからしょうがないなと、日本の行政といっしょで、そこは不公平感がないようにバランスとスピードを考えながらプロジェクトをこう作っていく、まさに公共事業を日本の都道府県で行うのと同じような感じかもしれません。」
c)メディア戦略−−地元テレビ局を買収しテレビ出演、アラビア語新聞の発行
佐藤元隊長は地元のメディア対策にも手を広げた。地元のテレビ局に対してODAによる支援が行われるよう橋渡しもした。自衛隊の活動を紹介するニュースが多くなった。まさにメディアの買収である。佐藤元隊長自らアラブ名を「サミール」と名乗り、積極的にテレビ出演した。地元の人たちに親しまれるように振る舞い、部隊の安全を確保しようという狙いである。
自衛隊はアラビア語の新聞を作り、担当地域のムサンナ県を越えてイラク全土に発信する戦略をとることになった。実に地元紙を越える5000部を発行し有力者に配っていった。佐藤元隊長は、バグダッドとつながる政党指導者とシーア派聖地ナジャフとつながる宗教家を「特に大事にし」、外務省や自衛隊の活動をPRするよう促したと臆面もなく語っている。
ナレーションは語る「外国の地域行政やメディア対策に深く関わり始めた自衛隊。地域住民を自衛隊の側に引きつける戦略は重要な「教訓」として今も派遣部隊に引き継がれています。」
d)過去の海外活動とは発想を根本的に変えよ「手を振りながら銃から手を離すな」
9月、イラク派遣4次隊の隊員たちは新たな教訓を聞くため講堂に集められた。やってきたのは佐藤元隊長である。佐藤元隊長はイラクでの住民対策を語った。佐藤元隊長は隊員たちに過去の海外活動とは発想を根本的に変えるべきだと指導した。佐藤元隊長「自衛隊が日本の顔です。一緒に外務省の方も5名行っております。どうしても人数的な関係、行動地域などでどうしても日本の部隊が顔になります。群長が顔であり、各部隊長が顔で、各部隊員の行動が顔になります。」講演の後、佐藤元隊長は福田部隊長と2人だけで会談した。イラク派遣に関する政府の各組織に働きかけるつもりだと話した。佐藤元隊長「私も陸幕の防衛部におりますので、中央の方でも外務省との連携とか庁内の検討とか内閣官房での調整含めて、東京の方からもバックアップしていきたいなと考えております」。福田部隊長「一般的に言われているのは手を振りながら、銃から手を離すなということで、これはなかなか、神様でもないとできないことで、でも訓練で高めることはできます。現地の人との調整を感じ取りながら、感覚を考えて行くしかないと、非常に難しいと思いますよ」
(3)イラク市民から報道機関、日本の国民までを網羅した宣伝工作リスト=「ターゲッティング・リスト」を作り、本格的な情報操作を展開
一冊の報告書が映し出される。「イラク人道復興支援活動の教訓―インフォメーション・オペレーション」という表題が付けられている。陸上自衛隊研究本部がまとめた資料である。イラクでのメディア対策や効率的な支援を通じて住民を自衛隊側に引き寄せる戦略を重要な「教訓」と位置づけている。
資料はまず情報戦の対象を「ターゲッテング・リスト」としてまとめている。イラク全国民、周辺国・国際世論、日本国民、宗教指導者、テロ勢力、報道機関等と並んでいる。たとえば、テロ勢力から反感を買わないようにするには特定の宗教指導者との懇談を重ねることが有効だとされている。「報道関係者」とは「食事会」、「イラク全国民」には「クウェート到着時」に「幕長」による「記者会見」等々。
(4)サマワ統治の手本となった旧日本軍の“戦史”と“三光作戦”
