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ダライ・ラマ14回目の来日
岐路に立つチベット
「金銭や政治絡みの人間関係ではない真の人間関係とは…」と日本人に訴えるダライ・ラマ14世。チベット問題には触れないながらも気迫が感じられた=9日、東京・両国国技館で
「真の人間関係を築くためには他人に対する愛情と思いやりが大切です」。チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ十四世(69)が九日、東京・両国国技館で熱く人の道を説いた。しかし、チベット問題解決への思いは封じ込めたまま。今、亡命政府と中国との水面下の調整が続けられているからだ。高齢の域に達しているダライ・ラマにとり将来展望を開けるかどうかは時間との戦いでもある。 (浅井正智)
東京・両国国技館には五千人もの人が詰めかけ、熱気にあふれていた。特設されたステージに合掌しながら現れたのはダライ・ラマその人だ。
ダライ・ラマは日本の宗教団体の招きで八日に来日。航空機乗り継ぎの短い滞在も含めて十四回目の来日で、今回は東京のほか熊本や金沢、京都を訪問し講演などを行う予定だ。
「思いやりと人間関係」をテーマとしたこの日の講演でダライ・ラマは「執着や嫌悪の感情が世界で困難な状況を引き起こしている」と説いた。しかしチベット問題についての言及は一切なかった。ダライ・ラマを「分裂主義者」とみなす中国に配慮し、日本政府は政治活動をしないことを条件にビザを発給していることも背景にある。
そこまで日本政府が気を使うチベット問題とは何なのか。発端は新中国成立の二年後の一九五一年、人民解放軍によるラサ進駐にさかのぼる。それまでのチベットは独立国家だったと主張するダライ・ラマ側は解放軍の行為を「侵略」と断罪し、他方チベットを歴史的に自らの領土とする中国は「解放」とみなす。
五九年三月には中国の支配に反対する民衆がラサで蜂起した。中国側が八万七千人ものチベット人を殺害し、蜂起を弾圧する中、ダライ・ラマはラサを脱出してインドに亡命、四月にチベット亡命政府の樹立を宣言した。
六五年にはチベット自治区が成立したが、独立を目指すデモや暴動がしばしば起こり、八九年には中国政府は戒厳令を布告する。ちなみに、このときチベット自治区党委員会書記として暴動鎮圧を指揮し、党中央政治局員に抜てきされたのが今の胡錦濤国家主席だ。
その後も中国は多大の資金と人材をチベットにつぎ込み、経済建設を進めるとともに、組織的な漢民族の移住を行い、チベットの“中国化”を図っていく。独立運動に対する迫害は激しさを極め、国境を越え逃亡を企てるチベット人は後を絶たない。現在、亡命チベット人は四十万人にも上るといわれる。
先月十日、チベット民族蜂起四十六周年の記念演説で、ダライ・ラマは「私がチベット問題の責任者である限り、チベットの独立を求めない『中道政策』を採ることを約束する」と述べた。さらに数日後、香港紙に「中国がチベット文化を保証するなら、チベットが中国の一部であることを受け入れる」と表明した。
対中融和メッセージを立て続けに発した背景について、亡命チベット人でもある桐蔭横浜大学のペマ・ギャルポ教授(チベット文化)は「現状を放置しておけば、チベットが完全に漢民族文化に同化され、文化的伝統や独自性が根絶されてしまう。チベット文化をどう保存していくのかを考えたときダライ・ラマは自治しか方法はないと決断したのでは」と説明する。
今年七月に七十歳を迎えるダライ・ラマ自身の年齢も、問題解決を急がせる要因になっている。
「ダライ・ラマというカリスマがいなくなってしまったら、亡命チベット人社会において意見対立が表面化する懸念がある。ダライ・ラマにすれば、その前にチベットのあり方について道筋をつけておきたいはずだ」と法政大学の曽士才教授(中国民族学)は指摘する。
さらに国際環境がダライ・ラマに譲歩を迫っている面もある。亡命政府を受け入れるインドが九〇年代以降、対中関係の改善に乗り出したことだ。〇三年には訪中したバジパイ首相が「チベットは中国の一部」と認めたことから中印関係は著しく好転した。
中国情勢に詳しい評論家の宮崎正弘氏は「かつてのようにインドから手厚い精神的、財政的保護が得られなくなってきたことが、ダライ・ラマに心境の変化をもたらした」と見る。
一昨年十一月、ダライ・ラマは「三年以内にチベットに戻りたい」と初めて帰還時期に言及したが、ここにある種の焦りを読み取ることもできる。
中国政府は「われわれの政策は一貫している。チベットは中国の不可分の一部であり、台湾も中国の不可分の一部であることを承認する公式声明を発表すべきだ」(先月十五日、中国外務省スポークスマン)と非妥協的な態度を崩していない。チベット問題で安易に妥協すれば中台統一のシナリオにも狂いが生じかねないと認識しているからだ。
とはいえ、水面下では話し合いによる解決を模索する動きが始まっている。亡命政府は〇二年から三年連続で使節団を派遣し、中国側と接触を続けている。亡命政府筋は「過去三回は話し合いのための話し合いという段階だったが、今年はタスクフォース(作業部会)をつくり、自治の具体的内容にまで踏み込んでいく可能性がある」と明かす。
「ダライ・ラマ=分裂主義者という評価を転換し、対話のテーブルについたこと自体、中国にとっては大きな妥協であり、過去三年間の交渉を通じて、少しずつ互いに信頼関係が構築されつつある」(ペマ・ギャルポ氏)ようだ。
しかし両者の間には越え難いミゾもある。
「チベット」という場合、中国政府は専ら現在のチベット自治区を指す。これに対し亡命政府はチベット人が居住する青海省、甘粛省、雲南省北西部、四川省西部なども含めた地域全体を指しており、自治要求もチベット自治区の範囲にとどまらず、省・自治区の枠組み再編を求めている。
東京大学の平野聡・助教授(アジア政治外交史)は「行政的枠組みを変える形での自治を許してしまえば、少数民族が多い新疆ウイグル自治区や内モンゴル自治区でも同じような要求が噴出してくる可能性がある」と分析しながら解決の難しさをこう指摘する。
「チベット問題を解決すれば、中国の人権抑圧を非難する国際社会の冷ややかな視線を変えられるのに、それができないのは、チベット問題をいかに処理するかが、中華人民共和国のあり方そのものにかかわっているからだ」
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050410/mng_____tokuho__000.shtml