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03/05 07:14 改革始めたサウド家 米が圧力、テロも頻発
イスラム過激派のテロに揺れる石油大国サウジアラビア。イスラ
ム教二大聖地メッカとメディナの「守護者」を任じるサウド家が絶
対権力を握ってきた王国は、中枢同時テロ後の米国の圧力と、国内
で頻発するイスラム過激派のテロを受け、「民主化」へと重い腰を
上げ始めた。
首都リヤドで二月に開催されたテロ対策国際会議の席上、国際テ
ロ組織アルカイダの指導者でサウジ出身のウサマ・ビンラディン容
疑者が「軍事指導者から政治指導者へ脱皮しつつある」と参加者の
一人が警告した。
同容疑者は衛星放送やインターネットを通じて米国との対決姿勢
を強調し人気を集める一方、最近はサウジを含む独裁的なイスラム
諸国の政権を強く非難、政治的な影響力を持ち始めている。
イスラム教で最も戒律が厳しいワッハーブ派と結び付いた王族が
支配するサウジで二月、全国規模では初の自治評議会選挙が導入さ
れた。地方レベルにとどまるが、国民の政治参加意識を高め、政治
的閉塞(へいそく)感から若者らが過激派に傾倒するのを防ぐ狙い
がある。「民主化」の目的は王族支配の安泰維持だ。
軍事協力や石油利権を軸にしたサウジと米国の関係は今も強い。
だが同時テロ実行犯の多数がサウジ人だったことから、イスラム過
激派の土壌が批判を浴びた。イラク戦争後は非民主的な体制がやり
玉に挙がり、ブッシュ政権から改革への強い圧力を受けた。
昨年十二月、スマトラ沖地震の津波被害で、イスラム法学者の一
人が「姦通(かんつう)や同性愛への天罰」と発言、国内で強く批
判された。これまでにみられなかった現象で、アブドラ皇太子主導
のサウジ政府が「異教徒に不寛容な雰囲気を変える兆し」と受け止
められた。
しかし長年、王家と宗教界が共存関係にあったサウジでの宗教者
批判はもろ刃の剣。「王族は貧しい人々を無視し、ぜいたくざんま
いにふけっている」とするビンラディン容疑者への賛同者が増えか
ねない。改革の成否は、今後の王室と宗教界の力関係に大きく左右
されそうだ。(リヤド共同=儀間朝浩)
20050305 0714
[2005-03-05-07:14]
03/05 07:09 公開処刑、衛星TV摘発 矛盾抱えた閉鎖社会
イスラム教の聖典コーランに従って国を統治するサウジアラビア
。莫大(ばくだい)な石油収入で潤う一方、厳格な宗教的戒律が人
々の生活を律し、重罪を犯した者には斬首(ざんしゅ)による公開
処刑が執行される。君臨するサウド王家は外部世界との調和を図ろ
うとするが、閉鎖的な社会は、さまざまな側面で矛盾を抱えている
。
サウジ最高位のイスラム聖職者は昨年九月、国内でカメラ付き携
帯電話の使用や販売を禁じる宗教見解を出した。イスラム諸国では
女性が写真に撮られるのを極度に嫌うが、最高位の聖職者が「禁止
」を決めたのはサウジが初めてだ。
治安当局は間もなく、女性や治安関係施設を撮影しないことを条
件に使用を容認。今では二十代の男性が「若い友人たちは、ほとん
ど持っている」と語る。数年前、当局は衛星放送のアンテナも摘発
しようとしたが、各家庭には外国の映像がそのまま流れ込んでいる
。
保守的な宗教指導者らが取り締まりを求めても、次々と登場する
文明の機器を政府が一切排除することはもはや不可能な時代だ。
しかし、イスラム教スンニ派の中でもコーランを厳格に解釈する
ワッハーブ派と呼ばれる宗派の力を借りて建国されたサウジでは、
部族社会の慣習と相まって、保守的な伝統が根強い。
一九九七年、同僚を殺害した罪に問われた英国人女性看護師に、
斬首による公開処刑が執行されることになり、英国側から批判が噴
出した。看護師は結局ファハド国王の減軽により釈放され、帰国し
たが、欧米などとは基準が全く異なるサウジ社会の実態があらため
て浮き彫りになった。
女性の権利、行動も大きく制限されている。サウド外相は今年二
月、外務省にようやく女性を採用する方針を表明。初の本格選挙と
なった先の自治評議会選挙では、女性の参政権は認められなかった
。
その一方で「閉鎖社会」を逃れて周辺国で息抜きに興じるサウジ
人も目立つ。ある男性は昨年六月、ウェブサイト上の公開日記で、
サウジ人の国外旅行の目的は「家族連れは自由を楽しみ、女性は普
通の服装をするため」「独身男性は外国人女性と過ごし、飲酒する
ため」と書き、サウジ人の本音と建前を暴露した。
著者は二カ月後「ここでは明らかにしたくない理由」で日記をや
めた。サウジ社会の裏面を告発した著者の安否を気遣う読者のメー
ルが今もサイトに届き続けている。(リヤド共同=儀間朝浩)
20050305 0709
[2005-03-05-07:09]
03/05 07:16 目光らす宗教警察 豊かさの中、就職難も
首都リヤドの中心部に建つショッピングセンター。色とりどりの
イブニングドレスがガラス越しにきらびやかさを競う。その傍らを
、ベールをかぶらずに長い髪をなびかせた十代後半の女性四人が、
小走りに駆けていった。「外国人ではありませんね」。同行のサウ
ジ人男性が驚いたように振り返った。
街角では地元のサウジ人女性はほぼ例外なくベールで顔を隠し、
