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激戦から60年 硫黄島慰霊式
日米合同慰霊式で慰霊碑に献花する遺族ら=12日、東京・硫黄島で
六十年前、日米で二万七千人の戦死者を出し、太平洋戦争最大の激戦地となった硫黄島(東京都小笠原村)で十二日、日米合同の慰霊式が行われた。守備兵だった元将兵や遺族、国会議員ら約百十人、米国からも元軍人ら約四百五十人が出席。現役の海兵隊員数百人も参列した。
主催した硫黄島協会の遠藤喜義会長(82)=元海軍中尉=は「硫黄島を世界平和の懸け橋として、日米のさらなる友好、親善に努めたい」とあいさつ。当時、戦闘に参加した海兵隊のラリー・スノーデン退役中将は「憎しみが戦いの原動力だったが、この六十年間で日米両国は信頼関係を築き上げた」と応えた。
一九四五(昭和二十)年二−三月、米軍は上陸部隊だけで六万人を投入。二万人余りの日本の守備兵は、地下壕(ごう)で一カ月以上も持久戦を続けた。戦死者は約二万人。生還者はわずか一千三十三人だった。米軍も六千八百二十一人が戦死、負傷者は二万二千人に上った。
島には、一万三千人の元日本兵の遺骨が眠る。夫が戦死した笠原良久さん(89)はお供え物をしながら「二十回ほど来ましたがもう九十歳。これが最後になるかもしれない」と話した。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20050313/mng_____sya_____007.shtml