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(引用者注:これはイラク選挙と移行政府についてかなりよくまとまっている分析と思いますので,引用させていただきます)
週刊東洋経済2005.4.16
復興阻む3つの内部対立
アジア経済研究所 酒井啓子
今年1月30日、イラクで戦後初めての国民議会選挙が実施された。フセイン政権下での大政翼賛会的議会と異なり、半世紀にわたりイラク国民が経験したことのない自由選挙である。各地で投票所に長蛇の列ができ、投票できたことに歓喜する人々の映像が、繰り返し流された。
国内各地で治安の悪化が深刻視されながらも、全国平均で6割弱という高い投票率となったのは、ひとえにイラク国民が「自らの手で自らの指導者を選びたい」と考えたからにほかならない。
(略)
にもかかわらず、移行政府の大統領任命まで、選挙から2ヵ月以上、選挙結果最終発表から7週間を要した。大統領にクルド愛国同盟のタラバー二議長、副大統領にヤーウィル暫定政府大統領とアブドゥル・マフディSCIRI(イラク・イスラム革命最高評議会)幹部が選ばれたのは、4月も6日になってのことである。お祭りのような選挙の熱狂はすでに薄れ、人々の間には早くも政治不信が漂い始めている。
対立を内包した連立政権
なぜ、移行政府の成立が遅れたのか。
そもそも移行政府組閣の手続きは、昨年3月に暫定期イラクの政治プロセスを定めた基本法によると、議員の3分の2の賛成により、正副大統領計3名を選出することになっている。この正副大統領が2週間以内に首相を任命し、首相はーカ月以内に組閣する。
組閣が遅れたのは、この「議員の3分の2」が確保できなかったことにつきる。国会選挙の結果、第1党にシーア派イスラム主義政党を中心としたイラク統一同盟が、第2党にクルド連盟がついたが、第1党はかろうじて過半数の議席(140議席)を得たものの、大統領選出には他組織との連立が必須であった。
そのため、選挙直後からイラク統一同盟とクルド連盟(75議席)の間で連立構想が進められた。クルド側は選挙の1週間後には早々にタラバー二議長の大統領就任を要求し、2月22日にはイラク統一同盟がジャアファリ・ダアワ党党首を首相に推すことでまとまった。しかしその他にも外相、国防相など枢要なポストを複数求めるクルド側に対し、イラク統一同盟が「要職は一つでよかろう」と反駁するなど、折り合いがつかなかった。
ポスト争い以上に深刻だったのは、連立の交渉材料にクルドの自治問題が俎上に上げられたことである。クルド側は憲法制定前に、領土についても権限についても、広範な自治を確定した連邦制を導入することを要求した。これに対しイラク統一同盟は、イラクの一体性の維持を主張してクルド側の妥協を求めた。両者のクルド自治をめぐる対立は、選挙前から予想されていた。昨年の基本法調印の際、憲法制定に当たって「3州の3分の2の反対があれば拒否権を行使できる」との条項を問題視して、シーア派の政治家数名が調印に反対した。明らかにクルド諸州を対象とした特別扱いに反対したのである。この反対には、シーア派の最高法学権威であるシスターニ師の意向が反映されていた。基本法制定以降はこの対立は棚上げされてきたが、イラク国家のあり方を定め憲法制定の任を負う国民議会が成立した今、両者の対立が再燃するのは十分予想されることであった。
クルド側の要求は、具体的に三つに大別できる。最大の焦点はキルクークの帰属問題だ。クルド、アラブ、トルコマンという3民族の混住するキルクークに対して、クルド側はこれを自治区に含めるべきだ、と主張する。キルクークにはイラク北部最大の油田があることから、単なる領土争いの域を超え、利権争いとなって民族対立を激化させかねない。すでにクルド人治安組織による他民族への移住圧力や、それへの反発としてクルド人を狙った攻撃が、特に選挙後頻発している。さらに油田の帰属問題に如えて、クルド側は自治区向け予算配分の大幅引き上げをも要求している。
それ以上に争点となったのが、自治区における軍、治安組織の自立化問題である。クルド勢力は過去四半世紀にわたって、自前の民兵「ペシャメルガ」を起用して中央政府に対する武装抵抗運動を続けてきた。フセイン政権が崩壊したとはいえ、クルド側は引き続き中央政府からの自立的な立場を追求しており、ペシャメルガの存続と、イラク中央軍のクルド自治区での行動に制約を課すことを主張した。
イラク統一同盟は、今後のイラクに連邦制を導入すること自体には反対していないが、クルド自治政府が独自の軍事組織と過度な経済的自立性を持つことは、クルドのイラクからの分離につながると考え、反対したのである。これらの問題には最終的な結着はついていない。
世俗という真の対立軸
(略)
今のところシスターニ師は、憲法のイスラム化を即時に求める立場は取らず、「法がイスラムと矛盾してはいけない」といった緩やかな見解を示している。とはいえ、イスラム主義政党の台頭が、今後さまざまな側面で法体系のイスラム化をもたらすことは予測できよう。すでに上記イスラム主義政党は、昨年初めに既有の世俗民法廃止の決定を行い、女性団体など現行法の維持を主張する世俗派勢力の猛反発を生んだ。クルド勢力との対立点には、比較的世俗主義を好むクルド政党がイラク統一同盟のイスラム志向を嫌った、という背景もある。
イラク統一同盟が議席の過半数を占めたことに対して、それがシーア派だからではなくイスラム化の推進につながることで、危倶を抱く層は少なくない。イラク統一同盟が、同じシーア派でありながらアラウィ暫定政府首相の率いる第3党「イラク・リスト」(40議席)との連立を考えず、国会議長にスンナ派の元イスラム党メンバーであるハサニ元工業相が選出されたところに、真の対立軸はイスラムか世俗かにあるのであってシーア派か否かではない、ということを見て取れよう。
置き去りのスンナ派投票率2%の地域も
しかし、選挙においてシーア派とクルドが積極的でスンナ派の投票が低かったことは、スンナ派の政治参加に大きなつまずきとなったことは否定できない。スンナ派地域の中でも最も治安の悪いアンバール県では、投票率はわずか2%だった。
(略)
国会でわずか6%の議席しか得られなかったスンナ派社会のフラストレーションは、その地域で暗躍する反米反政府勢力にさらなる活動の場を与えることになる。また国外のスンナ派アラブ人が、イラク国内のスンナ派住民の状況に連動して、イラク国内に流入してテロ活動を激化させている。
すでに最近の米国内世論調査で、7割以上の回答が「米軍の被害者数は受け入れがたい数に上っている」と見なす今、米軍は「イラク人による主権国家樹立」との名の下にイラクにおける責任とプレゼンスを縮小しようとしているが、その分イラク政治の前面に立ったシーア派とクルドの両勢力に対する攻撃の増加は深刻だ。ヒッラでシーア派住民130人以上が死んだ自爆攻撃と、犯人に同情的なヨルダンに対する批判デモ、さらにはシーア派住民の多いバグダッド・ドゥーラ地区での住民と武装勢力との銃撃戦など、徐々に「シーア派=勝ち組対スンナ派=負け組」的な宗派間衝突が、住民レベルにも周辺国との関係にも波及しつつある。
(略)