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従軍慰安婦問題:
上海・慰安所売春、勧誘手口全容を初公表−−戸塚悦朗・龍谷大教授
◇1936年の業者有罪判決文、初公表−−邦人女性証言も
◇「仕出屋の女中奉公」「月五十円親に送金できる」
中国・上海の旧日本海軍向け「慰安所」に、日本人女性を「仕事は女中」などと偽って送り込んだ業者らを有罪とした1936年2月の長崎地裁判決の全文を、戸塚悦朗・龍谷大教授(国際人権法)が近く出版される学術誌「龍谷法学」で公表する。上告審の大審院判決(37年)は判例集で知られているが、詳細を記した下級審判決の全文公表は初。女性をだました手口の供述や、帰国費用がなくやむなく働いた女性の証言など、軍事侵攻に伴う慰安所の実態が分かる貴重な資料となる。
戸塚教授によると、戦前、日本の司法が慰安所関係者を有罪とした例は他に確認されていない。
判決は日本人業者ら被告10人に、旧刑法の国外移送誘拐罪を適用し、最高懲役3年6月を言い渡した。戸塚教授が02年、2審の長崎控訴院判決と一緒に地裁判決の写しを長崎地検で入手した。
地裁判決によると、30年から上海で海軍軍人を客に売春業を営んだ業者らは、32年1月の上海事変で駐屯軍人が増加したのに目を付け「海軍指定慰安所」を計画。長崎市などに在住の女性や娘を持つ親に「兵隊相手の食堂」「仕出屋の女中奉公」などと勧誘し、同年3〜5月、女性15人を長崎港から上海行き船に乗せ慰安所で売春をさせた。昭和恐慌下で女性らは「百五十円位(現在の約30万円)を前借するも、二、三カ月にて完済し得て尚毎月五十円位親許(もと)に送金し得る(原文は旧仮名遣い)」などと言われ、集められた。
予審判事らの尋問に対し、被告らは「女郎の如(ごと)き仕事をすると言えば嫌う者もある故左様な事は言わずに上海が景気なる故行きては如何(いかん)と申向けて勧誘」などと供述。被害女性らは「上海に行きたるところ同所は海軍軍人相手に専ら売淫(いん)をなす所なりし故(業者に)欺かれたる事が判(わか)り悲しくなり」「逃げ帰るにしても旅費無かりし故仕方なく醜業に従事した」などと証言している。
軍慰安所は、上海事変以降に設置されたとされ、上海総領事館の記録では、32年末までに海軍慰安所が17軒開業した。この慰安所もその一つとみられる。
戸塚教授は「慰安婦問題については『当時は公娼制度があり合法』とする主張があるが、判決が示す実態は甘言をろうした拉致だ」と指摘している。 【野上哲】
◇吉見義明・中央大教授(日本近現代史)の話
慰安所には、特に朝鮮、台湾から仕事内容を隠し、貧しい女性を送った例が多い。今回の判決文は、慰安所制度が当初から違法行為を前提に成り立っていたことを示しており、法的責任を認めない日本政府の姿勢に一石を投じるだろう。
毎日新聞 2005年2月24日 大阪夕刊