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(回答先: 大日本帝国軍が何をやったかをアジアの人から聞こう! 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 4 月 18 日 02:32:20)
アジアの声
日本の侵略戦争への告発
シンガポールから来られた陸培春さんは、日本軍によって祖父を突然拉致された。祖父は、現在もなお行方不明。シンガポールで日本の軍と憲兵隊が犯した虐殺、拷問について述べたあと、靖国神社参拝の問題に関し、次のように話されました。
以下、1985年8月15日大阪で開催された「アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ、心に刻む集会」の講演記録、「アジアの声」第一集(東方出版)より、抜粋します。
かつて日本人は自分で志願して軍隊に行ったわけではないし、死んだ人は私たちと同じで、軍国主義の犠牲者の一人だと思います。そういう意味で、祖父を連れて行った日本軍隊が、もし命令でそうしなければいけなかったのなら許してあげたい気持ちです。しかし、誰かが戦争で下湖との責任を取らなければいけないと思います。今、東京軍事裁判を否定する人間が出て来ていますが、軍事裁判をなくしたら、誰も責任を取らないと言うことになります。
靖国神社の問題も、やはりA級戦犯の問題です。A級戦犯の人が責任をとらされないで、今はもう、神様とか英雄として祀られている。もちろん意識的に参拝する人間もいるし、意識しない人間もいます。でもA級戦犯はやはり国際ルールで決められた戦犯で、日本人が彼らを英雄として、神様として祀るのは、隣の国、被害者の立場の国から見て、どういう論理か解らないことです。日本人の頭は非常に優秀なのに、こんなヘタクソな論理で、国際社会に、あるいは他の国々に認めて欲しいということでは、非常に悪者になりそうです。
日本の政府は、靖国神社に行ってはいけないと思います。それをしたら、もう日本政府は責任を取らないことになります。もちろん今、A級戦犯を祀っているということは、すでに一種の責任を取らない状態になっているわけです。もし政府がまた公式参拝に行ったら、戦争を全部否定するどころではなく、むしろその責任を私たちのところに押し付けることと同じです。この侵略戦争の犯罪が、日本側にあるのではなくて、私たちの側にあるみたいです。中国語に、悪い人間が先に裁判に訴えると言う意味の言葉があります。先に悪い人間が訴えるということは、非常に怖いことです。A級戦犯の問題はやはり片付けないといけません。もしA級戦犯を祀っていない場合であれば、まだ考える余地がありますけれども、それを祀っている以上、非常に大きな問題です。
もう一つは、宗教の問題があります。この問題は、もう皆さんご存知のように、国がその宗教を一種の政治の道具とか、軍事拡張の道具にするという場合は、非常に怖いということです。靖国神社の問題は、別に私たちが提起した問題ではなく、ある一部の日本人、戦争に対して反省していない日本人が作り出したトラブルです。今、中曽根さんはいろんなやり方をしていますが、あれは一種のごまかしです。私たちの心情は、非常に複雑です。
先日テレビで見たのですが、自民党の若い議員が、戦争に勝った国が負けた国に対していろいろ文句を言う、そういう立場の違いだけだという意味のことを言っているわけです。たぶんこれは、日本人の負けたくないという根性、一種の戦争好きという性格が出ているみたいです。自信過剰の面があるし、事実を無視して立場の違う発言をしたという次元の問題ではなく、やはり罪を犯したかどうかの原点に戻らなければだめです。本筋の問題に触れないで、自分の言い訳ばかりをしている。どうしてこのような議員が出てくるのかと心配になります。
それからもう一つ。先日、朝日新聞の電話インタビューで「日本の政府を批判するのは、日本の経済援助を求めたいという、中国から責任を押しつけたいという立場からくるのですか」という私への問いかけがあり「いえ、私は全く次元の違う問題たと思いますね、経済援助は援助でね。援助はしなくてもいいけれど、この事実を無視しているようでは、本当に駄目ですね」と、私は答えました。
今、中国の青年は中国政府に反対するために、靖国神社の問題やあるいは教科書問題を借りて、自分の不満を発散するというやり方をしていると日本で言われています。しかし、これは全く次元の違う問題で、私は納得できません。中国人は非常に原則を重んじる民族ですが、犯罪かどうかということは別問題です。これは、日本人の勘違いか誤解だと思います。
また「内政干渉」とか「主権侵害」という批判がありますが、昔の戦争は、ご存知のように、日本人が中国へ行って人を殺し、現地のお金を取ったり、資源を奪ったりしました。マレーシアでも、当時の5000万円を徴用したわけです。昔、日本は向こうの国に内政干渉をしたし、向こうの主権も侵害したわけです。今度は、日本の教科書が間違った言葉を使って、これに中国がやさしく文句を言うと、「内政干渉論」とか、いろいろ出てきます。私たちの気持ちを誤解しないで、もう少し理解していただきたいと思います。
それから最後に少し話したいのは、最近出ている日本の論調です。日本の戦争が、やはり向こうの独立戦争の一つのきっかけになったのではないかという論調は、本当に怖いです。日本の植民地主義は、満州でもご存知のように、植民地のリーダーになりたいということです。あるいは大東亜共栄圏も、いつ自分は上にたって、話を聞かせてやるとか、やり方を押しつけるとか、そういう日本のやり方を、私は全く納得できません。マレーシアを例にとっても、日本人は人を殺す、お金を奪うということをしています。中国でも2000万人、マレーシアでは何万人になるのでしょうか。そのような犠牲を払って独立をさせたというのはどういうことでしょうか。むしろ、イギリスの支配の方が非常に平和なやり方だったかもしれません。日本の軍政よりも、ましだったかもしれません。だから「聖戦論」とか、あるいは独立のきっかけになったといういような、こういう話を取り上げる日本人には、もう少し違う面で考えてもらった方がいいのではないかと思います。
近隣諸国の方々が我々の行為を、どのように見ておられるか。
我々の政府は、自分に甘すぎます。
この講演から、もう20年が過ぎようとしているのに、これは今の我々に言われているのかと、見まごうほどです。ここで述べられていることの、たった一つにさえ、我々は答えを返さなかった。のみならず、自衛隊派兵、有事法制等、幾重にも明らかなこの右傾化。彼等がどのような危惧を抱いているか、推し量るに余りあります。
今、中国で沈静化しようとしても広がる反日デモは、この20年間、我々が彼等の心を踏みにじってきたことの帰結です。
なのに、我々の政府は、この期に及んでも、犠牲者の痛みに満ちたこの声に、ちゃんと答えようとしません。
今の日本政府の無為無策は、これらの声を認めたくないからでしょう。しかしそれでは、
ほっておいてはいけないものを、ほっておいたら、今度こそ取り返しがつかないことに、なりはしないか。