陸上自衛隊研究本部の山口昇総合研究部長は情報戦の研究をイラク派兵の直前から中心となって進めてきた。情報戦の研究に当たり、山口部長は過去に日本が中国で行った侵略と植民地統治政策を参考にした。「北支の治安戦」。その(1)−(二)「北支那方面軍の治安粛正計画」−−山口部長が紐解いた旧日本軍の“戦史”である。何と自衛隊は、日本軍北支那方面軍による中国人民掃討作戦、華北で集中的に行われた、あの苛烈で非人道的な作戦で悪名高い“三光作戦”(殺光[さっこう]=殺しつくす、槍光[そうこう]=奪いつくす、焼光[しょうこう]=焼きつくす)を下敷きにしているのだ。中国侵略の「正史」、中でも“三光作戦”をイラク駐留に有効なテキストとして使うこと自体、それがイラク侵略・占領支配への加担を自ら暴露しているのと同じことであり、許されないことである。軍隊の本質をこれほどストレートに表すものはない。
山口部長が特に注目したのが、北部中国で旧陸軍が進めた作戦であった。旧陸軍があげた住民統治のポイントがイラクでも有効だと実証されたと山口部長は分析している。「民心収攬」、つまり現地住民の心をつかむことが最も重要だとこの戦史には書かれている。そのためにはお金や物の提供が有効だとしている。「宣撫」−−つまり部隊の宣伝に努めること、住民を「帰順」−−従わせるために職を与えること、こうしたことが必要だとされている。山口部長は語る「今の安定化戦略で一番重要なのは、住民の心をこちらの側に引き寄せるということ、心を巡る戦いだということ、がずっと昔からそうだったということがわかりました。」
記者は尋ねる。「自衛隊、特に陸上自衛隊は旧軍の歴史とは断絶していると言われているんですけれども、この時期にあえて旧軍の戦史を参考にした理由はどこにあるんでしょうか。」
山口部長は日本帝国主義の侵略を相対化していう、天皇制軍隊にも「いいとこも悪いことも一杯あったわけですよ。自衛隊にもいいとこも悪いことも一杯あるわけですから。一般的にステレオタイプに旧軍を見ると目の引きつった兵隊さんばかりですけれど、そういうことは現実的にはあり得ないことで、もうちょっとスクエアーというか真正面から旧軍の戦史を見ることができるんじゃないかと」。イラクの教訓としてまとめ上げられた情報戦の資料、自衛隊は今現実の活動ために旧日本軍の作戦を参考にするところにまで踏み込んでいる。
※「北支の治安戦」(朝雲新聞社)とは日本軍北支那方面軍による中国人民掃討作戦であり、いわゆる三光作戦はこの華北(中国北部)で集中的に展開された。日本軍は華北に対する侵略において、八路軍・中国人民の強い抵抗に直面し、侵略・支配は容易には進まなかった。そのため日本軍は「兎狩り」といわれるように、ゲリラの根拠地とみなした多くの村々を包囲殲滅し、反日的と判断する民間人を殺戮した。日本軍の言う「民心収攬」「宣撫」「帰順」とは、つまるところ「帰順」しない大多数の中国人民を殺し尽くすことに他ならない。華北には日本軍に対し、地下道を使って抵抗した地道戦の遺跡が多く残っている。日本軍によって毒ガスが使用されたことが伝えられている。
たとえば、「北支の治安戦」に示された「兎狩り」の戦果などについては以下のホームページで紹介されている。
http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/backnumber/04/usagigari.htm
ところで、「北支の治安戦」は、日本軍による戦史である。そこでは自軍の活動を粉飾し誇示している。自衛隊が「お金や物の提供が有効」との教訓を導き出しているのもそうである。日本軍は糧秣を現地調達する方針を取っており、多くの人々が一方的に食糧や家畜を奪われた。仮に対価を支払ったとしても、流通していない紙幣や軍票であり、タダの紙切れ同然だった。略奪・強奪に変わりない。日本軍が民衆に何かを提供したというのは、全く実態がない。
(5)イラク民衆だけではなく日本の民衆をごまかし世論誘導する。
