★阿修羅♪ 現在地 HOME > 戦争67 > 734.html
 ★阿修羅♪
次へ 前へ
砕け散った家族──「停戦」のさなかラファの学校で殺された少女【ナブルス通信】
http://www.asyura2.com/0502/war67/msg/734.html
投稿者 木田貴常 日時 2005 年 2 月 23 日 16:51:29: RlhpPT16qKgB2

ナブルス通信
砕け散った家族
http://www.asyura2.com/0502/up.cgi?ban=war67&up=1

 

砕け散った家族
──「停戦」のさなかラファの学校で殺された少女
Killing of Palestinian girl shatters family
ライラ・エル=ハダッド / Laila El-Haddad
2005年2月3日
─ナブルス通信2005.2.23号による─

 


--------------------------------------------------------------------------------

 

パレスチナ-イスラエルが暫定的な「停戦」状態に入ったのは、1月26日頃。しかし、その後もイスラエルからのパレスチナへの様々な攻撃は続いています。近頃もナブルス近郊の村で、2人の活動家が「作戦」中に殺されています。そのなかでもパレスチナじゅうに怒りをもたらしたのが、この1月31日のラファの学校で少女が撃ち殺された事件でした。このような犠牲者はこのノラーンさんが最後になってほしいと願い、記事を訳出してみました(が、2月14日にも、ヘブロンで子どもが残忍に殺されています……)。[ナブルス通信]

 

「砕け散った家族」──「停戦」のさなかラファの学校で殺された少女

ライラ・エル=ハダッド
2005年2月3日

Killing of Palestinian girl shatters family
Laila El-Haddad, Al Jazeera, 3 February 2005


 10歳のノラーン・イヤッド・ディーブは、そのくらいの年頃の女の子にふさわしく、喜び勇んで学校に出かけていった。すがすがしいこの冬の日は特別だった。というのは、この半期の通知票を受け取る日だったからだ。ノラーンは見事な成績をおさめていることがわかっていて、両親はノラーンに贈り物をくれることになっていた。このために先細りする資金を切りつめて、用意してくれたものだ。ノラーンの通知票には教師からのコメントが書かれていた:「ノラーンの輝かしい未来を私たちは予測します」

 しかし、ノラーンにはそのような未来はやってこなかった。ノラーンへの両親からの贈り物は、喪中の家の片隅に放り出されていた。1月31日の午後、イスラエルのスナイパーが午後の集いのために校庭に並んでいたノラーンの顔を撃ち抜いたのだ。

 ノラーンの母親がその朝、学校に行く前のノラーンについて覚えている最後のことは、朝のお祈りでノラーンが唱えていた言葉だ。「神は人類を試すために、死と生を作り出した」という節だった。

 今にして思えば、ノラーンの母親にはそれがその後にやってくることの前触れだった。「それから彼女は学校に出かけたんです。ノラーンはまったく無私無欲の子どもで、最後の最後まで妹のことを考えていました。家を出てから、一度戻ってくると、『お母さん、外は寒いわ。出かける前に妹たちにもっとセーターを着せてね』と言いました」「この困難なときにあって、ノラーンは新鮮な風だったという以外、言いようがありません。ノラーンの名は「光(ヌール)」からきています。まさに彼女は光だったのです」

 ノラーンの死は今、一方的な停戦とヴァーチャルな平穏の期間のただなかで、イスラエルの攻撃停止の姿勢にたくさんの疑問をなげかけている。「私たちはオリーブの枝[註・平和の象徴]を差し出したのです。そうしたら、腕を切り落とされてしまったんです」と床に置かれたマットレスのほかは何もないセメントブロック剥き出しの寝室にしゃがみこんで、ノラーンの母親はそう言って泣いた。

 「ノラーンはどうしてこんな運命を負わなければならなかったんでしょう?そして、ノラーンの死を目の前で見た妹は?毎晩、妹は「お姉ちゃんを連れてきて」と言ってすすり泣いています。」


5番目に殺された子ども

 しかし、ノラーンは占領下のガザで初めてこのような暴力的な死に至った無実の学童ではない。じっさい、ノラーンは、過去2年の間に国連の旗を掲げた学校にいて、イスラエル軍に撃たれて殺されたり、障害を負ったりした5人目の生徒だ。

