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特報
2005.03.22
『イラクの次はシリア』
米ネオコン戦略第2章
イラクのフセイン政権崩壊から約二年がたち、米ブッシュ政権の次の照準がシリアに定められた。きっかけは先月、シリアが実効支配するレバノンのハリリ前首相の爆殺だ。「シリア黒幕説」が流布され、窮地に立たされたシリアはレバノン駐留軍の全面撤退に追い込まれた。中東を「親米、親イスラエル」に染め上げる米ネオコン(新保守主義派)の制覇ロードが再び加速してきた。 (田原拓治)
■ハリリ氏爆殺きっかけ、照準定める
ともにスギの図柄のレバノン国旗が乱立する。今月八日に五十万人。十四日には八十万人。レバノンの首都ベイルートで開かれた前者は親シリア、後者は反シリアの集会だ。映像では一見、違いが分かりにくい。
でも、よく見ると参加者のいでたちは対照的だ。前者の女性は黒い布で全身を覆ったアバーヤ姿。後者ではノースリーブ姿も珍しくない。前者はイスラム教シーア派の反イスラエル抵抗組織ヒズボラが主催し、後者はイスラエルと親密なキリスト教マロン派の一部、アウン元首相支持者らが中心となった集会だった。
こんな異文化集団が隣り合わせに暮らすレバノンは岐阜県と同じ面積で、人口は横浜市並みの約三百八十万人。十八の宗派があり、ここ三十年は国の命運をイスラエル、パレスチナ解放機構(PLO)、シリアに左右されてきた。その影響もあり、各宗派内でも政治的には一枚岩ではない。
個人の意見もネコの目のように変わる。爆殺後、「レバノン再生の父」「殉教者」とたたえられるハリリ前首相も、最近まで「守銭奴」と陰口をたたかれた。建設業界の首領で、復興事業を「ソリデール社」など傘下企業に独占させてきた。個人資産は四十億ドル(四千二百億円)。サウジ国籍も持ち、同国のユーロマネーを管理。仏シラク大統領の選挙資金を賄ってきたことも公然の秘密だ。
そのハリリ氏が先月十四日、首都で爆殺された。昨年九月、憲法改正で親シリアのラフード大統領の任期延長が決まり、翌月、ハリリ氏はこれに抗議し、首相を辞任。意趣返しにシリアが暗殺したという説が流れた。真相は不明だが、米国は駐シリア大使を召還し、制裁法であるシリア問責法強化の検討に入った。
■真相ヤミなのに黒幕説流れ窮地
爆殺で衝撃を受けたのはドイツの警備業界だったという。というのも、ハリリ氏の車列はその警備システムを採っていたからだ。レバノン治安筋はこう語る。
「土中に埋められていた爆発物による爆殺だ。ハリリ氏は通常、車四、五台で移動する。当人は二台目で自ら運転することが多く、遠隔装置の信号を遮る装置が装備されていた。そのシステムが破られた。シリアでこうした特殊工作を担うのは空軍情報部。だが、彼らにこんな技術力は到底なく、黒幕説は疑問だ」
政治的動機はどうか。英国王立研究所のリム・アラフ氏はアラブ紙上で「シリアは(昨秋、採択された同軍のレバノン即時撤退を求める)国連安保理決議1559で苦しんでおり(ハリリ氏暗殺で)多くを失っても、得することは何もなかった」と疑問を呈した。
二〇〇二年、マロン派指導者のホベイカ氏が暗殺された際もシリア犯行説が流れた。だが、事件は同氏がイスラエルのシャロン首相の戦争犯罪を国際法廷で証言する直前に起きた。
シリア人記者はハリリ氏の下野はシリアも了解済みだったとしたうえで「シリアはサウジと関係良好で、サウジからレバノンに高速道路を通し、一大商圏を築く計画を持つハリリ氏を殺すことは対サウジ関係からも無理」と付け加えた。
とはいえ、暗殺事件後、アウン元首相や少数宗派イスラム教ドルーズ派主流の進歩社会党(PSP)のジュンブラット党首の呼びかけで、空前の反シリア集会が開かれた。PSPは支持地域が重なる親シリアのシーア派に押されていた。
たしかにシリア軍はレバノン民衆に嫌われてきた。洗練されたレバノン人が粗野なシリア人に抑えられているという感情的な反発。実際、強盗まがいのシリア軍司令官もいた。が一方で、一九七八年以来のイスラエル軍侵攻の体験が「必要悪」としてシリア軍の駐留を認めさせてきた。
だが、米国はシリア黒幕説を認め、反シリア集会を民主化の一歩と絶賛した。推進役は第二次ブッシュ政権で勢いを得ているネオコンだ。シャロン・イスラエル政権と一体のネオコンにとり、シリアは宿敵だ。
