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法匪という言葉は、「偽」満州国の土地強奪などに関して、中国人が、日本人を批判した際の言葉である。
今、シャロンが云々しているパレスチナ人の居住区破壊、中止か中断かの根底に潜むイスラエル国家の法匪的策略に関する基礎知識を提供する。
以下は、拙訳、『偽イスラエル政治神話』からの関係箇所の抜粋である。
この背後に、ホロコーストの大嘘による国際社会(英語使用国だけでそう称している)丸ごと抱え込みの世論形成がある。
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http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise-24.html
緊急Web無料公開『偽イスラエル政治神話』(その24)
2章:20世紀の諸神話(その12)
4節:"民なき土地に土地なき民を"の神話(その2)
[イギリス委任統治時代の“緊急事態法”を活用]
一九四三年の公共的利益のための土地収用に関する布告は、イギリスの委任統治時代からの遺産である。この布告は、本来の主旨から外れて、差別的に使われている。たとえば一九六二年には、デイル・エル=アラド、ナベル、ベネで、五百ヘクタールの土地が収用されたのだが、“公共的利益”の実態は、ユダヤ人のみに取って置きの町、カルメルの創設であった。
その他の方式には、イギリス当局が一九四五年にユダヤ人とアラブ人の双方を相手にして布告した“緊急事態法”の活用がある。この法令一二四号の場合には、軍政機関に対して、“安全確保”を口実として、必要に応じ、すべての市民の権利を停止し、移動を禁止する権限を与えるものである。軍は、“国家の安全確保の理由により”、ある地区の立ち入り禁止を宣言するだけで良い。それだけで、軍政機関の許可なしには、アラブ人は自分の土地に立ち入りすることもできなくなる。もしも、この許可が拒絶されたならば、その土地は以後、“耕していない”と認定される。すると今度は、農業大臣が、この土地を、《耕していない土地の耕作を保障するために接収する》ことが可能になるのである。
この残酷なまでに植民地主義的な法令一二四号は、イギリス当局が一九四五年に、ユダヤ人のテロと戦うために布告したものなのだが、その際、法律家のベルナル・(ドヴ)・ジョセフは、この“王印命令書”[投獄、流刑を告げる王の捺印入り羊皮紙文書]の仕掛けに抗議して、つぎのような声明を発した。
《われわれは皆、行政的テロを耐え忍ばなければならないのか?……いかなる市民にも、裁判抜きに一生を牢獄で暮らす危険を避ける手立てがない。……誰彼なしに追放する行政権力の権限は無限に広がった。……たとえ何らの違反行為を犯していなくても、どこかの行政機関が、そういう判断を下せば、それがそのまま通用するという仕掛けなのだ。……》
[中略]
荒れ地の耕作に関する一九四八年の布告は、一九四九年に改正されているが、同じ精神の上に成り立っており、むしろさらに直接的な方式となっている。“公共的利益”だとか、“軍事的な安全確保”とかいったような口実を構える必要なしに、農業大臣は、すべての放棄された土地を徴発することができる。だからこそ、この布告の活用によって、テロ攻撃を受けたアラブ人が集団移住するような場合、たとえば、一九四八年のデイル・ヤシン、一九五六年一〇月二九日のカフル・カセム、またはモシェ・ダヤン[元国防大臣]が創設し、その後、長期にわたってアリエル・シャロン[同じく元国防大臣]の指揮下にあった“一〇一部隊”による“ポグロム”などの場合には、常に広大な土地が“解放”され、所有者または労働者のアラブ人がいなくなり、ユダヤ人の占有者に与えられたのである。
フェラーから占有権を剥奪する仕掛けは、つぎのような法令の組み合わせによって完成している。
一九四八年六月三〇日の布告。一九四八年一一月一五日の所有者“不在”の不動産に関する緊急裁決命令。一九五〇年三月一四日の所有者が“不在”の土地に関する法律。一九五三年三月一三日の土地取得に関する法律。その他、ありとあらゆる法的根拠が、アラブ人を彼らの土地から強制的に追い立て、その土地を強奪する行為を合法化し、ユダヤ人の入植地に変えるために動員されている。その有様は、ナタン・ヴァインストックの著書、『イスラエルに背くシオニズム』[前出]の中に、詳しく描き出されている。
パレスチナ人の農業人口の存在については、その記憶さえも、抹殺の対象となった。“無人の土地”の神話を信じ込ませるために、アラブ人の町は、家も、塀も、墓地や墓石までも含めて、ことごとく破壊された。イスラエル・シャハク教授は、一九七五年に、地区ごとの綿密なリストを作成して、一九四八年に存在した四七五のアラブ人の町の内、三八五の町が、ブルドーザーで破壊されたことを明らかにした。
《パレスチナは“無人の土地”だったのだと、イスラエル人に信じ込ませるために、何百もの町が、家も、塀も、墓地や墓石までも含めて、ブルドーザーによって、ことごとく破壊された》(前出、イスラエル・シャハク『イスラエル国家の人種主義』)
イスラエル人の入植地は、引き続き拡大された。その他にも、一九七九年には、ヨルダン川の西岸の奪回が行われたが、植民地主義者の最も古典的な伝統に従って、入植者は武装していた。
全体的な結果は、つぎのようなものである。一五〇万人のパレスチナを追い出して、“ユダヤ国民基金”の表現に従えば、“ユダヤの土地”が、一九四七年の六・五%から、現在では、パレスチナ全土の九三%に達したと発表されている。その内、国家所有地が七五%、ユダヤ国民基金の所有地が一四%である。
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