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(回答先: パウエル前米国務長官「ボルトン氏、賢いが問題多い」 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 4 月 24 日 17:06:57)
【やじゅんの世界ブログ】より
佳境に入ってきた(?)米国TV事情をまたちょっとだけ中断します。
今月初めのジョン・ボルトン国務次官(軍備管理・国際安全保障担当)の国連大使指名は大きな波紋を呼びました。ボルトン氏は「ネオコン」の代表格と言われており、北朝鮮や国連に対する強硬な発言や単独行動主義を辞さない強気の主張で知られる個性的な人物です(一方で、イラクの国家再建などのいわゆる「ネオコン」的な対外積極外交と距離を置く一面も持っています・・・「ネオコン」を一義的にとらえることの困難さを示す一例と言えるでしょう(「ネオコン系雑誌記者との雑談」もご覧下さい))。ボルトン氏の有能さは誰もが認めるところですが、強引な手法と強烈な個性を持つ同氏を、国際協調の象徴的な場である国連の大使に就任させるブッシュ大統領の決断には、誰もが度肝を抜かれました。
その就任の背景にどのような事情があるかについては、ワシントンでの報道や有識者の意見を見ても諸説入り乱れており(kenboy3さんや中岡望さんが解説されてます)、結局のところ、どのようにしてこうした決定が下されたかについては、大統領周辺の限られたインサイダーにしか分かりません。どのような結果が予測できるのかについても判断が難しいものがあります。
最も重要なのは、この状況を所与として日本がどう行動すべきかというところだと思いますが、せっかくなので、あまり他では取り上げられていない視点を提供するという趣旨で、私の所感を簡単に述べておくことにします。
1.本件指名は、普通に考えれば、適材適所の人事には見えないのは事実だと思います。国際社会から問題視されている人物が、果たして世界の縮図のようなところで、外交官として仕事をできるのか?という疑問は当然わきます。国連サイドも明らかに困惑しています。
2.一方で、ボルトンのような力と知見を兼ね備えた人物を国連に送るのは、米国が国連をそれだけ重要視しているということを示しているとも言えます。「国連幻想?」や「安保理改革の難しさ」で述べましたが、最近の国連をめぐる諸問題については、米国の横暴さがその主要因であるかのように取り上げられがちですが、実は国連自身にも相当責任があることを見逃すべきではありません。国連が加盟国にとって「役に立つ」存在であって「支配される」存在ではないことは当たり前のことで、その意味で各国が国連をいかに自国にとって便利な存在にするのか考えるのは当然のことです。そのせめぎ合いをうまく調整し、各国が納得できる結論を引き出すことが国連の最大の役割なのです。その意味で、米国がそれなりのパワーを持つ人物を送り込むことは、国連を使えるものに改革することを目指す真剣な意思の現れでもあります。日本としては、この米国が作り出す機運を好機としてとらえ、うまく自分の側に惹きつけることが重要だと思います(ただ、ボルトンが安保理改革にあまり前向きでないというのは不安材料ですが)。
3.また、これは2.とも重なる話ですが、ボルトンのように組織力よりも「個」としての人間力を発揮して勝負するタイプは、大使のようなある程度自己完結しているポストには、案外適切であるという意見もあります。デービッド・ブルックスやかんべえさんも言及されていましたが、歴代国連大使で名を残したとされるのは、パット・モイニハンやジーン・カークパトリックといった、大物であると同時にかなり饒舌でうるさ型のタイプで、その意味ではボルトンも、何も力のない大使よりもよほど意味のある動きを期待できるかもしれません。もちろんそれが日本、国連、世界全体にとって良い方向なのかはこれから見極める必要がありますが、少なくとも相手にとって不足はない、国連も日本もガチンコで勝負するべき局面になったということは言えるでしょう。
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