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□サダムの偽装たこ壺:抜けた歯をお金に換えてくれるという妖精のお話並みの真実味 [アラブの声ML]
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サダムの偽装たこ壺:抜けた歯をお金に換えてくれるという妖精のお話並みの真実味 MALCOM LAGAUCHE著
2005年3月11-12日 金・土
サダム・フセインと、REALITY
我々は皆、2003年12月、ティクリト近くの町で「偽装たこ壺」から引きずり出された後のだらしないなりのサダム・フセインの写真を眼にした。政府は笑い飛ばし、アメリカ大衆はフセインと隠れ家をジョークの種にした。
部屋は汚れていた。有名な豚肉ランチョンミートの缶詰であるスパムの空き缶があった。話は、彼はそこに身を隠しており、イラクとは全く無関係だというものだった。彼の権勢は失われ、今や解放者の手中にある身だ。
ところが実はこのシナリオ真っ赤な嘘だったのだ。
2005年3月8日、United Press International (UPI) は「サダム捕獲という作り話公式版」という題の小さな記事を伝えた。それをまだ読んでおられないからといってご自分の怠慢を責める必要はない。その記事、アメリカではほとんど知られていないのだ。私はこの記事を書く迄に、その記事を載せたニュースを一本だけ見つけだした。ニューヨーク、ロチェスターのWHAM
Channel 13だ。
U.P.I.のプレス・リリースは、元アメリカ海兵隊員レバノン人系のナディム・ラベフの発言の引用だ。アメリカ版では捕獲日が一日ずれたことに加え、レバノンでのあるインタビューで、彼はこう言っている。:
私は、8人のアラブ系を含む20人の部隊にいて、ティクリト近郊のドウル地域でサダムを3日間探し、発表のように穴で見つけたのではなく、小さな村の質素な家で彼を見つけたのだ。
激しい抵抗の後で、彼を捕獲したが、スーダン人系の海兵隊員は殺された。
ラベフは、サダムが二階の部屋の窓から鉄砲で彼らをどのように射撃したか物語った。そこで、海兵隊員が彼に向かってアラビア語で叫んだのだ。「降伏しろ。抵抗しても無駄だぞ。」
我々は一体何故、穴蔵とみすぼらしい姿のサダムの映像をみるようになったのだろう? ラベフによれば、「後で、軍の番組作成チームが、実際は干上がった井戸
だった穴でのサダムの捕獲という映像をでっち上げたのです。」
元海兵隊員の説明は、サダム・フセインが弁護士に、二人で一度だけ会った時に話した説明とごっちゃになっている。サダムは彼に友人の家で捕獲されたと言い、薬を飲まされ、二日間拷問されたと言っている。それで、やつれた姿のサダムの写真というわけだ。
私はGoogle.comでサダム捕獲の画像を検索してみた。全ての大手ニュース・ネットワークと出版物は洞穴と困憊したサダムの写真を載せた。タイム誌、CNNニュース、諸雑誌、日刊紙等々。どれもこれも、皆それを掲載した。
だが、連中は皆間違っていた。この話を時間をかけて調査してみようという出版物は一つとしてなかった。一つたりとも。連中はアメリカ軍がくれた写真を使って、言われた通りの話をオウム返ししたに過ぎない。
これは良く似たことが起きた初めてのことではない。1989年のパナマ侵略の後、アメリカは記者がマヌエル・ノリエガの執務室に入ることを認めた。ノリエガは、性的変質者として描かれた。執務室には、少年たちの写真、ヒトラーの写真と、赤いパンツとポルノ雑誌だった。汚らしい野郎。
数ヶ月後、ノリエガの執務室に最初に入った海兵隊員が軍を退役した。彼は最終的にはレポーターに話をして、自分がアメリカが元パナマ大統領を誘拐した後、部屋に入った最初の人間で、室内に残っていたのは、机、電話、椅子とタイプライターだけだったと言ったのだ。
