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パンフより抜粋
「水筒と飯盒 ビルマ戦線 戦場の記憶」(DVCAM 1時間40分)先行上映会のお知らせ
日 時 平成17年4月4日(月)・6日(水)
両日 午後7時より
会 場 なかのZEROホール 地下2階視聴覚ホール
所在地 東京都中野区中野2−9−7
電 話 03-5340-5000(代)
交 通 JRまたは地下鉄東西線の中野駅南口から徒歩8分
会場費 1000円
昭和20年8月15日、大東亜戦争は日本の無条件降伏によって終わり、今年平成17年はそれから60年の歳月を経ます。
この映像は大東亜戦争の中でも激戦の地であったビルマ(現ミャンマー)の戦場に斃れた多くの日本の兵隊を鎮魂し慰霊するために制作されました。
戦場になったミャンマー各地をスタッフは2度にわたって訪れ、撮影と編集に3年の歳月をかけました。生き残った兵隊の方々や心から協力していただいた方々に出会って、遂に完成いたしました。
映像による迎え火であり、送り火です。
譬えてみれば映像で作ったお精霊棚、盆棚です。
戦場の凄惨と戦友たちの最期を、元下士官、元兵だった5人が語ります。
戦場から生還した私たちの21世紀への遺言です。
陸軍軍曹 小栗義一(大正8年生)
分隊長として部下とともに闘ったビルマの戦場は60年の間片時も忘れることはできない。悪性のマラリアで気の狂ったしまった伍長。もう一歩も歩くことのできなくなった上等兵。母への遺言を私に託した伍長。自決した2名の部下。一人一人は今も私の中に生きている。
陸軍軍曹 桑原眞一(大正10年生)
戦争で一番つらい思い出は、生きて帰り、隣近所にともに育ち小学校、商業学校同級生だった戦友の安否を親族の方に問われたことでした。生還することがこれほどつらいことだとは思いませんでした。
陸軍兵長 上垣内栄一(大正9年生)
食べ物も薬も何もないんだ。バタバタ兵隊が死んでいった。塩もなかった。米もなかった。火を起こすのも大変だった。戦争にいったことのない人に見てもらいたい。
陸軍兵長 辻田美信(大正7年生)
食べるものが何もない。食べ物がなくなったら人間は死んでしまう。スタッフの皆さんと何回も撮影をしたが、私はこの映画を見る人にこの一番大事なことを伝えたいと思って頑張った。
陸軍兵長 城内松春(大正8年生)
私たち5人にとってはビルマの戦場は昨日のことのようにはっきりと思い出されます。「20年前に来たら話していただけましたか」ともスタッフの方に問われましたが、話さなかったでしょう。10年前にも5年前にも話さなかったでしょう。しかし今は話さなければならないと思っています。
スタッフ 孝壽聰 櫻庭美保 井澤洋二 松島岳生 城内松春
協 力 高野山成福院 中西喜次 田中茂 谷巌 山口昌伴 坂本要 吉田司 伊藤桂一 森本和夫 ミャンマーの友人たち。
制 作 博物館映像学研究所
「水筒と飯盒」上映実行委員会