現在地 HOME > 戦争69 > 152.html ★阿修羅♪ |
|
東宝が今春もっとも力をこめてプッシュしている『ローレライ』という邦画がある。
結構な観客動員数だそうで、もしかしたら既に見に行った方もいるかもしれない。しかしはたして自腹を切ってまで見に行くべき映画なのであろうか。
まずそのストーリーが嘆かわしい。宣伝では「第三の原爆投下を阻止する為に努力する大日本帝国海軍潜水艦とその秘密兵器ローレライ」ということしか触れられていないが、実はその秘密兵器とはナチスが作りだした美少女超能力者なのである。その美少女超能力者がソナーの代わりを勤めてくれるので秘密兵器なんだそうだ。もうこの辺で「ありえない」の一言で片付けてしまい「見に行かないリストNO1」に入れてもそれはそれで賢明な判断かもしれない。
ただもう少し分析させてもらうと、これは第2次大戦を舞台にした映画なのだが、結局のところ最近流行の「戦争」と「美少女」を組み合わせる日本独特のオタクアニメの実写映画化に過ぎないのと私は見ている。
実は最近のアニメ業界では本当にこの手の「戦争」と「美少女」を組み合わせたものばかりが目につく。大物で言えば宮崎監督などの一連の大作から、阿修羅投稿者は見もしないだろうテレビ放映のアニメまで至るところに「戦争」と「美少女」の組み合わせがゴロゴロしている。
ではなぜ「戦争」と「美少女」なのか。
精神分析はまったく素人の私ではあるが、この現象というのは日本男性のコンプレックスからくる現象ではないかと思っている。
つまり戦いというのはまさに男の仕事な訳で、男らしさをもっとも示す事ができるものであるけれども、実際には経験できない、そこでそれを映像に描き男の闘争本能を満たすだけでなく、美少女というもっとも男としては手に入れたいセックスシンボルをそれにかけ合わせ日頃魅力的な女性には相手にされない男どものコンプレックスをかなり埋め合わせてくれる作品にしあげると。早い話がモテナイ男=オタクのコンプレックスを解消してくれるのがこの「戦争」と「美少女」という題材なのだと私は思っている。
ちなみにこの「戦争」と「美少女」という題材を使っても、宮崎監督のように最後には「戦争の悲惨さ」を訴える作品もあれば、徹底的にファシズム賛美かとも思えるテレビアニメまで内容は様々であるが、『ローレライ』についてはどうやらファシズム賛美の一翼を担いそうな作品らしい。つまり製作者曰く『祖父たちは愛する家族を守る為に戦っただけなんです』という作品なんだとか。それは小林よしのりあたりが漫画で書きまくっていた「立派に戦った僕達の爺さんを馬鹿にするな、自虐史観だ」ということとそっくりではないか。
もしかしたら今春は、その影響で「祖父達は愛する者を守った、だから日本は悪くないんだ」と勘違いしたオタクなウヨク青年が若干増殖するかもしれない。