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これも母から聞いたところの「大空襲の体験話」である。
「空襲は何度もあったが、空襲警報が鳴ってから殆どの人達が逃げた方向とは逆の方向に逃げて助かった事がある。市の外れの方には高射砲陣地があったのだが、殆どの人達はB29は高射砲陣地を攻撃するであろうと考え、巻き添えになりたくないと考えて市の中心方向へ逃げた。私はB29は高射砲を恐れて避けてゆくだろうと考えて陣地の方向へ逃げた。やはりB29は高射砲陣地を避けて市内を爆撃していった為に、殆どの人々が逃げてゆく頭上に爆弾や焼夷弾が落ちる事になってしまった。それで沢山の人が亡くなった。」
このように、多くの人が選択する道に無批判に従っては失敗する事が多い。
日本人は人に寄りかかろうとする癖があり、これがしばしば災いを招いているのである。
その他の母の空襲体験記としては、
「防空壕に逃げていた集団を爆弾が直撃することがしばしばあったが、その時は壕の中の全員が死亡であった。
空襲の跡は焼け野原となり、鉄筋コンクリートの建物だけが残ったが内部は焼けてしまった。だから、ビルは朝になっても窓から火と煙を吹き出していた。
迎撃に向った日本軍の戦闘機が撃墜されて、その尾翼が私のすぐ目の前に落ちてきた事もあった。
造兵廠(兵器工場)に勤務していたが、勤務中に空襲に遭ったこともしばしばある。空襲の後には工場の頑丈な建物の屋上には不発の爆弾や焼夷弾が沢山突き刺さっていた。」
昨日9日の毎日新聞の朝刊にウェレル氏(米国戦略爆撃研究の第一人者)のインタビューが載っているが、そこには無視できない間違った発言がなされていると思う。
「味方だけでなく、敵の市民の生命に留意するようになるのはベトナム戦争からだ。91年の湾岸戦争で初めて、敵軍を何人殺したかを気にし始めた。『自国民』『無辜の市民』『敵の戦闘員』と(犠牲を回避する方向に)爆撃の理論は進化している。それを可能にする要因の一つが、軍事技術の進展だ。今では、どんな天候でも標的の3メートル以内に着弾する精密兵器が入手できる。後略」。
とんでもない逆の事を彼は言ってくれている。研究者のせいか、または意図的に言っているのかはわからないが、
爆撃が精密化したことは確かである。しかし、それのことは「市民への爆撃を避ける方向」には作用していないのだ。
むしろ、反対であるのだ。
つまり、「市民を精密に殺傷するテロ爆撃」を可能ならしめ、「誤爆という嘘の言い訳」をしつつ、それが行なわれているのが実情であると考えるのである。
アフガニスタンでも、イラクでもパレスチナでも、それをやっているのである。
「市民殺傷精密テロ爆撃」を「人類への犯罪行為」をやっているのである。
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