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きょう独ドレスデン空爆追悼式典 60年…なお癒えぬ傷
ホロコーストの負い目、民間人犠牲
【ベルリン=黒沢潤】第二次世界大戦末期に連合軍の激しい爆撃を受けて廃虚と化したドイツ東部ザクセン州の州都ドレスデンで、猛空爆開始から六十年が経過する十三日、犠牲者を悼む記念式典が催される。ドイツ国民の胸中には、ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺(ホロコースト)からくる民族的負い目と同時に、自国の民間人数万人が犠牲になった憤りと悲しみも複雑に渦巻いているようにみえる。“ドレスデンの傷跡”はなお癒えていない。
ナチス・ドイツが軍事的拠点と宣言した鉄道の要衝、ドレスデン上空を二百四十機以上の英軍爆撃機が埋め尽くしたのは、一九四五年二月十三日午後十時過ぎだった。
大量の焼夷(しょうい)弾投下による炎は折からの西風にあおられて瞬く間に拡大、懸命の消火活動がひと息ついた約三時間後、五百機以上の大編隊が再び襲来した。帰還する操縦士の目には約百六十キロ離れた地点からでもドレスデン炎上の模様が見えたという。
連合軍の攻撃は熾烈(しれつ)さを極めた。明けて十四日の正午過ぎ、まだ煙くすぶる町に今度は、約三百の米軍機が激しい追加爆撃を加えた。ナチス・ドイツは中立国の同情を引こうとして二十万人が犠牲になったと吹聴した。その後の調査によると、攻撃による死者は二万五千−五万人だったという。
多くの民間人を巻き添えにした攻撃は、六十年が経過した今でも国内外で論議を呼んでいる。
連合軍側は、徹底的な攻撃で市民の士気をくじくことが戦争の早期終結につながるとする「ドゥーエ理論」を持ち出して空爆を正当化した。しかし、消火活動が活発になる時間帯を見計らって繰り返された攻撃に対しては英国内からも疑問視する声が上がっている。
一方、ドイツ国内ではホロコーストの負い目もあって連合国への批判を控えてきた感が強い。
ドレスデンが属した旧東独は、ナチス・ドイツに非難の矛先を向け、町の再建をファシズム打倒の象徴と位置づけた。
英BBC放送は「戦争は戦争。唯一の罪は最初に戦争を始めたことだ。いったん始めてしまえばルールなどない」というドレスデン市民の声も伝えているが、空爆で受けた心の傷が癒えないままの市民も少なくない。
そのドレスデンに昨秋、変化が起きた。旧東独地域で一向に好転しない高失業率を背景に、ザクセン州議会選挙で極右政党のドイツ国家民主党(NPD)が9・3%の票を獲得し躍進した。
NPDはホロコーストの象徴、アウシュビッツ強制収容所の解放六十周年(一月下旬)を目前にした議会でドレスデン空爆も同じ「大量殺戮(さつりく)」だとし、所属議員十二人がホロコースト犠牲者への黙祷(もくとう)を拒否して退席する事態が起きた。
戦後何十年もの間、ドレスデンの教会は戦争の記憶を残す“碑”として廃虚のまま残された。
その修復工事が昨年完了した教会で執り行われる十三日の式典には、ナチス・ドイツにより破壊された英コベントリー大聖堂の聖職者も参加する。また数千人の犠牲者が眠るハイデフリードホフ墓地でも、さまざまな催しが予定されている。
式典当日、市民は一万本のロウソクをともし犠牲者を悼む。独紙フランクフルター・アルゲマイネによると、ロウソクは「訓戒、平和、和解の偉大な明かり」を表すという。
http://www.sankei.co.jp/news/morning/13int001.htm