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(回答先: Re: 琉球独立党 投稿者 まんまんちゃん 日時 2005 年 2 月 14 日 10:14:36)
独立論の系譜。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~WHOYOU/shinokibun53.htm#taira
ここに琉球独立党ものってます。
活動期間は実質1970〜1972年ぐらいのようです。
琉球独立党委員長 野底(ぬか)土南氏との1982年の会見記事。その最初の部分。
質問者 平良良昭氏
問 琉球独立党の発足はいつごろでしたか?
答 1970年の夏だった。
問 そのところ中心になったメンバーはどういう方々でしたか?
答 崎間敏勝さんや私、それにヤラ君という青年が熱心だった。また復帰によって不利益をこうむる経営者たちなどがあつまって、「沖縄人の沖縄をつくる会」の動きもあった。けれどもある大物になだめられて、立ち消えになった。
問 現在のところ、外からみる限り解散状態にある様に見えますが……
答 そういう状態だな。
問 運動として続かなかった原因のうち、内部的な原因もあると思いますが、その点はどう考えていますか?
答 沖縄人の性格ではないかね。島津以来のドレイ教育で自立心を失くしてしまった。また僕は当時再婚して、子供が次々できて、子供を育てるのが先決問題になって、動けなくなってしまった。
しかし、あの時期、我々が独立を主張したことは、沖縄人のみんながみんなバカではないことを示したと思っている。これは将来必らず生きてくる。我々の当時の主張が理解される時がくる。成功しなかったという結果だけが重要なのではない。
問 今、復帰後十年たって自立ということばは当り前となり「独立」問題も考えようとする気運が芽ばえていますが、再び運動を起す考えはありますか?
答 やっぱり子供を育てるのが先決だからな……独立ということを言わなくとも地方自治をめぐっていろいろな矛盾が出ている。その矛盾に取り組んでいる。与那国の僕の土地が、土地改良事業ということで勝手に現状変更されてね、裁判に訴えて国に補償要求をつきつけ闘っている。国家財政をそういう形で窮地に追い込むのも闘いだ。反省させるのも目的だ。
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『琉球共和国ー汝、花を武器とせよ!』竹中労(ちくま文庫)。野底氏とともに活動しておられたようです。