 昨年起きたラファとハンユニスの別々な事件で、机に座っていて2人の少女が殺され、一人の小さな女の子は永遠に視力を失っている。

 UNRWA(アンルワ:国連パレスチナ難民救済事業機関)の広報官であるポール・マッキャンによると、UNRWAは占領下のパレスチナで民間人の地域に無差別の銃撃がなされることを繰り返しイスラエル軍に抗議してきたという。国境から600 メートルほど離れたところにあるノラーンの学校は、2000年の紛争勃発以来、何回も銃撃されてきたとマッキャンは言う。これが悲劇的な結末を迎えた初めてのケースだった。

 「世界に尋ねたいんです。ノラーンは胴に爆弾ベルトを巻いていたんですか?、カラシニコフを抱えていましたか?、と。ノラーンは愛は知っていても、政治は何も知らなかったんです」とノラーンの叔母であるイクティマル・フセインはこんなレトリックで語った。「ノラーンは学校から成績証明書を持って帰ってくるはずだったんです。でも、彼女が家にもたらしたのは「死の証明書」でした」

 ノラーンの母親は、娘の死の知らせが届く直前に何かがうまくいっていないというのを感じたという。「ノラーンの父親に何年か前に撮ったノラーンのきれいな写真は?と聞きました。見たくなったのです。そうしたら、ノラーンの小さな妹が唐辛子の大きなビンを床に落としました」


イスラエルによる否定

 目撃者たちは、銃撃が始まったとき、子どもたちが手を叩いて、国歌に合わせて歌っていたと言っている。1発の銃弾がアーイシャ・イサム・アルハティーブの手のひらを貫き、もう1発がノラーンの頭に命中した。ノラーンはすぐさま、地面に倒れた。傍らにいたものたちは、自分たちがノラーンの砕けた頭部の下に血の海が広がるのを見たときには、もうノラーンは意識がなかっただろうと言う。

 3つ目の銃弾は女の子のカバンを貫き、脊髄からほんのすこし手前のところで、カバンの中の紙ばさみによって止まった。銃弾が襲ってきたとき、11歳のサルワ・アル=ハリファはノラーンの隣に立っていた。サルワは流血の時間を彼女の年齢にふさわしくない冷静さで描写した。「銃弾はノラーンの鼻から入って、首から飛び出してきたわ。私たち、みんな、身をかがめたの。他に数発が窓と向こうの学校の壁に当たったわ」

 事件の翌日、イスラエル当局は初期の調査によって、ノラーンを殺したのはイスラエルの狙撃兵ではなく、メッカへの巡礼者の帰国を祝って歓喜に涌いていたパレスチナ警察からの銃撃だとわかったと述べている。


穴だらけの壁

 しかし、住宅地からは遠く、イスラエルの狙撃塔から600mしか離れていないところにあるこのUNRWAの学校の穴だらけの壁は、別なストーリーを物語る。

 「ここの周囲にはなにもいませんでした。そして、あの日、私たちが知っている祝福を受けた巡礼者もいません。ここには数百メートル離れたところにイスラエル軍の出張基地があるだけで、そのうちのひとつからはたびたび私たちの学校が銃撃を受けていました」と語るのは学校長のシハム・アル=ゴッフ。

 アル=ゴッフ校長はもし、銃撃がパレスチナ人からのものだったとしたら、銃弾はノラーンの顔を撃ち抜くことはなく、むしろ頭頂部に落ちただろうという。というのは、祝福のときは普通、ライフルを上に向けて空に発射するからだ。

 パレスチナ治安当局と国連職員の双方は銃弾の散らばり方や目撃者たちの証言はイスラエルの銃撃であったことを示していると、この校長の説明を支持している。「すべて[の証拠]がイスラエル兵がやったという事実を指し示しています。数発の銃弾が撃ち込まれましたが、それらが散らばっている状態を見ると、銃弾がやって来た方向がわかります。それは目撃者の報告で出ている、この地域内のイスラエル戦車または装甲車の位置と一致しているのです」とある役人は語った。


