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(回答先: Re: イタリア人女性記者銃撃事件:誤射? 暗いニュースリンク 投稿者 木田貴常 日時 2005 年 3 月 07 日 10:35:20)
アラブの声ML 齊藤力二朗
http://groups.yahoo.co.jp/group/voiceofarab/
アメリカは開放交渉を望まなかった レプッブリカ紙から
http://www.repubblica.it/2005/c/sezioni/esteri/iraq45/parlasgr/parlasgr.html
「もうイラクには戻らない。たぶんアメリカの標的はわたしだった」ズグレーナ〜「ニコラはわたしを護ってくれた。彼のあえぎ声を聞いた。それから肩に激痛を感じた。
ローマ
ジュリアーナ・ズグレーナは、Sismiエージェントのニコラ・カリパリの命を奪った解放直後の銃撃の第一目的が自分であったという仮定を除外していない。彼女がスカイ24ニュースで語ったことばによると、「みんな知っていることよ。アメリカは人質解放交渉を望んでいなかった。それゆえ、わたしが第一の標的だった仮定を除外する理由が見当たりません。アメリカはこの人質救出作戦を受け入れなかったので、わたしたちはできるだけここを早く去る必要があったのです。アメリカはこの政治的作戦を容認しようとせず、何が何でも妨害しようとした。妨害がどのレベルまでだったのか、精査確認すべきです」
マニフェスト紙特派員ジュリアーナ・ズグレーナは、解放に身代金が支払われたかどうかは知らず、もうイラクには戻らないと発言した。「理由は報道活動ができない状態だからで、彼ら(誘拐犯)が証人(ジャーナリスト)を望まず、みんなスパイをしに来たと疑っているということを理解したから。開放直前に、誘拐犯はわたしに謝罪しました。そしてアメリカに気をつけるように、彼らがわたしの解放を望んでいないからと言いました」。
あの悲劇的なバグダッドの夜の記憶は、「あの夜、バグダットの空港へ向かいながらこれでやっと安全になれたと感じました。アメリカが制圧しているゾーンに近づいてもまだ気持ちが落ち着かず、夜の闇の中 誰かと話すことで恐怖を遠ざけようとした時に、突然雨あられの銃撃が降ってきたのです。警告も合図も全くなく。アメリカ軍のタンクが背後から撃ってきたのだと思います。車が蜂の巣状態になり、ニコラがわたしをかばおうとした。銃撃は続き、運転手はわたしたちがイタリア人であることを説明しようにもできなかった。」
「ニコラはわたしにおおいかぶさってきた。彼のあえぎ声が聞こえ、それから肩に激痛が走った。どこを怪我したのかわからなかった。わたしを撃った人間たちは車の近くに来て、それから病院に運ばれるまで永遠とも思われる時間を待たされた。明言できないけれど、20分くらい待たされた」
・・・・・
「雨あられの銃弾」 マニフェスト紙に掲載された彼女の真実
http://www.repubblica.it/2005/c/sezioni/esteri/iraq45/manifesta/manifesta.html
ローマ
「私はまだ暗闇の中にいた。人生で最も劇的な日であったあの金曜日」 今日売店に並ぶマニフェスト紙に掲載された彼女の手記はこう始まる。「拘束されてからずいぶんの日数を経ていた。拘束犯たちとはほとんどことばを交わさなかったけれど、数日前からわたしが開放されるであろうと告げられていた。何かが起こりかけている。ある時点でわたしの部屋に2人ともが入って来て、冗談を言い始めた。”おめでとう。あなたはこれからローマに出発する”。ローマへ。かれらはこう言った」。
「わたしが服を着替えると、彼らが戻ってきた。”我々があなたを連れてゆく。一緒にあなたがいることを気付かれてはいけない。もし気付いたら、アメリカ人が介入してくるだろう”。
聞きたくなかったコンファーム。とてもうれしかったけれど、とても怖くもあった。誰かが介入してきたら、それはおそらくアメリカ兵といっていいだろうが、銃撃戦になる。そして拘束者たちは間違いなくそれに応えるだろう。それから目隠しをされた」
