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(回答先: Re:ザルカウィ氏拘束騒ぎ イラク駐留米軍は否定【Kyoto Shimbun News(共同)】 投稿者 JFK 日時 2005 年 1 月 31 日 12:46:09)
「ザルカウィはファルージャで拘束されたが、解放された」[暗いニュース]
http://www.asyura2.com/0502/war66/msg/642.html
投稿者 近藤勇 日時 2005 年 1 月 26 日 19:56:13
と紹介があった内容。以下は記事全文と固定リンク。
2005/01/24付けVOICE OF AMERICAで報道された未確認情報を以下に要約して掲載:
サウジアラビア人の自爆テロ容疑者、ザルカウィ容疑者が拘束後に解放されたと主張(Saudi Suicide Bomber Claims Zarqawi was Captured, Then Released)
by アリッシャ・リュー:バグダッド:2005/01/24付けVOICE OF AMERICA報道http://www.voanews.com/english/2005-01-24-voa25.cfm
昨年12月、イラクのバクダッドで、ヨルダン人派遣団に自爆テロを仕掛けようとして拘束されたサウジアラビア人が申し立てたところによると、イラク警察は、イラクで活動する最重要テロリストのアブ・ムサブ・アル・ザルカウィを2ヶ月前に一端拘束したが、直後に解放したという。この申し立ての真偽について、米軍とイラク政府高官からの確認は得られていない。
イラク内務省から提供されたビデオディスクに記録されていた映像によれば、重度の火傷を負った自爆テロ容疑者アーマド・アブダラ・アル・シャイヤが尋問官に、昨年10月から12月の間に、自爆テロ作戦の志願者としてサウジアラビアからバグダッドに渡った道程について説明していた。
容疑者の話によると、彼はシリア経由でイラクに入国し、国境沿いで密輸業者と出会い、緊張が続くアンバー県の街ラマディまで案内され、武装集団から訓練を受けたという。ラマディはファルージャに近く、10月から11月初旬まではヨルダン出身のテロリスト、アブ・ムサブ・アル・ザルカウィの集団と他のスンニ派集団が支配していた。
シャイヤ容疑者が言うには、彼は11月の米軍によるファルージャ攻撃の際にラマディに居たとのこと。その後2週間の戦闘で、米軍とイラク政府軍は反乱軍側を制圧したが、ザルカウィは拘束を免れた。
イラク人尋問官がシャイヤ容疑者に、ザルカウィの行方について尋ねたところ、驚くべき答えが返ってきた。
「ザルカウィの状況と、行方について知っているか?」尋問官はシャイヤ容疑者に聞いた。
「知らない。だが仲間のムジャヒディンから聞いた話では、イラク警察はザルカウィをファルージャで拘束したそうだ」その後、イラク警察は拘束した人物がザルカウィであることに気づかぬまま解放したと聞いた、とシャイヤ容疑者は語っている。(以下略)
この自爆テロ容疑者の話が事実であるとすれば、米軍の指揮下にあるはずのイラク警察はなんとも大きな失態をしたものである。
ところで、この記事を読んで訳者の頭に浮かんだのは、映画「フレンチ・コネクション2」の冒頭、マルセイユ警察が麻薬シンジケートのアジトを急襲する場面だ。米国人オブザーバーとして現場に立ち会ったポパイ刑事(ジーン・ハックマン)は、逮捕劇の混乱に紛れてこっそり逃げていく黒人容疑者を見つけ、拘束しようとする。しかしマルセイユ警察の刑事部長はポパイ刑事を遮り、その男を解放させ、こう説明する:
「あの男はこっちのスパイなんだ。だから逃がしたんだよ」