学校は続いていく

 このような惨事があったにも関わらず、ノラーンの学校では日常が続いている。今学期、優秀な成績を修めた女の子たちは缶入りのキャンディーをご褒美にもらうために皆の前に輝かしく出ていくというセレモニーも行われた。これは異常な状況を落ち着かせようとスクールカウンセラーが採った方法だった。しかし、ノラーンの第4学年のクラスは、祝福のムードからほど遠い。「子どもたちは休み時間に外に出ていくのも怖いのです。たくさんの子がトイレに行ってすすり泣いています」とアル=ゴッフ校長は言う。

 カウンセラーたちは子どもたちがこの最近のトラウマ(心的外傷)を克服するように働きかけている。クラスメートの死で思うことを描き出してみて、と言われたとき、ほとんどの子どもは学校に侵攻してくるアパッチ・ヘリコプターと戦車を描いた。アル=ゴッフ校長は「今は停戦中だと思うのですが、そのようなものは[ここには]ありません。私たちは今、その破片[ピース、piece]を探し出そうとしているんです」と付け加えた。


砕け散った人生

 パレスチナ自治政府は少女の銃撃に関する公式の苦情をイスラエル側に申し立てた。しかし、ノラーンの家族は娘の死について何らかの答えを受け取れそうにもない。

 ノラーンの家では、腰を下ろした母親が[いまだに娘の死を]信じられないという面もちで娘の通知票をじっとみつめていて、父親のイヤドは立ったまま、声もあげずにすすり泣いていた。

 付近にいるイスラエルの戦車が部屋の窓を砲弾で振るわせている。この音も若きノラーンの死も、たとえ「和平による平穏」があったとしても、それはラファまではまだ届いていないことを教えている。

 「ノラーンが死んだとき、私のなかの一部もまた死んだのです」と母親は言った。「ノラーンは明るい光で、それは消されてしまいました。わたしにとって、もはや平和はありません」

 

 


--------------------------------------------------------------------------------

*ライラ・エル=ハダッドは占領下にあるガザ地区を本拠にしているジャーナリスト。この記事はアルジャジーラに掲載され、許可を得てエレクトロニック・インティファーダに転載された。

原文:http://electronicintifada.net/v2/article3596.shtml

翻訳:ビー・カミムーラ

◇パレスチナ人にとって、「停戦」とは?

上の記事にもあるように、今、「停戦中」であることを噛みしめているパレスチナ人はどこにいるのだろう?という状況が続いています。たとえば、10日からの1週間に殺されたパレスチナ人は4人(うち子ども2人)。イスラエル軍の急襲は11件。封鎖、農地破壊、家宅捜索、逮捕……は数えられません。何も変わっていない!

その一部をP-navi infoのほうに書いています。派手な侵攻とは違いますが、徐々に進んでいく破壊のさまの「目撃者」になってください。

変わらない現実 ラファで青年殺される
http://0000000000.net/p-navi/info/news/200502111438.htm

「人道的でモダーンな検問所」に米国が資金援助
http://0000000000.net/p-navi/info/news/200502141905.htm

停戦後、最初の「成果」は遺体返還…
http://0000000000.net/p-navi/info/news/200502152354.htm

ミシュランより良いガイド──イスラエルの刑務所を知る
http://0000000000.net/p-navi/info/column/200502161734.htm

入植者に襲われ、人道活動家が大けが ─受難の村 (未完)
http://0000000000.net/p-navi/info/news/200502171822.htm

イラン・パペ教授、大学から追放の動きが!
http://0000000000.net/p-navi/info/news/200502181559.htm

羊にも「軍事封鎖地域」 ヘブロン近郊アットゥワニ村
http://0000000000.net/p-navi/info/news/200502210218.htm

**
他のインフォメーション:
24日昼、NHK-BSで再放送→「パレスチナ系コメディアン、NYで奮闘」
http://0000000000.net/p-navi/info/info/200502202351.htm


隔離壁についての小冊子の紹介(パレスチナの平和を考える会編)
http://0000000000.net/p-navi/info/info/200502131223.htm


--------------------------------------------------------------------------------

(編集責任:ナブルス通信)


◇P-navi info 
[ほぼ毎日更新中。編集者ビーのblog。速報、インフォ、コラム]

top menuへ戻る

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      HOME > 戦争67掲示板



フォローアップ:


 

 

 

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。