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Tナチ占領下のパリでユダヤ人をかくまったイスラム教徒たち
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民族と宗教の対立を強調するような報道を目にすることの多いこの頃ですが、
以下の記事は、対立と憎しみが本来のものでないこと、共存と融和が可能であ
ることを示しています。60余年前のパリで移民のイスラム教徒たち、フラン
ス人たちがとった行動と同じ民衆間の連帯と協力は、世界のあちこちで過去も
今現在も行われていると思います。この記事は、そのことをあらためて思い出
させ、希望を与えてくれることでしょう。(TUP/池田真里)
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「この子たちは我が子も同じ」
ユダヤ人をかくまったモスク
アネット・ハースコヴィッツ
『転法輪』(仏教徒平和信徒会機関誌)、2004−2005冬号より
パリの中心部に、すっきりと空に伸びた尖塔と美しい庭をもつ立派な
モスクがある。これは、1914年から18年の戦争(第一次世界大戦)
においてフランス軍と戦列をともにした50万人を超えるフランス領ア
フリカのムスリムに対する感謝の表明として、1920年代にフランス
が建てたものである。このうちおよそ10万人が最前線で戦って死んだ。
第二次大戦におけるドイツのフランス占領時代、このモスクはレジス
タンスの闘士とドイツの捕虜収容所を脱出した北アフリカ人をかくまっ
た(フランス軍は1939年、34万の北アフリカ兵をフランス陸軍に
編入した)。フランス国家警察がユダヤ人狩りをしドイツ占領軍に引き
渡し始めてからは、ユダヤ人もかくまった。そのほとんどは子どもであ
った。
ナチの政策は、ユダヤ人の抹殺を命じていた。赤ん坊から老人まで全
ユダヤ人が対象となった。1万1600人を超えるユダヤ人の子どもが、
フランスから強制的に東ヨーロッパの収容所に送られて殺された。うち
2000人は6歳に満たない幼児であった。だが、1939年当時フラ
ンスにいたユダヤ人の子どもの83%が生き延びた。ほとんどの子ども
は「隠された」のである。つまり、当局の追求が及ばないよう偽の身分
を与えられてユダヤ人でない者とされた。フランス国民の大きな協力が
あってこそできたことであった。
子どもを隠すには、複雑で多方面にわたる組織が必要であった。まず
救援にあたる人々は隠すべき子どもを手元に確保しなくてはならなかっ
た。それは多くの場合、ナチ監視下の収容所やユダヤ人の子どもの孤児
院からさらって来ることであった。偽造文書を調達し、里親や寄宿学校
や修道院など隠れ家を見つけ、養育資金を集め、怪しまれないように養
育費や寄宿料を送金しなければならなかった。また、子どもたちの本名
と偽名、所在を暗号で記録し、少人数に分けて隠れ家に送り、十分な養
育を受けているか確認するため定期的に訪問しなければならなかった。
この仕事に関わった多くの人が――ユダヤ人もそうでない人も――その
命を犠牲にした。
数知れないフランス人が、積極的に関わらないまでも支援した。たと
えば、この子たちは逃亡してきたのではないかと疑われる場合でさえ、
沈黙を守った。子どもたちの多くは移住したばかりで言葉になまりがあ
り、フランス人には「見えなかった」。子どもによっては、不意打ちを
受けたり反発したりして、自分のほんとうの名前を明かしてしまうこと
もあったろう。幼児はとくに危険で繰り返し教えこむ必要があった。
そう、私にはよくわかる。私自身が隠されたこどもであったから。1
943年6月、両親はパリからアウシュビッツへ強制移送されそのまま
還らなかった。その時、13歳の姉と4歳になったばかりの私はフラン
スの田舎で里親の家にいた。養育費の送金が途絶えた上に、ユダヤ人を
かくまうことが危険なため、養い親たちは私たちをおくのを嫌がるよう
になった。その年の秋、私は17歳の兄とパリのみすぼらしいホテルに
身を隠していた。姉はフランス人家庭のメイドとなっていた。しかし、
冬には兄の知恵と勇気のおかげで、姉と私はある子ども救援地下組織に
託された。この組織は、カトリック、プロテスタント、ユダヤ人、コミ
ュニストの男女が参加する非宗教的な組織であった。そして、姉と私を
含め500人の子どもの命を救った。兄はといえば、自分の才覚で生き
延びた。
私がユダヤの子どもの救援に加わったイスラム教徒のことを知ったのは
つい最近のことだ。「隠された子どもたち」という、子ども時代をフラン