「着実にぬかるみを進んでゆく車。車が止まった地点の真上から、低飛行するヘリの音が聞こえた。彼らが車から降りる。わたしは動けず、目も見えない状態でひとり残された。心の中で数を数え始めた時、友好的な声が耳に届いた。”ジュリアーナ、ジュリアーナ。わたしはニコラだ。心配しないで、ガブリエレ・ポロと話した。落ち着いて、君は自由の身だ”。彼はわたしの綿の目隠しと黒のサングラスを外した。心の緊張を緩めようとした。今起きている理解できないことにではなく、”ニコラ”のことばに対して。彼から止めどもなくあふれる友好的なことばと冗談に」。
「車は水溜りだらけの地下道を越えて進んだ。ニコラ・カリパリがわたしの隣に座り、運転手はわたしたちが空港へ向かっていることを大使館とイタリアへ2度に渡って伝えた。そこが米軍に完全制圧されている空港であることを知っていた。あと1キロ足らずと言われた時、その時、覚えているのは発砲。雨あられのような銃撃が、その前の瞬間まで続いていた楽しい会話を破った。運転手はわたしたちがイタリア人であることを伝えようと叫んだ。”イタリア人だ、イタリア人だ”。ニコラ・カリパリがわたしをかばうように身を投げた。そして
すぐ、繰り返すがすぐ、かれの最後の吐息を聞こえ、亡くなった」
「すぐに誘拐犯たちが言ったことばが心に浮かんだ。これでわたしの解放の開放に際する任務を果たしたと感じていると語ったが、気をつけるように’なぜなら’あなたを返したくないアメリカ人たちがいるからと。その時はイデオロギーで付け加えられただけのことばと判断したが、わたしは非常に苦い真実の香りを嗅がされるリスクを負った。いま話せるのはここまでです」。
http://www.asyura2.com/0502/war68/msg/118.html
開放交渉に、少なくとも2度の干渉 コリエレ・デラ・セーラ紙より
ニコラ・カリパリは、’2人のシモーナ’(バグダッドで誘拐されたイタリア人人道活動家)の開放作戦にも重要な役割を果たした。
ジュリアーナさんの事件では、まずアブダビに飛び協力者ネットワーク構築開始。キーパーソンはクバイシ師。2度に分けて支払われたとされる身代金交渉も開始。2月13日、ジュリアーナさん生存が確認できる最初の証拠(イタリア軍撤退を訴える映像)が届く。詳査後、撤退要求は表面的なものに過ぎず、真の狙いは経済的なものであると判断。
2度目の証拠、ジュリアーナさん手書きの手紙(本人の住所・電話番号も含む)と腕時計が届く。筆跡確認後、政府の前面バックアップの元に作戦開始。
推定 6〜8百万ユーロの身代金。
経済援助増加
治療を必要とするイラク人たちのイタリア移送・受け入れ
2月25日 決定的なものになるとみられていた仲介者との接触が予定されていたが、同日の朝イラクテレビが「ジュリアーナさん開放間近」と伝えてしまったために会合は反故にされた。テレビのディレクターは、「情報はローマからもたらされた」と証言し、政府内混乱。
同夜、イラク人道貢献で金メダルを受賞した赤十字ディレクター マウリッツィオ・シェッリ氏、受賞スピーチで「愛する人に生きて再び会えないかもしれないリスクを背負ってイラクで活動している多くのボランティアに感謝する」と延べ、2人のシモーネの開放と、人質にとられて殺害されたエンゾ・バルドーニさんの遺体捜索に尽力しているナバル・イスマール氏(イラク人医師)の名を挙げる。
翌朝、イスマール氏のイタリアの携帯電話に、録音されたジュリアーナさんのメッセージが入る。ところがこの情報はイタリア情報局には伝えられず、事件の政府責任者ジャンニ・リオッタ氏が国外にいるエージェントだけに伝えたため政府内に混乱が走る。(国外にいた)ニコラ・カリパリさん、「開放交渉を木っ端微塵に粉砕するリスクもある状況だ」と憂慮を表明。
イタリア政府、人質解放後まで政府内の政党戦に休戦協定を結ぶ。
赤十字シェッリ氏が政府への情報提供最前線に立ち、開放交渉が2つの道に分かれたことが明白となる。
ナワル医師へのメッセージは一度だけ。一方Sismi情報局は、誘拐犯人はもはや人質拘束を重荷と感じており、開放間近との感触を得る。カリパリからローマへの最後の電話は、「我々はやってのける。彼女を家に連れて帰る」だった。
