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「週刊エコノミスト」2005.03.29号
波紋を呼ぶ新国連大使
河野俊史(毎日新聞北米総局長)
イラク戦争を主導したネオコン(新保守主義)の中心人物の一人で、米政府内タカ派の代表格のジョン・ボルトン国務次官(56)=軍備管理・国際安全保障担当=が3月7日、ブッシュ大統領から国連大使に指名された。強硬発言で物議をかもし、国連批判の急先鋒として知られた人物が「敵陣」に乗り込む形になり、国際社会は戦々恐々として見守っている。
ボルトン氏の指名は、ライス国務長官が記者会見して発表した。ライス長官はボルトン氏を「不屈の精神を持った外交官で、これまで多くの成功を重ねてきた」「どうやれば物事がうまく運ぶかを知っている」と持ち上げ、[1]大量破壊兵器の拡散防止構想(PSI)で60カ国以上の協力を取り付けた、[2]大量破壊兵器計画廃棄をめぐるリビアとの交渉で中心的役割を果たした、[3]米露の戦略攻撃兵器削滅条約(モスクワ条約)を交渉責任者としてまとめ上げたなどブッシュ政権1期目の国務次官としての実績を並べ立てた。
そのうえで、「歴史を通して見ると、私たちの最良の(国連)大使の幾人かは強硬な意見の持ち主だった」と述べ、ボルトン氏が懸案の国連改革で「強い発言力」を発揮することに期待を示した。
ボルトン氏は指名受諾のあいさつで、「私が効果的な多国間外交の支持者であることは、長年にわたる経歴が示している」と述べ、米国中心の単独行動主義(ユニラテラリズム)との批判を牽制。さらに、「国連の批判者」というレッテルを逆手に取って、ブッシュ元政権の国務次官補(国際機関担当)だった1991年に、シオニズム(パレスチナヘのユダヤ人国家建設運動)を人種差別主義とみなしてイスラエルを非難した国連総会決議(75年)を撤回させた経験を紹介し、「私のキャリアの一つのハイライトだった。国連の評判における最大の汚点を取り払うことができた」と述べた。
ボルトン氏はエール大を卒業して弁護士資格を取得。ワシントンの法律事務所に籍を置く一方、レーガン政権で司法次官補などの要職を務めて共和党政権との関係を深めた。しかし、在野時代の94年にフォーラムで「国連などというものは存在しない。世界に残された本当のパワー(権力)に時として率いられる国際社会があるだけだ。それ(権力)が米国だ」と語るなど、国連の役割に否定的な発言を繰り返した。
98年にはネオコン系シンクタンクのメンバーとともに、米国の政治力や軍事力でイラクのフセイン大統領(当時)を権力の座から排除するよう促す書簡をクリントン大統領(同)に送った。書簡は、米国の政策が国連安全保障理事会の誤った主張にしばられることのないように、と強く求めていたという。
現政権の国務次官に指名された4年前の上院の公聴会では、タカ派色を懸念する声が相次ぎ、本会議では100人中43人が承認に反対した。かろうじて承認された後も、国際刑事裁判所(ICC)設立条約の署名撤回や、米国に追従しないエルバラダイ国際原子力機関(IAEA)事務局長の追い落とし工作を主導し、国際社会との摩擦を増幅させた。
イランや北朝鮮に対する強硬姿勢も際立ち、03年には金正日総書記を「非道な独裁者」と非難。北朝鮮の暮らしを「地獄の悪夢」と表現し、北朝鮮側から「人間のカス」と反撃された。チェイニー副大統領やラムズフェルド国防長官と近く、穏健な現実主義者のパウエル前国務長官との確執もしばしば伝えられた。
ボルトン氏の大使指名の連絡を受けたアナン国連事務総長は、報道官を通じて「一緒に働くことを楽しみにしている」という儀礼的なコメントを出した。ブッシュ大統領が欧州との関係修復に取り組む姿勢を見せた直後だけに、民主党側には「なぜ、ボルトン氏のような尊大な人物を選ぶのか」と疑問の声が噴き出している。