ノリエガ終焉の更に16年前に遡ろう。1973年、チリ大統領サルバドール・アジエンデが、暗殺された。記者達が彼の執務室に入ることを許されて見たものは、赤いパンツと、少年たちの写真、ヒトラーの写真と、ポルノ雑誌だった。CIAは、小道具を変えるという礼節を持ち合わせていなかったのだ。連中は、16年というのはあまりに長い時間なので、誰も策略には気付くまいと考え、いずれの執務室でも、同じものを使ったのだ。1973年の出来事を取材したレポーターが、たまたま1989年のパナマにも居合わせて、二つのでっち上げのシナリオを目撃したのだ。
サダムの場合、先に述べた小道具は、おおかたイラクで受けそうもなかったので連中は小道具を変えたのだ。それに、あんなものはイラクで売られていないので、スパムの缶詰を一体どうやって手に入れたのだろうかと私はずっと不思議に思っていた。
どうしてスパムの缶詰が穴の中にあったのだろうといった類の質問は誰もしないようだ。およそ一年ほど前、アメリカ兵士の一団がワールド・トレード・センター崩壊を描いたイラクの建物の横にいるという、インターネット上で大いに話題になった写真があった。そこから導かれる推論は、イラク人達は、9-11の行為を大喜びしているというものだ。
けれども私は、兵士達が野球場の塁間走路に立っていることに気が付いた。イラクには野球場など無い。そこで、私が木々を見てみると、それはイラクの写真では決して見たことのない典型的な南東部アメリカ種であることがわかったのだ。
写真はにせものだったが、悪意は実現されてしまった。主流のマスコミすらもがその写真を取り上げ、写真を流布した。私はその写真を使ったいくつかの社に手紙を書いてみたが、返事は皆無だ。連中は当惑したのだ。
さて、話をサダムと彼の偽装たこ壺と2003年4月9日以降の彼の人生の別の面に戻そう。
彼が捕獲された時、アメリカの権威筋は、彼は過去の人物で、盛り上がりつづけるレジスタンスには何も発言権は無いと言った。たわごとだ。それ以降の情報は、ウオルフォヴィッツはレジスタンスを指揮し、多くの狙撃を命じていた。例えば、ウオルフォヴィッツの最初のバグダッド訪問時、彼はホテル・アル-ラシッドに滞在した。ロケット弾がその建物に向けて発射され、ウオルフォヴィッツのすぐ上の階にいたアメリカ人の大佐が殺された。サダム・フセインが個人的にこの攻撃を命令しており、あと4メーターずれていたら、歴史は変わっていたかも知れない。
サダム・フセインがアメリカ軍に対する市街戦に参加しているという逸話を聞いたことがある。様々な情報源が、私にこの話しをしてくれた。そこで、私はバグダッドに住むイラク人の連絡相手(退役した 大佐)にそ
の話を書いて、尋ねてみた。今日、私はそれに対する答えと、サダム捕獲についての知らせを受け取った。以下に彼が書いてきたことをいくつか挙げよう。
・ サダムの下着は非常に清潔だったが、そこから彼は穴にいたのではなさそうに思われる。
・ 当時、連中は彼を捕獲したと言ったが、日付はわからず、ビデオで見せたなかに写った木には、新鮮なナツメヤシの実があったが、それはあり得ない。
・ 我が家は(バグダードの)アーダミーヤにあり、連中がバグダードは陥落したと言った後で、私自身でサダムを眼にしていると断言できる。私は彼を自分の眼で見たのだ。彼は自動車のボンネットの上に立っていた。彼は、常にその忠誠心で彼を励ましてきた周囲の人々に向かって微笑んでいた。
・ 私が知る限り、サダムは空港での戦闘を指揮していた。
・ 私は、彼がアメリカ人に対する多くの攻撃を指揮していたと聞いている。
様々な情報源から、アメリカ政府によって押しつけられている話とは、全く異なる話を今聞いている。サダム・フセインは逃亡して地下の穴蔵で捕獲された臆病者ではなく、彼は今も大統領で、包囲攻撃の中、2003年4月9日に国民に公然と会っていた(私たちはこれをアメリカのTVのビデオで見た)、侵略者に対するいくつかの戦闘に個人的に加わった後、何万人ものアメリカ軍の連中が彼を捜していた時に、レジスタンスのネットワークを作り上げたのだ。
