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「民主的選挙」の先にイラク女性を待ち受けるものは、あまりにも明白なのに・・・
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女性と少数派を抑圧する政治が始まる・・・ 2月18日
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戦火の中のバグダード、停電の合間をぬって書きつがれる24歳の
女性の日記『リバーベンド・ブログ』。イラクのふつうの人の暮らし、
女性としての思い・・・といっても、家宅捜索、爆撃、爆発、誘拐、
検問が日常、女性は外を出ることもできず、職はなくガソリンの行列
と水汲みにあけくれる毎日。「イラクのアンネ」として世界中で
読まれています。すぐ傍らに、リバーベンドの笑い、怒り、涙、ため
息が感じられるようなこの日記、ぜひ読んでください。(この記事は、
TUPとリバーベンド・プロジェクトの連携によるものです)。
(転載転送大歓迎です)
今回はぜひサイトも見て下さい。文中に出てくるアブー=アンマー
ルの店のような食料品屋の写真が載ってます。
(TUP/リバーベンド・プロジェクト:池田真里)
http://www.geocities.jp/riverbendblog/
『リバーベンド・ブログ』。
http://www.geocities.jp/riverbendblog/
2005年2月18日(金)
メールアドレスの変更・・・
さあ、これが最後の変更。いくつかメール会社をためしてみて、結局これに決めたわ。
baghdad.burning@gmail.com
これからはここにメールして下さい。
3時24分 リバー
食料品と選挙の結果・・・
昨日、近所の人が立ち寄った。彼女はトマトソースで煮込んだ青豆の温かい皿を持っていて、こっそりこう教えてくれた。「アブー=アンマールがいい青豆を持ってるわ。だけどテーブルの下に隠してるのをくれって言わなきゃだめよ。店に出してあるのはちょっとばかり固いから」。そこで、買い物リストに青豆を加え、 E(弟)と一緒にアブー=アンマールの店へ向かった。
近所の食料品屋さん、アブー=アンマールは、わが家から400メートルほど離れたところの本通り沿いに野菜と果物の露店を出している。彼がいつからそこで店をやっているのか誰も思い出せない。彼に会ってもそんなことはわからないだろうけれど、アブー=アンマールはなかなかの商売人だ。1年中伝統的なディシュダーシャを着ていて、寒い日にはくたびれたレザーの上着をはおって、黒いウールの帽子を耳までかぶっている。
わが家とこの通りのほとんどの家は、食料品をアブー=アンマールのところで買っている。彼は朝早く露店を出す。ちょうどいい頃合いに通りかかると、さまざまな色でいっぱいだ。じゃがいもの茶一色、ほうれん草の濃い緑、柑橘類の明るいオレンジ色、新鮮なイラクトマトのつややかな赤・・・。そして、いつもアブー=アンマールがいる。降っても照っても戦争でも、野菜や果物の真ん中に座って、タバコをくわえ新聞を読んでいる。雑音混じりにラジオから聞こえてくるのは、ファイルーズのセクシーな歌声だ。滅多にないことだが、アブー=アンマールがいないときは、何か非常によくないことが起こっているのだと言っていい。(訳注:ファイルーズは1935年ベイルート生まれの伝説的なアラブの歌姫)
アブー=アンマールはいつもの場所で座っていた。新聞に何かしるしをつけていたから、きっとクロスワードパズルをしていたのだ。アブー=アンマールは立ち上がって私たちを迎えると、買いたい野菜を選んで入れるようにビニール袋を何枚かくれた。新聞を腕の下にはさみ込み、小さな黄緑の果実の山を指さして「今日のレモンは新鮮だよ」と言った。私はレモンの山へ向きをかえ、じっくり調べてみた。
アブー=アンマールの店へ行くといつも、自分の指でイラクの政治情勢という脈拍をはかっているような気がする。この店に並んだ農作物から、たいていイラクの目下の状況がはっきりわかる。たとえば、いいトマトが一つもないときは、バスラへ向かう道路は閉鎖されているか容易ならぬ状態で、トマトはバグダードまで届かないのだということがわかる。冬に柑橘類が並んでいなかったら、たぶんディヤラへの道路が危険でオレンジやレモンが出荷できないのだということがわかる。また、アブー=アンマールは、さまざまなラジオ局で聞いたニュースを教えてくれる。その気があるなら、彼の足下の新聞の山から選りどりで新聞を抜き出しニュースを読むこともできる。それに、近所のゴシップで彼の知らないものはない。
「アブー=ハミードの家族が引っ越すって知ってるかい?」アブー=アンマールはタバコを一服吸い込むと、ボールペンの先で100メートルほど向こうの家を指した。
「ほんとう?」私はトマトに目を向けながら答えた。「どうして知ってるの?」。