目の部分しかさらさない。夕暮れ時で、まだ買い物客が少ないビル
とは言え、四人の姿は人目を引いた。
イスラム教の戒律に厳格な土地柄で、若者たちは異性との接触を
厳しく制限され、宗教警察が目を光らす。それでも異性を求めて繁
華街をうろつく若者は多い。異性に直接声をかけることは許されな
いため「携帯電話の番号を書いた紙をそっと渡す」(二十四歳の男
性)のが最近のやり方という。
サウジでは若者の就職難も大きな問題だ。人口増加に就職口が追
いつかず、二十代前半の男性の四分の一は失業状態。政府は約六百
万人もいる在住外国人を減らし、各業種で「サウジ人化」を進めて
いる。だが勤労意欲の乏しさなどから、順調ではない。
「いい仕事でなければサウジ人にとっては魅力がない。すぐに幹
部になりたがるしね」。商店街の喫茶コーナーで会った政府職員の
トゥルキ・スバイエさん(27)は、生活に困らない同世代の人た
ちを代弁した。自らも「米国留学時代にしか自分で服を洗ったこと
がない」と語る。
だが高校生のナワフ・ムヘイディブ君(18)は「成績が悪くて
もコネでいい大学に入る者がいる」と不満をぶつけた。将来を見据
え、若者の競争が激しくなっている。自治評議会選挙の集会に父親
の代理でやってきて、熱心に演説に耳を傾けるムヘイディブ君の姿
が印象的だった。
衛星放送を通じて、国内では許されない欧米の生活様式を若者た
ちは日常的に目にしている。将来、ゆとりある生活が脅かされたと
き、不満のはけ口はどこに向かうのだろうか。(リヤド共同=儀間
朝浩)
20050305 0716
[2005-03-05-07:16]
03/05 07:16 目光らす宗教警察 豊かさの中、就職難も
首都リヤドの中心部に建つショッピングセンター。色とりどりの
イブニングドレスがガラス越しにきらびやかさを競う。その傍らを
、ベールをかぶらずに長い髪をなびかせた十代後半の女性四人が、
小走りに駆けていった。「外国人ではありませんね」。同行のサウ
ジ人男性が驚いたように振り返った。
街角では地元のサウジ人女性はほぼ例外なくベールで顔を隠し、
目の部分しかさらさない。夕暮れ時で、まだ買い物客が少ないビル
とは言え、四人の姿は人目を引いた。
イスラム教の戒律に厳格な土地柄で、若者たちは異性との接触を
厳しく制限され、宗教警察が目を光らす。それでも異性を求めて繁
華街をうろつく若者は多い。異性に直接声をかけることは許されな
いため「携帯電話の番号を書いた紙をそっと渡す」(二十四歳の男
性)のが最近のやり方という。
サウジでは若者の就職難も大きな問題だ。人口増加に就職口が追
いつかず、二十代前半の男性の四分の一は失業状態。政府は約六百
万人もいる在住外国人を減らし、各業種で「サウジ人化」を進めて
いる。だが勤労意欲の乏しさなどから、順調ではない。
「いい仕事でなければサウジ人にとっては魅力がない。すぐに幹
部になりたがるしね」。商店街の喫茶コーナーで会った政府職員の
トゥルキ・スバイエさん(27)は、生活に困らない同世代の人た
ちを代弁した。自らも「米国留学時代にしか自分で服を洗ったこと
がない」と語る。
だが高校生のナワフ・ムヘイディブ君(18)は「成績が悪くて
もコネでいい大学に入る者がいる」と不満をぶつけた。将来を見据
え、若者の競争が激しくなっている。自治評議会選挙の集会に父親
の代理でやってきて、熱心に演説に耳を傾けるムヘイディブ君の姿
が印象的だった。
衛星放送を通じて、国内では許されない欧米の生活様式を若者た
ちは日常的に目にしている。将来、ゆとりある生活が脅かされたと
き、不満のはけ口はどこに向かうのだろうか。(リヤド共同=儀間
朝浩)
20050305 0716
[2005-03-05-07:16]
03/05 07:18 ワッハーブ派
ワッハーブ派 オスマン・トルコ帝国の衰退が始まった18世紀
半ばのアラビア半島で、民族的自立を求めて起こった復古主義的な
イスラム改革運動。法学者ワッハーブが唱えた。コーランの字義通
りの解釈や神の唯一性を強調、異教徒に不寛容で、極端な禁欲主義
を説き、イスラム教スンニ派の中で最も戒律が厳しいとされる。1
744年から半島の豪族サウド家に保護され、同家の統治に宗教的
正統性を与えた。同家が建国した現在のサウジアラビアでも支配的
。イラクでのテロや、国際テロ組織アルカイダに影響を及ぼしてい
ると指摘される。(共同)
20050305 0718
[2005-03-05-07:18]
03/05 07:17 サウジアラビアの歴史
622年 イスラム教の預言者ムハンマドがメッカからメディナ
に移住(遷都=ヒジュラ)
630 ムハンマドがメッカ征服。イスラムの聖地とした
1744 ワッハーブ派にサウド家が支援約束
1902 サウド家のアブドルアジズがリヤド征服
32・9 建国
38・3 米石油会社が油田発見
82・6 ファハド国王即位
90・8 湾岸危機。多国籍軍常駐を初承認
93・12 国政への助言機関、諮問評議会が発足
95・11 国王入院
96・1 アブドラ皇太子に政務を委任
2004・3 皇太子に改革を求める嘆願書を出した知識人らを
逮捕
05・2・10 建国後初の全国規模の選挙となる自治評議会選
挙
(共同)
20050305 0717
[2005-03-05-07:17]