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(回答先: Re: 特別展「東京空襲・60年−3月10日の記憶−」 投稿者 木田貴常 日時 2005 年 3 月 06 日 12:52:55)
http://www.ne.jp/asahi/k/m/kusyu/yokokawakokumingakou.jpg
これはある書道家が東京大空襲の悲劇を表現した作品です。
表題 「噫横川国民学校」
この作品を書いたのは戦後世界的に高い評価を得た書道家石川有一氏です。当時東京本所区(墨田区)横川国民学校の先生だった石川有一氏は東京大空襲が行われた夜当直で学校に残っていました。その夜の想像を絶する悲惨な体験を表現したものです。氏の卓越した表現力によって東京大空襲の炎の中であえぎ苦しむ人々の姿が伝わってきます。
昭和20年3月10日 史上最大の虐殺
東京大空襲
http://www.ne.jp/asahi/k/m/kusyu/kuusyu.html
より
米軍の空襲で東京の下町中が火の海になって約1000人の人々が鉄筋コンクリート製の横川国民学校に非難をしてきました。
しかし想像を絶する火勢で窓ガラスが破壊し、校内も火の海になってしまい多くの人が焼け死にました。死体の表面が炭化するほど激しい火勢だったのです。炎にあぶられ妊婦のおなかが炸裂。胎児が露出してしまった人もいた。そこでは想像を絶する地獄絵がくり広げられたのです。石川氏も気を失うほどの生命の危機に陥いりましたが超奇跡的に生き残りました。
ドリフターズのいかりや長介さんはこの横川国民学校の出身で石川先生は彼の担任でした。いかりやさん一家は横川国民学校裏で文房具屋を営んでいましたが、東京大空襲前に一家で静岡県富士市に疎開をして難を逃れています。
(以下写真多数あり)