「先週、夫婦ものに家を見せているのを見たんだ。今週になってからも家を見せていた。売ろうとしてるんだ」。
「選挙の結果聞いた?」E が尋ねた。アブー=アンマールはうなずいて、サンダルをはいた足でたばこを踏みつぶした。「こうなると思ってたさ」。 肩をすくめて続けた。「ほとんどのシーアは立候補者リスト169に投票した。投票日の夜、うちの近くのフサイニーヤで勝ったと大騒ぎしていたよ」。フサイニーヤというのは、シーア派のモスクの1種である(訳注:殉教劇劇場といわれる)。多くのシーア派がリスト169、つまりシスターニお墨付きリストを支持して運動していると言われていた。
私は頭を振ってため息をついた。「じゃ、アメリカはイラクをもう一つのアメリカにしようとしているんだってまだ思ってる? 去年、アメリカにチャンスをやったら、バグダードはニューヨークみたいになるだろうって言ったじゃない」。 私は去年の会話を引いて言った。 Eは私に警戒の表情を見せて、タマネギに注意をそらさせた。「ほら、見てごらん、このタマネギ――うちにタマネギあったっけ?」。
アブー=アンマールは頭を降ってため息をついた。「そうだな、ニューヨークになろうが、バグダードになろうが、地獄になろうが、俺にとっちゃ違いはない。ここで野菜を売るだけさ」。
私はうなずいて野菜を詰めたビニール袋を計ってもらうために渡した。「そうね・・・イラクをもう一つのイランにしようとしているのよ。リスト169はイランになってもいいってことじゃない」。 アブー=アンマールは袋を古びた真鍮の秤にのせておもりを調節しながら、少しの間考え込んだ。
「で、イランはそんなに悪いかね?」やっと答えた。そうね、悪くはないわと私は答えようとした。悪くはないでしょう、「あなた」にとっては――男性にとっては・・・むしろ、権利は増大する。あれこれ一時的な結婚をし(訳注:一時的結婚については2004年1月15日の項を参照)、恒常的結婚生活もいくつかもつ権利、そして女性を服従させる権利が。これが悪いわけないわよね。けれど、私は黙っていた。きょうびイランを批判するのはやばい。アブー=アンマールが差し出す袋にぼんやり手を伸ばしながら、私は、選挙結果が初めて公表されたときの無力感にうちのめされた状態から立ち直ろうと努めていた。
スンニ派政権かシーア派政権かという話ではない。問題はイラン型イラクになるかどうかなのだ。シーア派の多くもまた選挙結果に衝撃を受けている。この選挙結果で、スンニ派が中枢から排除されると言われているが、そうではない。スンニ派だけではない。穏健なシーア派さらに一般の非宗教的な人々も排除されてしまったのだ。
そのリストは恐ろしい。ダーワ党、イラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)、チャラビ、フセイン・シャリスターニ、そのほかイラン寄り政治家やイスラム法学者がずらりと並んでいる。この人々が新憲法立案に中心的役割を果たそうとしている。新憲法では、シャリーアつまりイスラム法が基本となると言われている。問題はどの人々のシャリーアかということだ。多くのシーア派イスラム教徒にとってのシャリーアは、スンニ派のシャリーアとは違っている。それにほかの宗教についてはどうなのか? キリスト教徒やメンディイーンは?
アメリカ同調派とまったく同じ人々が、つまり昨年の輪番性大統領職を務めた操り人形たちとまったく同じ顔ぶれが、選挙結果の上位にあらわれたことに驚いたかしら? ジャファリ、タラバニ、バルザニ、ハキム、アラウィ、チャラビ・・・亡命者、有罪判決を受けた犯罪者、私兵集団の長からなる集団。新生イラクへようこそ。
イラン寄り政党ダーワの党首、イブラヒーム・アル・ジャファリが先日インタビューに応じていた。自分は公平な人間で、宗教色のない以前のイラクを原理主義的シーア派国家にするつもりはないというふりを懸命にしていた。しかし、彼がダーワ党党首であるという事実に変わりはない。この2,30年の間、イラクで起きた最も悪質な爆発と暗殺の首謀者である政党、イランのようなイスラム共和国を提唱している政党なのだ。党員の大部分は、かなりの期間イランにいたことがある。。
ジャファリは党の主義主張から自由ではありえない。
そして、イラク・イスラム革命最高評議会議長(SCIRI)、アブドゥル・アジズ・ハキムだ。彼が12月の月替わり大統領に就任したとき、まず最初に何をしたと思う? イラクは債務過重であるのにイランから1千億ドルを借り入れると、決定したのだ。では、2番目に何をしたか? 個人(特に女性)を守る「私人地位法」を廃絶しようとしたのだ。
彼らは西側記者に対する会見で立派な政党だという印象を与えようとしているが、内実はまったく違っている。女性がもっともそれを感じている。バグダードでは、これらの政党は女性に対して、ほんのわずかばかり出ている部分さえ隠せと絶え間ない圧力をかけている。多くの大学では、男女の隔離差別教育をするよう圧力がかかっている。威嚇や、印刷物や口頭での警告、さらに襲撃されたり暴言を浴びせられたりすることもあるという。