スで過ごしてホロコーストを生き延びたユダヤ人の組織のニュースレター
で知った。
モスクを拠点とするレジスタンス組織は、アルジェリアの山岳地帯カビ
リア出身の人々、カビール人で構成されていた。カビール人は、ベルベル
語を話し独自の文化をもつ北アフリカの民族の一つで、ベルベル語を話す
人々は、7世紀にアラブ人が侵入しイスラム教を伝える以前から、北アフ
リカに住んでいた。アルジェリアからの移民の少なくとも95%がカビリ
ア出身であった。レジスタンスに参加したカビール人たちは、ベルベル語
の一つである自分たちの言語、タマージク語を使って活動したので、スパ
イの潜入はおよそありえなかった。
レジスタンス活動の中心となったのは、モスクの指導者、シ・カドゥー
ル・ベンガブリトで、アルジェリア、モロッコ、フランスの3つの国籍を
もち、この3つの世界でやすやすと動くことができた。またそのイスラム
教信仰は寛容で分け隔てのないものであった。
1700人を超える人々が、モスク内や近くのアパートを仮の隠れ家と
したと考えられている。ベンガブリトは警報システムを作って、手入れが
あったとき、身を寄せている人々がすばやく隠れることができるようにし
た。必要とあらば、通常男は入れない祈祷室の女性席にさえ招じ入れた。
また、ユダヤの子どもをイスラム教徒と装うため、おびただしい数の偽出
生証明証にサインした。
モスクの敷地の真下を通るパリ下水道は、逃亡の道すじとなった。モス
クはまた、ワインの樽を積み込んだ平底船が出入りするセーヌ河畔の世界
的なワイン取引市場に近く、ここも逃亡経路となった。ある女性は平底船
でパリから連れ出されたことを思い出す。カビール人の舵取りのもと、逃
れゆく人々は船荷に隠されて南フランスに運ばれ、そこからアルジェリア
かスペインに密かに送り出された。
人種差別と反ユダヤ主義に反対するフランス人連盟は、イスラエルのヤ
ド・バシェム(訳注:ナチス・ドイツに殺害されたユダヤ人を追悼、記念
する施設)にベンガブリトを「諸国民の中の正義の人」の一人として顕彰
するよう要望している。この賞は、ホロコーストの時代に自らの生命の危
険をかえりみずユダヤ人を救うために働いたユダヤ人でない人々に贈られ
る。ベンガブリトはこの栄誉を受ける初のイスラム教徒となるだろう。
相互の憎しみ、それも「他者」に対する偏見を養分とする憎しみの時代
にあって、ユダヤの子どもを救ったイスラム教徒の話は、ユダヤ人もアラ
ブ人もとりわけ耳を傾けるべき話と思える。この史実は、この世に織りな
されている人間関係の本質は相互の受容と調和にあると考える私を力づけ
る。不和と残虐は、例えればこの織物に開いた裂け目である。確かに、あ
る時ある場所で、織りなす関係が見えないほど完璧に断たれ破られること
もあるだろう。しかしそれは錯覚である。
ホロコーストを生き延びた隠された子どもの一人である、私の友人マチ
ス・シコウスキは証言する。「命を拾い生き延びた物語にはいつの場合も、
大きな危険を冒して助けてくれるおおぜいの人々、ほとんど奇跡のように
現れて理屈抜きに信頼できると感じさせる人々がいるのだ。このことは語
られるべきだ。それも繰り返し。あのような状況では誰も自分の力だけで
生き延びることはできない。だから、生けるときも死ぬときも、私たち人
間は頼り頼られる関係にあるということは明らかだろう」。イデオロギー
で歪んでいない目をもっていれば、人は本能的に危機に瀕した人、とくに
子どもを助けようとするものである。
長年にわたって何度も、私はあの暗黒の日々に突如ほとんど奇跡のよう
に現れた救いの手の物語を聞いてきた。ある友人は、チェコスロバキアに
住んでいた11歳のとき、両親がゲシュタポ(国家秘密警察)に連れ去ら
れたという。なぜか残された彼女と9歳の妹は、ゲシュタポ本部に出かけ、
守衛に両親に再会したいと告げた。守衛は、「さっさと行っちまえ」と、
誰かに聞かれないよう小さな声で、二人が立ち去るまで数回繰り返した。
こうしてともかくも二人は生き延びた。ナチス親衛隊の守衛が二人の生命
を救ったのだった。
民族間の敵意は、複雑にからまりあった歴史的、心理的、経済的なさま
ざまな要因で生まれ、また消えていく。支配者は自分の目的に合わせて、
現実を隠蔽あるいは歪曲する。イスラム教の誕生以来1400年のほとん
どの年月、ユダヤ人もアラブ人もアラブの地にあって、他と比べて和合し
て暮らしていた。キリスト教徒と同じく、ユダヤ人はジンミーであった。
イスラム教徒はユダヤ人の生命、財産、礼拝する権利を保護した(訳注:
イスラム教徒の支配する地域で、同じ聖書の神を信仰する人々としてキリ
スト教徒、ユダヤ教徒は一定の税を納めれば財産と信仰を保証された。そ
