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(回答先: 訂正 投稿者 外野 日時 2005 年 3 月 16 日 21:45:22)
私は対話というものも新たな情報だと思っているのです。
対話は相手に別の見方を示すものであり、なおかつ自分自身に対する情報の整理だと思っております。
つまり、対話によって双方に新たな情報が得られると思っているのです。
私は基本的に対話ができない相手はいないと思っております。
高弘さんの場合はかなりしんどかったですけどね。
対立が生じる1つの原因は同じ事実を見ずに対話しているという事があると思います。
という事は自分が知っていて相手が知らない事を言う事によって対話が成立すると思うのです。
素朴ですかね?
「バカの壁」を乗り越えたいと思っているのですよ。
養老猛司さんは頭が良過ぎて壁が目に付き過ぎるんじゃないですか?
私は頭があまりよく無いのでとことん対話ができるのかも知れません。
言ってみなければ相手がどう出るか分からないという感じですので。
「クラウゼビッツの暗号文」の件は又の機会に。
いずれにせよ。
レスありがとうございます。
対話がある限り、私は世の中と繋がっているという安心感があります。