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(回答先: 本当の神道がわかってはおられぬようですね。「祟り」を恐れて「ネオコン」を祭り上げよなどとは、「古神道」を勉強されたし。 投稿者 ワールド・フォーラム代表幹事/佐宗邦皇 日時 2005 年 4 月 08 日 14:03:21)
山陰さんの本を4冊ほど読んでみました。
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『日本神道のすべて』
(p.30)
支配者に不安を与えた仏教の功罪
仏教では「罪は永遠に消えない」と説く。
古神道では「罪科汚」は祓い浄れば消滅するとされてきたから、ことごとに「大祓の儀式」が行われ、それにより人々の罪は解除されて救われたのである。
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たけ(tk)が言いたいのは、この表現を借りれば、ネオコンや売国奴の「罪科汚」を祓い浄れる「大祓の儀式」を行うべきだ、ということ。
山陰さんと意見が違うかもしれないと思うのは、たけ(tk)は、古神道は日本民族のためだけにあるのではなく、地球上のすべての人類のために適用されるべきものだということ。「日本の山野には、まだそういう”神仙”が存在している」(『ユダヤの世界支配戦略PART2』p.107)というのではなく「ガイアとしての地球自体にも、そういう”神仙”が存在している」というべきだろう。
思うに、神道は、ヒトの集団を統合する道なのである。(『知っておきたい日本の伝統』p.221)。縄文時代の小集団で山野をめぐっていた時代には、単純な自然崇拝(正確には崇拝ではない、自然の恵みへの自然に対する返礼の行動様式というべき)から始まったのであろう。それによって、モノの魂が鎮まることを学んだのである。それゆえに、災いをもたらす神々も祭り上げ、彼らの魂を鎮め、(実際にはその脅威にさらされる人々の恐怖心を鎮め、冷静に対処することを可能にすることを通じて)、災いを最小限にする智恵も生み出していったのである。
しかし、その後に農耕・定住、弥生戦争を経て、縄文神道は、大集団に組み込まれた小集団の宗教、支配し支配される諸集団を統合する為の宗教という性格も持つにいたった。
その方法は、各地の神々の名をかかげて、奉り、彼らの争いの荒魂を鎮めるという方法である。(p.223)。この発想は集団統合における災い(戦争や争い)や幸(共栄)が各集団の神(思考様式)によってもたらされると捉えて、縄文神道の智恵をその状況に適用したものである。
さすれば、地球上の人類全体に適用されるべき古神道においては、現在の地球において災いをもたらしている小集団の神々を祭り上げ、彼らの荒魂を鎮めるというのが、当然の帰結ではないか。
ユダヤにしてもネオコンにしても、「彼らの神とは”幽界の神仙”であるから、彼らだけの守護神」でしかない(『支配戦略2』p.156)。現代の彼らは金融やマスメディアや政界裏工作を使って人心を惑わしている幻術使いに過ぎない。彼らの思想は「汚れた思想を持ち込んだ・・(ために)高級な清明霊は逃げて・・低級霊や悪霊の住居になって」いるのである(『日本神道のすべて』p.64)。彼らのために大祓の儀式をやってやろうじゃないか。