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伊米のコミュニケーションが欠けていたのか? レプッブリカ紙より
ピエル・スコラーリ(ジュリアーナさんの友人。ニコラ・カリパリと頻繁に電話で連絡をとっていた)「車の通過は、イタリア側もアメリカ側も知っていた」
イラク政府に近い情報筋
「イラクもアメリカもジャーナリストの開放作戦を知らされていなかった。 イタリアは、テロリストとの交渉が我々に邪魔されることを怖れていた。 空港までの行程すら知らせなかったのは、人質が拘束期間の詳細をイラク当局に審問されることを避けたかったからだろう」
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彼女の事実上の夫であるスコラリ氏は、発砲されたのは空港から700メートルと米軍の全ての検問を突破した地点だと言っている。従って事件現場に検問所は無い。
殺害された情報員ニコロ・カリパリは、空港道路をこれまでに30回も通っており、検問所で停車しないような猛スピードで運転をするはずが無い。
ローマの米国大使館前での抗議デモでは、「ジュリアナが帰国した飛行機が撃墜されなかったことを神に感謝しよう」と書かれたプラカードが見られた。
何故米軍は300発から400発も発砲していながら、日本人外交官2人が殺害されたときのように、乗員全員を仕留めなかったのか?邪魔でも入ったのだろうか?
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【短報】
*イラク政府、武装勢力支援の在留アラブ人、外国人1万人を国外追放
*シリア大統領:私はサダムではなく、協力したい 【サダムではなくカダフィだ、との揶揄の声も。サウジ外相はイラク戦争後に、サダムはヒロヒトではなく、イラクは日本ではない、と言った】
*サマーワ北東部の幹線道路に仕掛けられた爆弾で6日朝6時イラク軍兵士4人が死亡1人重症 「IM」米軍とイラク軍は現場を包囲しスンナ派住民だけを多数拘束した。
*イスラエル、レバノンに居ると主張するイラン革命防衛隊の追放とヒズブッラーの解体を要請
*イスラエル、2年以上前から安息日の土曜日と、全日のマグレブ(日没後)に歴史都市ハリールの聖イブラヒム・モスクでのアザーン(イスラムの礼拝への呼び掛け)を禁止
*イスラエルとヨルダン、パレスチナ自治政府、米国、紅海と死海を結ぶ運河建設に合意 「イ放送」
*シリアの命令でイスラム聖戦とハマースの代表らを国外追放、事務所閉鎖、電話切断
*レバノンのヒズブーッラー、シリア支援と外国介入反対の大衆デモを呼び掛け
*米国、UAEにイスラエル製品・ボイコット廃止や100%外資企業の進出を求める
*イラク駐留米軍、アンバール州各地の民家から住民を追い出し、占拠して軍事拠点にする
ファッルージャの民家の屋上を占拠して自陣とする米兵 写真1枚
http://www.iraqpatrol.com/dresses.jpg
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イラクのバークーバでの自動車爆弾攻撃の爪跡 写真3枚 3月4日
http://www.iraqpatrol.com/php/index.php?showtopic=8239
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【翻訳2本のお願い】
ロンドン市長:ホロコーストは産業化された人種差別の究極の表現 「ガーディアン」
http://politics.guardian.co.uk/comment/story/0,9115,1430186,00.html
CIA、テロリスト容疑者を拷問が行われている外国に引渡し 「NYT」
http://www.nytimes.com/2005/03/06/politics/06intel.html?th
アラブの声ML 齊藤力二朗
http://groups.yahoo.co.jp/group/voiceofarab/