一つ確実なことがある。たいていの65歳の男性は引退を計画しているものだろう。けれども、サダム・フセインは9か月、その知恵で、自給自足で、同志達と生き抜き、常に不法な侵略者達に対するレジスタンスを組織しつづけてきた。彼の半分の年齢の男性大半は、そのような日常生活の肉体的要求に耐えられまい。これはもうそれだけで目覚ましい行為だ。
サダムのアメリカ側の相手役、ジョージ・W・ブッシュを見てみよう。彼が唯一達成した軍事的業績は、アメリカ州兵にいた間に、薬物検査を免れたというものだ。そこでは、彼は大成功している。
不幸なことに、アメリカ政府が2003年4月以前のあらゆるイラクの記録を所持している。アメリカが書き換えているイラクの歴史と矛盾するようなものは一言たりとも言及されまい。我々はせいぜいのところ、逸話的な説明と、目撃者達にたよるしかない。それは最善でもなければ、最も正確な歴史の姿でもないが、とりあえず我々が持ち合わせているのはそれだけなのだ。
原文 SADDAM HUSSEIN AND REALITY http://www.malcomlagauche.com/id1.html
当時発表されたもっともらしいサダムの穴蔵の写真
http://www.malcomlagauche.com/sitebuildercontent/sitebuilderpictures/saddamhole.jpeg
訳注
スパムは、メールのスパムの語源と言われる。
モンテイ・パイソンのBBC番組スパム・スケッチで、スパムを連呼したことから、という。
イスラム教の国で、豚肉の缶詰めなど地方の都市にあるはずがないと思われるが、米軍の携行食としてはありそうな話。
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上記はgoose さんによる翻訳です。かくして、アウシュビッツの大量の死体写真(本当は当時流行した発疹チフスによる犠牲者)のように、歴史が作られる。
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*イラク北部アルビールの韓国軍基地を12日地対地カチューシャ・ロケット4発で攻撃 直後イラク警察軍とクルド人民兵のペシュメルガが基地に向かい米軍ヘリが上空を旋回 損害は不明 同基地が襲われた初のケース 「im」
*トルコ大統領、経済使節団を率いてのイスラエル訪問を受諾 ペレス第一副首相はトルコに「ムスリムの観光客のイスラエルとガザ訪問」で支援を求めていた 日程は未設定 【パレスチナ難民の一時帰還ということらしい】
*米国の2大政党の幹部が運営し、ワシントンの連邦政府が資金源である団体NADがグルジアやウクライナなど世界の反政府運動や80ヶ国以上のメディアや政党に資金提供 「仏リベラシオン」 【重要記事なので仏語堪能者による翻訳求む】
*デル・コンピュータ、就業中の日没後の礼拝を理由に30人のムスリム従業員を解雇で在米最大のイスラム団体が仲介中 「qp」
*トルコのクルディスタン労働党武装勢力、イラク北部からトルコ領内に戻る なお残党が国境付近に 「UAEのアル・ハリージ紙」
*オーストラリア軍司令官:イラク南部に派遣予定の我が軍は早急な劣化ウラン対策計画を策定中 調査チームを派遣して日英軍と協議した「クウェート国営通信」
*アハラーム政治研究所のエジプト人イラン問題専門家:イランが核開発を止めれば支援するとのライス長官の誘いはイランと欧州に楔を打ち込む危険な落とし穴
アラブの声ML 齊藤力二朗
http://groups.yahoo.co.jp/group/voiceofarab/
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http://www.asyura2.com/0502/war68/msg/274.html
投稿者 スーパー珍米小泉純一郎 日時 2005 年 3 月 10 日 17:53:31: k5Ki8ZfJP9Ems