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4月2日―メデアを創る
◇兄弟仁義外交
既に何度も書いてきたが、読売新聞が連載している「続 小泉外交」はイラク戦争に巻き込まれていった小泉外交の底の浅さを、これでもかこれでもかと見せ付けてくれる。4月2日のそれも見逃せない事実が書かれていた。
イラクへの自衛隊派遣は2003年秋の衆議院選挙に不利に働く。福田官房長官(当時)は政治責任を嫌って、防衛庁幹部に、「防衛庁の判断で内々に出来る事はいくらでもあるだろ」と怒鳴りつけたという。首相の正式な準備指示が欲しいと求めた防衛庁幹部のほうが正しいにもかかわらずである。2003年8月の事である。
ところが調査団ばかり出して自衛隊派遣の結論をださない日本政府に米国はいらだった。「日本の調査団は12回目だぞ。やる気はあるのか」不満を唱える米軍に、日本側はこれが最後だと頼み込んだ。サマワから、市民が飲んでいた汚れた川の水のサンプルを持ち帰った調査団は、10月15日、小泉首相に報告した。
「治安が安定し、他国が復興支援をしていないのはサマワだけです。市民も歓迎してくれました」
小泉首相は黙ってうなずいた。
二日後ブッシュ大統領が来日する。小泉首相は、それでも派遣時期を明確にしなかった。11月に衆議院選挙を控えているからだ。支援内容は「任せて欲しい」としか言わなかった。・・・日本はやることはやる。細かい事は言ってくれるな・・・という事を以心伝心で伝えたというのだ。
このところの場面を読売新聞は、歴史に残る政府高官の名言(妄言?)で次のように伝えている。
「俺の目を見ろ、何にもいうな」という演歌の世界だ。これは兄弟仁義外交だ。
年内に自衛隊派遣を決めることになった最大のきっかけは11月16日に国際テロ組織が報道陣に送りつけた「次は東京を攻撃する」という脅迫メッセージだったという。
「こんな脅迫状に絶対負けるもんか」
11月29日に二人の外交官が殺害されるという悲劇が起こっても小泉首相や福田官房長官の決意は揺るがなかった。なるほど兄弟仁義の世界である。この野郎ということなのか。
12月9日、小泉首相は自衛隊派遣を最終決定した。その時はもちろんすでに衆議院選挙は終わっていた。
こういう舞台裏を知らされると、今更ながら自衛隊派遣がそこの浅い為政者の判断に基づいたものであることがわかる。読売新聞、ありがとう。