彼らのシンクタンク「先端政治戦略研究所」は九六年、イラク戦争のシナリオといわれる報告書「完全なる断絶」でこう説いた。
「シリアはレバノンの地からイスラエルに挑んでいる」「シリアを弱体化させる戦略的環境の中核となるのは、イラクのサダム体制の打倒である。(中略)その打倒はシリアの地域野望を頓挫させるであろう」
イラク戦争はネオコンにとって序章にすぎない。真の標的はシリアで、ハリリ氏爆殺はシリア政権打倒に向けた好機となった。
その最大の武器は「民主化」だ。米国の圧力でパレスチナ、イラク、サウジで選挙が実施され、シリアの独裁政権とレバノン支配は許されないという空気が地域でも醸成されている。
ただ、空気には危うさが伴う。シリアはレバノンから二〇〇〇年以来、六割の兵力を撤退させてきた。全面撤退はイスラエル軍のシリア領ゴラン高原などからの撤退を条件とし、この包括和平路線は米クリントン前政権も認めてきた。
国連安保理決議1559の声高な主張もバランスを欠く。というのも、安保理決議は六七年以来、パレスチナのヨルダン川西岸やゴラン高原などからのイスラエル軍撤退(242、338号)も求めている。占領なら、米軍のイラク駐留はより大規模なはずだ。
空気のもう一つの支えは「反テロ」だ。決議1559は、イスラエル軍を武力で撤退させたヒズボラの武装解除も求めている。ヒズボラは米国からテロ組織とみなされている。しかし、実態は十二人の国会議員を持ち、国民の約半数が活動を支持する大衆組織だ。
■『焦点は5月の総選挙』
そんな論理矛盾はあっても空気は力となる。エジプト、サウジも「米国の容赦ない圧力を受けており、シリアへの助力は能力を超えている」(レバノン紙アンナハール)。この結果、シリアのアサド政権は対米直接対決を避け、持久戦に備え、五月のレバノン総選挙前の全面撤退を宣言した。
一方、レバノン国内はどうか。南部サイダではヒズボラと反シリア勢力が相互に集会自粛で合意し、十四日の反シリア集会ではハリリ氏の遺族が「ゴラン高原の解放までシリアとともに立とう」と演説するなど内戦再燃の回避のため一時の興奮を乗り越えつつある。
ヤマ場は五月の総選挙だ。下馬評では、親シリア派の勝利が堅いと予想されている。この前後、ネオコンがどう二の矢を放ってくるのか。「シリア戦争勃発(ぼっぱつ)」の危険性も秘めつつ、情勢は緊張を増している。
■レバノン情勢の経過
16世紀 オスマン・トルコの支配下
1920 第1次大戦後で敗れたオスマン・トルコ領の処理で、レバノンは仏の委任統治下へ
43・11 仏委任統治下から独立
75・2 内戦が始まる
76・11 アラブ首脳会議決議と米、イスラエルの支持の下、シリア軍が「アラブ平和維持軍」として駐留開始
78 イスラエル軍の侵攻
82・6 シャロン国防相(現首相)の下、イスラエル軍が侵攻。PLO本部が撤退。その後、親イスラエル政権が樹立されるが崩壊
85・6 イスラエル軍が南部に「安全保障地帯」を設置し、部分撤退
89・10 タイフ合意
90・10 アウン首相(当時)が反シリア決起に失敗し、亡命。内戦(約15万人が死亡)が終結
99 米クリントン政権の仲介で、レバノン問題も含めたイスラエル、シリア包括和平交渉。合意に至らず
00・5 イスラエル軍が南部撤退
04・9 憲法改正で、親シリアのラフード大統領の任期延長。国連安保理は決議1559を採択。10月にハリリ首相が辞任
05・2 ハリリ前首相爆殺
05・3 シリア軍が全面撤退開始
■メモ
<国連安保理決議1559とタイフ合意> サウジアラビアのタイフでレバノン各派代表は1989年、内戦後の国民和解憲章(タイフ合意)を採択した。憲章は76年以来の駐留シリア軍について(1)2年以内に国境沿いのベカー平原に集結(2)完全撤退は両国政府の協議で決定、と定めた。だが、シリアはレバノンの一部やゴラン高原がイスラエルに占領されていることを理由に駐留を延長。国連安保理は米国の主導で昨年9月、シリア軍の即時撤退とヒズボラを含む各派の武装解除を求める1559号決議を採択した。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050322/mng_____tokuho__000.shtml