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4月6日―メデアを創る
◇教科書検定問題を考える
文部科学省が2004年度の中学校教科書の検定を公表した。6日の各紙は一斉に一面でこれを取り上げている。歴史認識の問題から始まって星占いに至るまで、実に多岐に亘って検定対象になっている事を知って改めて驚いた。そこまで検定する必要性があるのか。
検定制度の是非については様々な意見がある。仮に検定制度の必要性を認めたとしても、どこまで検定すべきか、検定の際の基準は何かといった根本問題が残る。
このような複雑さもあって、今回の検定を報じた大手新聞も、その対応がバラバラである。どのテーマを重点的に取り上げるかで違ってくる。そして同じテーマでも意見が異なる。最後は検定制度そのものについての主張が正反対に分かれる。さすがにテレビの評論家の言葉を聞いていても、何をどう評論していいのか戸惑い、取りあえず何かしゃべっておこうというようなものばかりであった。
文部科学省による検定作業は大変な作業に違いない。多くの不手際や不都合が生じてあたりまえだ。彼らだけでこのような重大な検定作業が完璧に出来るはずはない。文部科学省が省を挙げてもかなわない仕事だ。
教科書検定の責任を最終的に負うのは誰なのか、真剣に考えなければならない。毎年のように議論が繰り返され、不都合が繰り返される検定作業がどこまで意味を持つのか真剣に考える時だ。
それにしても、4月6日の東京新聞が報じているように、いくら検定作業が困難な作業だからといって、「大量破壊兵器はなかった」と記述することを認めない文部科学省の対応には唖然とさせられる。間違いを教えろといっているようなものだ。大量破壊兵器が見つからなかったことは米独立調査団の最終報告書でも明らかになっている。小泉首相でさえも「結果的にはなかった」と国会答弁で述べている。それを文部科学省の調査官が、「大量破壊兵器はなかった」という表現を使うなと教科書出版元に命じているのだ。
文科省の官僚がすべての政策に通じているはずはない。関係各省に意見を求めるのであろう。ところが関係各省は自分の所管のところだけしか関心がない。しかも組織防衛の観点からすべてに慎重な態度で応じる。かくてバラバラな形で保身的な修正が加えられる。そんな仕事の寄せ集めで検定が出来ているとしたら、不都合が出るのは当たり前だ。
毎年こんな事に膨大なエネルギーを費やすのは愚の骨頂である。文科省はもっと他にすることがあるはずだ。
◇暗号名「カーブボール」の嘘
3月31日に発表された大量破壊兵器に関する米独立委員会の最終報告書は、情報機関の情報のずさんさばかりが強調されていて、それを信じ込んだブッシュ政権の責任についてはまったく言及されていない。おかしいではないか。そう思っていたら、やはりあの報告書は、ブッシュ政権を無傷にしたままイラク攻撃の失敗に幕引きを図ろうとした意図的なものであったことを知った。
4月13日号のニューズウイーク日本語版にマイケル・イジコフ記者が次のように鋭く指摘している。
情報の発信源はイラク人亡命者(暗号名はカーブボール)であった。しかしこのカーブボールがひどいペテン師であることはCIAの分析官はとっくに気づいていた。しかしCIAの高官は、この分析官を次のように叱責したという。
「覚えておけ。『カーブボール』が何か言っても言わなくても、この戦争は起きる。権力者たちは、彼が本当に知っているかどうかには興味がない」
このやり取りは、ブッシュ政権が、サダムフセインを悪者にする証拠を必死で探していたことを如実に示すものだ。問題はこのやり取りを記録したCIA高官の電子メールが、まったく黙殺されて闇に葬り去られたという事実だ。
電子メールのことを何故報告書に取り上げなかったのかと聞くニューズウィークの記者に対し、独立委員会の共同委員長であるローレンス・シルバーマン元判事は、「何の電子メールのことだ?私にはよくわからない」ととぼけたという。それから二時間後、メールのコピーを独立委員会に提出すると、「電子メールの存在は知っていたが、周知の内容だったので報告書には盛り込まなかった」という答えが返ってきたという。
米独立委員会の報告書は、イラク攻撃の責任のすべてを情報機関に押し付けて、大量破壊兵器の有無に関する議論に終止符を打とうとする政治的意図を持った報告書である。
「ブッシュ政権は知らなかった。間違った情報にだまされたのだ。悪いのは間違った情報をあげたCIAだ」と言わんとしているのだ。戦争の犠牲になったイラク人にとっては許しがたい暴挙であろう。
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