の人々をジンミー、保護された人々という)。ユダヤ人はフランス革命を
経るまで、キリスト教徒の支配する地域でこのような権利をもつことはな
かった。たしかにジンミーはイスラム教徒より下位に置かれていた。余分
の税を納めなければならなかったし、馬に乗れないなど制限があった。し
かし、これらの制限も運用はさまざまで、開明的な支配者のもとではユダ
ヤ人は栄えた。
イスラエルの歴史学者、ミシェル・アビットボルは『断絶以前の日々―
―7世紀から今日までのユダヤ人とアラブ人』で、「アラブ諸国における
ユダヤ人の暮らしを終わらせた、たかだか半世紀の歴史的事件」について
書いている。さらに「輝かしいユダヤ・アラブ文明、近代が始まるまで、
その無尽蔵の知的で宗教的な富がユダヤ世界を総体として豊かにした文明」
についても述べている。
1942年7月16日、ヴィシー対独協力内閣の命令によって、フラン
ス警察は2万8千人のユダヤ人の拘束を開始した。警察は氏名と住所を把
握していた。それはドイツ軍のフランス占領直後にドイツ軍の命令によっ
て行われた人口調査に基づいていた。その日と翌日、警察はパリ中に捜査
網を敷いて、拘束したユダヤ人を徴用した市バスに積み込んだ。警察が捕
まえたのは、1万3千人だけであった。警察官の中に前もって噂を広めた
者がいて、多くのユダヤ人が逃げたからである。拘束された人々の中に2
歳から16歳までの子どもが4千人以上いた。
2日目、アルジェリア移民が住む場末のホテルに宗派指導者からの文
書が配布された。タマージク語で書かれた文書は、ほとんど字の読めな
い移民たちに読み上げられた。「昨日未明、パリのユダヤ人は拘束され
た。老人も女性も子どもも。私たちと同じに異郷の地にあり、私たちと
同じ働く者たち。彼らは私たちの兄弟。彼らの子どもたちは私たちの子
どもも同じ。その子たちの一人に出会った者は、不幸や悲しみの続く限
り住みかと保護を与えるべし。我が同胞よ、あなたの心は寛容である」。
この人たちがどれほどの助けとなったか、知るよしもない。
この7月の強制捜索で捕らえられた子どもの大部分は、母親とともにパ
リ近郊の収容所へ送られた。着くと、フランス人の警官は警棒で打ちホー
スで水をかけて母子を引き離した。青年期の子どもと母親はドランシーの
収容所へ送られ(ここから東へ向かう汽車が出た)、最終的にアウシュビッ
ツへ送られた。後に残された3500人の子どもたちはヴィシー政権副首
相のピエール・ラヴァルの指揮下に置かれた。ドイツ軍は子どもたちの移
送は要求していなかった。ヴィシー政権は移送を承認するベルリンからの
命令を待った。やがて命令がきて、子どもたちはわずかの大人の付き添い
を付けて貨物車に詰め込まれた。到着するとすぐ全員がガス室で殺された。
究極の悪の行われたそのような場面を思うと、私を取り巻く世界は暗く
なるのだった。長年の間に聞いたり読んだりした多くの人生をつなぎ合わ
せてみたとき、暗さと同時に多くの場所で光が輝いているのを見ることが
できるようになった。ユダヤの子どもを救ったイスラム教徒の物語は、こ
の輝く光を強めてくれる。
貧しい移民の男たちに読み聞かせられたカビールの文書の言葉は、そこ
に聞き取れる結び合いの声を信頼せよと、私に教えた。あの死んだ子ども
たちは私自身。あの子たちは私の子どもも同じ。爆破されたバスで殺され
たイスラエルの子どもたちも。その死を「付随的被害」とされたイラクの
子どもたち、日々恐怖――機関銃、戦車、ブルドーザー、ヘリコプター、
ロケット弾とやってくるイスラエル兵の――と闘わなくてはならないパレ
スチナの子どもたち、そのうちの多くの死者、負傷者たちも、私の子ども
も同じなのだ、と。
(デリ・ベルカニに感謝をこめて。彼の映画『知られざるレジスタンス―
―パリのモスク』でこの物語を知った)。
(翻訳:TUP/池田真里)
原文は以下です。
"Their children are like our own children"
The mosque that sheltered Jews
by Annette Herskovits
from Turning Wheel, The Journal of the Buddhist Peace Fellowship,
Winter 2004-2005 issue
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TUP速報
配信担当 萩谷 良
電子メール: TUP-Bulletin-owner@yahoogroups.jp
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