身の回りのいたるところでそれが感じ取れる。知らぬ間にじわじわと始まっているのだ。足が少しでも出るスラックスやジーンズやスカートをはくのをいつの間にか止めている。これをよしとしない誰かに道を歩いていて止められたり、説教されるのがいやだからだ。半袖を着るのをやめ首のかなりの部分を被ってくれる襟付きのだぶだぶシャツを選ぶようになっている。髪を垂らすのをやめるようになっている。髪に注目されたくないからだ。ポニーテールに結ぶのを忘れた日には、自分をひっぱたきたい思いでハンドバッグをかき回し、ヘアーバンドいや髪を束ねる輪ゴムでも見つけて「やつら」の注目を引かないようにしなくてはいけない。
以前こういう状況について友人と真剣に話し合ったときのこと。ヴェールとヒジャブの話題になったとき、法制化はしないまでも、女性が外出するときは被って当然だとするような圧力が十分行き渡るようになるのではないかと、恐れを述べた。友人は肩をすくめ、「イランの女性は、それほど大したことじゃないって言うだろうよ。だって頭にぱっと何か被って化粧して、出かけるなりなんなりするだけだから」 そのとおり。だけど初めはそうじゃなかった。そんなふうにできるようになるのに20年以上もかかったのだ。80年代、女性は服装が悪いといって、街角から引っ張られ拘束され殴られたのだ。
またそれは、髪を被う云々という問題なのではない。戦争前にも友人や親戚にはヒジャブを被る人はおおぜいいた。それは社会を構成する原理なのだ。服装まで指図されるほどほとんどまったく自由がないということなのだ。そして、服装はほんの氷山の一角だ。女性に働く能力があるわけがない、あるいは女性にはある種の職業や学問は認められないと考える法学者や男たちがいる。今回の投票用紙にも何か居心地の悪い思いにさせるものがあった。「男性」、「女性」の別がわかるようになっていたのだ。なぜ男女の別がいるのかって? シャリーアでは女性の1票は、男性の半分として計算されるからじゃないかしら? 将来そうするつもりだろうか?
バグダードはまたもや黒い幕で被われている。ビルだけでなく家々の中にも大きな黒い布を垂らしているものがある。まるで全市をあげて選挙結果を嘆いているようだ。これは「アシュラ」祭のためだ。(訳注:アシュラ祭については、2004年2月29日を参照)。アシュラ祭とは、イスラム暦新年を祝う10日間であり、1400年余前現在のカバラで起きた預言者の家族の死を記念するものでもある。それで全身黒ずくめの(緑、赤の色が少し入ることもある)敬虔なシーア派の人々が、この日のための特別な用具で自分の身体をうち叩きながら通りをねり歩くのだ。
私たちはアシュラ祭の間ほとんど家で過ごしている。この10日間に外出するのはあまり賢明とはいえないからだ。きのう、叔母の家に行くのに1時間20分もかかった。詠唱しながら自分のからだを叩くおおぜいの男たちで道がふさがれていたためだ。恐ろしいというのでは言い足りない。何人かは血を流してさえいて、背中や額を流れ落ちる血を効果的に見せるために白い服を着ている。小さな子どもが黒服を着て小型の鎖を持っているのは見るも痛々しい。鎖は実際に人を傷つけるようなものではないのだが、いかにもグロテスクだ。
正直言うと、吐き気がする。これは宗教とは何の関係もないサド・マゾヒズム的な疑似政治ショーだ。イスラム教において、肉体を傷つけるのはよくないことだ。シーア派の穏健派もひどいと感じ、少しばかり見苦しいと思っている。
Eはシーア派のいとこを始終からかっている。「これってやってみたいだろう?」。しかしいとこだって不快に思っているのだ。それをはっきり表現できないのだけれど。私たちはいまとても「自由」だから、おおっぴらにこのまったく血なまぐさい行事そのものに嫌悪感を表明することはまずいのだ。だけど、私はこのブログで表明できる。
また数件誘拐があったと聞いた。いままた暗殺のニュースがあった。バドル旅団が新たな「お尋ね者」リストを発表したという。が、生きて捕まえようというのではなく死んでほしいというものだ。名前があがっているのは、ほとんどスンニ派の教授、前政権の将軍、医者など。スンニ派とシーア派の混住地区、サイディヤではすでに3件の暗殺があった。バドル旅団の連中が家に押し入って家族を射殺したのだという。この多発する暗殺は、明らかに選挙の結果を祝って行われているのだ。
テレビでアメリカの政治家が、スンニ派とシーア派の市中での殺し合いをふせぐのに米軍がどんなに役立っているか、語るのを見るのは面白い。最近、ますますそれは違う、と思える。現に今この暗殺と誘拐の最中に、米軍はただ傍観してイラク人同士が攻撃しあうままにしている。そればかりでなく、新生イラク軍つまり国家警備隊も米軍の護衛とレジスタンス叩きしかしていない。
占領が終わったあとでさえ、非宗教国家イラクへの希望があった。希望は急速に消えつつある。
午後3時3分 リバー
(翻訳 池田真里)