10月、陸上自衛隊研究本部の幹部が山形の駐屯地に向かった。ここで情報戦をイラク派遣から得た最も重要な教訓と位置づけ、全国の部隊に発信している。ここで情報戦について、研究本部から講義が行われた。研究本部員は講義する、「イラク人の心をつかむ働きかけをいろいろやっていったということが実態であります。」そして、研究本部員は、日本の情報戦がアメリカ軍のIO(Information Operation)の担当者からも評価を受けているとした上でさらに、情報戦をイラクだけでなく日本国内で展開すべきだと説く。「日本国民支持獲得のための、広報、民事等の陸自が行っている諸活動は実態としてはまさに情報戦であり、まさに実施中のオペレーションであるということです。世論、民意については作戦の基盤となるものであり、作戦の評価を左右、決定する重要な要員となり、ひだともに世論、民意の獲得と誘導が必要になります」。
※陸上自衛隊研究本部のある埼玉県朝霞駐屯地には2002年4月に「陸上自衛隊広報センター」が完成し、国民の世論誘導のため自衛隊広報を担っている。http://1go2go.or.tv/doc/kouhou/rikuji1.htm
第3部 米と一体で作られる「国外作戦に対応するための最適な作戦戦闘のシステム、それを可能にする装備体系」
(1)米軍とのイラク戦争・占領情報の共有。日米一体となった情報戦の研究。
陸上自衛隊研究本部は海外での活動の研究をさらに加速させている。イラクで蓄積した教訓を将来の組織づくりに生かそうとしている。研究本部長は語る、「今自衛隊全体が国外作戦への体制づくりという大きなテーマを掲げているんだよね。国外作戦に対応するための最適な作戦戦闘のシステム、あるいはそれを可能にする装備体系といのはどうすれば一番よいのか」。
研究本部の全体会議には、情報戦を研究している山口部長の隣に在日アメリカ陸軍の幹部の姿があった。トーマス・キャシディ中佐である。アメリカ軍の教訓収集機関にパイプを持つ、連絡将校だ。陸上自衛隊は、イラクで多国籍軍の一員として活動するようになり、アメリカ軍との結びつきを急速に強めている。アメリカ軍からは、これまで入手できなかった情報も提供されているという。キャシディ中佐はアメリカの教訓収集機関のデータを研究本部が使えるように便宜をはかっているという。アメリカ軍が得た戦場の情報を共有することで、自衛隊の変革を進める手助けするということである。
(2)米軍による陸上自衛隊のための特別プログラム 「日本の防衛上でも、これからの海外の任務のうえでも、アメリカと日本は一緒に活動できるようになる」
キャシディ中佐は語る。「アメリカ軍は自衛隊の取り組みを支えるのに全力を挙げています。陸上自衛隊のための特別プログラムを立ち上げました。選ばれた陸上自衛隊の幹部たちは我々のデータベースに自由にアクセスできるようになっています。直接アメリカ軍の教訓にアクセスできるのです。彼らの仕事は一層はかどるでしょう。私の仕事は我々が戦場で得た教訓と今後のアメリカ軍の方向性を陸上自衛隊に伝え、ともに作戦を遂行できる環境を整えていくことです。日本の防衛上でも、これからの海外の任務のうえでも、アメリカと日本は一緒に活動できるようになります。」
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昨年11月、イラク派遣4次隊が出国する日、福田部隊長は語る。「只今からサマワに向け前進する。昨日の指示通りで、今のところ変更はない。不測事態が起きたときには柔軟に、融通性を持って行動してもらいたい。」すなわち、不測の事態=敵に襲われたときは、武器使用基準などに縛られずに、柔軟に行動せよ、躊躇なく引き金を引けとの訓辞を垂れるのである。
そして最後にナレーションは語る。「イラク派遣が始まって1年。各地の陸上自衛隊の部隊には変革の波が急激に押し寄せている。隊員たち一人一人が変わるよう迫られています。
かつてない規模で海外派遣を進める自衛隊。1年間のイラク派遣で自衛隊は戦後60年経験したことのない領域に踏み出しています。砂漠のこの地を踏んだ自衛隊員は2255人。政府はイラクでの派遣活動を1年間延長すると決定しました。イラク派遣4次隊は今もサマワで活動を続けています。」