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イラクで誘拐・人質事件に遭ったイタリア人が、バグダッドの同じ建物に
事務所を置く2つの人道支援組織に繋がっていた という記事です。
(ズグレーナさんを除く)
これまでの人質事件
警備員マウリツィオ・クアトロッキさん(殺害)他3名
人道活動家2人のシモーナさん、2人のイラク人スタッフ(開放)
フリージャーナリスト エンゾ・バルドーニさん、パレスチナ人通訳(殺害)
こちらのサイトのニュースレターより、抜粋・翻訳します。
http://www.misteriditalia.it/
・・・抜粋・翻訳開始
誘拐グループの正体(La natura del gruppo dei sequestratori)
政治的目的で誘拐を行い、長期に渡って人質として拘束したグループの正体が
わからない、国籍すらはっきりしないという国際事件がかつてあっただろうか。
信じがたいことだ。
誘拐犯たちがアラビア語を話していたという点は何も語らない。実際のところは
多くの目撃者によると、バグダッドの「Un Ponte per」事務所を襲撃した犯人
たちは、なまりのない完璧な英語を誇示していたという。
起点から始めよう。イタリア人ボランティア2人とイラク人ボランティア2人を
誘拐したのは、武装し(M16を見たという目撃者もいる)制服を着た20人ほどの
コマンドー部隊だった。平服を着たひとりの男に導かれたグループは、バグダッド
中心街、多くの西側ジャーナリストが投宿し米軍の完全コントロール下にある
パレスチナ・ホテルから目と鼻の先(の建物に)押し入る。グループの司令官は、
2人のシモーナを拘束する前に、リストから2人の女性の名を読み上げるという
一種の点呼のようなものを行う。イラク人エンジニア ラァド・アブドゥル・
アジズをイタリア人と間違えるほど、誰を、何のために誘拐するのか知らない
ようだった。それから4駆で逃走する。人質のひとり上記アジズによると、
”警察車両によく似ていた。だから追越が優先できたのだろう”。
この人質はまた、自分がイラク人であるとアラビア語で何度も話しかけたにも
かかわらず、犯人グループは英語を話し続けたという。
これらは、普通の犯罪グループではなく、政治的グループ、それも非常に変わった
政治的グループであることを示す。
拘束状況に移る。21日間の沈黙。コミュニケもビデオも、女性たちの生存証拠も
なし。女性ボランティアの声を録音したカセットテープは存在するが、これは
流布しなかった。脅しと要求にこの謎に包まれたグループが使った戦略も、
一風変わっている。明確かつ期限付き要求はなく、拘束されているイラク人
女性の開放、イタリア軍撤退と漠然としたつぶやきが続く。誰との交換か?
ゲリラを支援する現金?政治的グループにしては、金額が少なすぎる。
真の誘拐ターゲット 2人ではなく、4人のイタリア人
(Il vero obiettivo del sequestro: non due, ma quattro italiani )
再びイラク人人質アジズの言。”4人のイタリア人を探していた”。
ならば2人のシモーナの他に、イタリア国籍の人間をあと2人捕捉する意図
があったことになるが、イラク人女性人質マンハーズが挙げているマルコ・
ブオノ(InterSOSボランティア)とマニフェスト紙契約写真レポーター
マリオ・ボッチャに間違いなさそうだ。なぜイタリアに執拗な憎しみを?
明らかに戦争に反対する側にいた人間を?
すべてのイタリア人人質は、”Un Ponte per”と接触があった
(Perché tutti gli italiani sequestrati hanno avuto contatti con un Ponte per… )
もうひとつ、別けのわからない偶然がある。イラクでこれまで拘束された
イタリア人は、人道支援組織”Un Ponte per”、というよりも、この組織と
”InterSOS”が入居しているバグダッド中心街の建物と接触があった。
9月7日に2人のシモーナと2人のイラク人ボランティア誘拐事件が起きたのも
この建物だった。
すべての人間がこの建物を経由している。ヴァレンティーナ・カステッラーニと
パオロ・シメオーネから始めよう。この2人はNGOの世界で精力的に活動していた
元ボランティアであるが、イラク戦争に公然と反対する立場のボランティアを
突如投げ打ち、セキュリティ会社を設立した。誘拐犯の手に落ちたマウリッツィオ・
クアトロッキ他3人のボディ・ガードたちはこの会社と契約している。
エンゾ・バルドーニも ”Un Ponte per”の事務所を経由している。人道支援
組織のボランティアを通じ、パレスチナ人通訳ゲレーブ(Ghareeb)と知り合った
からだ。バルドーニ拘束事件の最中に殺害されたゲレーブはこの建物に住んで
おり、8月15日彼の死の5日前に撮影された、ナジャフに送る支援物資の薬を
バルドーニと一緒にトラックに積み込む姿がビデオに残っている。そして8月
20日、ゲレーブにとっては悲劇の、バルドーニにとっては死の始まりとなった
旅に、”Un Ponte per”の本拠地から出発している。
しかしながら、使命をもって動いていた平和主義者であり、組織と直接・
間接的に関係を持っていたバルドーニとゲレーブがこの建物にいても
さほど驚きはないが、イタリア人ボディ・ガードとここの繋がりは耳目を
集めるだろう。
すべての者がカステッラーニ(Valentina Castellani)とシメオーネ(Paolo
Simeone)を経由している。カステッラーニは03年まで”Un Ponte per”に
勤務していた。イラク人コミュニティにとって大切な、ナツメヤシ収穫事業の
再開に専心していた。一方 元軍人のシメオーネは、アフガニスタンで
精力的に活動している人道支援組織 ”InterSOS”から経費を受けて地雷撤去
作業に従事していた。
この2人がこれほど迅速に武器が使える者のリクルーター、傭兵の雇用者に
転身した経緯はどのようなものだったのだろうか?その役割は必然的に、
ボディガードを必用としていたポール・ブレマーの暫定統治政府、さまざまな
国籍の企業に近づくことになる。
04年初頭、カステッラーニとシメオーネは、バグダッドの”Un Ponte per”
事務所を去り、同じバグダットのバビロンホテルに彼らが集めた雇用者とともに
移り住む。そして4月に拘束されたクアトロッキ、アリアーナ、ステフィオと
クペルティーノは、バビロンホテルを経由している。
・・・抜粋終了