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ドイツにおけるナチズムと戦争の記念碑・記念館一覧(抄)より−−−「あとがき」
http://www.asyura2.com/0502/war66/msg/881.html
投稿者 竹中半兵衛 日時 2005 年 1 月 31 日 08:25:50: 0iYhrg5rK5QpI

ドイツにおけるナチズムと戦争の記念碑・記念館一覧(抄)

Gedenkstätten und Museen fuer Opfer des Nazismus und des Krieges in Deutschland (Auswahl)

                             南 守夫 Morio MINAMI
 
http://www.europa.aichi-edu.ac.jp/minami-seminar/doitsu-sensou-kinenhi2004.01.07.htm                                                              
(中略−−−−記念館の写真・解説や碑文が多数掲載されています)

あとがき


戦争およびその時代に関する人々の記憶の仕方を示すものは多く存在する。歴史教科書の記述や首相や国家元首たちの記念演説や、あるいはまた戦争に関わった無数の人々の日常の振る舞いや戦争の記憶を語りたがらない多くの人々の沈黙自体の中にも存在する。またさらに、戦争の体験に基づいて作られた憲法や基本法をはじめとした戦後の様々な社会制度とそれに対する人々の態度の中にも間接的にまたは直接的に戦争の記憶の仕方を読みとることができる。それらの多くのものの中で、現在の社会や人々の戦争の記憶のあり方を最も端的におよび意識的に示すものの一つとして、戦争記念碑や記念館がある。ドイツの戦争記念碑や記念館について、一つの概観を得るための試みがこの一覧表である。先般の戦後五〇周年を契機に、日本でも同様な試みがあったが、それらが改めて調査および研究され、出版された。従って現時点はそのような概観を得るには好都合な機会であるといえるだろう。しかし、戦争記念館だけでも数多いが、記念碑の類は有名無名、大小あわせると無数に存在すると言っていいだろう。それらをほとんど網羅的に調査し記録しようという試みもボンのドイツ連邦政府政治教育中央局によって行われている。しかし、それらを全体として把握し、かつ個々の歴史的な重要さを評価し、そこから戦後のドイツの人々の戦争観のあり方を読みとり、まとめることはドイツ人にとっても容易な作業ではない。まして、我々外国人としての日本人にとってはなおさらである。日本でも、ドイツのいくつかの比較的有名な記念館や記念碑については紹介が行われてきている。最近の重要なものとしては、『世界の「戦争と平和」博物館』シリーズ(監修:荒井信一/早乙女勝元、日本図書センター、1997年)があり、その第一巻にポーランドと並んでドイツの12の記念館および記念碑が写真を中心に紹介されている。ここで作成した一覧表もまた、数多い記念碑・記念館のほんの一部を紹介するに過ぎないことをはじめに断っておかなければならない。戦後のドイツにおける記念碑や記念館の設置や建設のための運動はすでに長い歴史と様々な困難を経て内容的にも量的にも広く展開されてきた。そして、現在も展開されている。ここでそれらを網羅することは不可能である。せめてその特徴的な一端でも示すことができれば幸いである。

この一覧の対象に関してまずはじめに指摘しなければならないのは、ドイツにおいては第二次世界大戦とナチ体制が一体として記憶され、その犠牲者たちも合わせて追悼されているという点である。「戦争と暴力支配の犠牲者のために」という、国立の戦没者中央追悼所「ノイエ・ヴァッヘ」の碑文がそのことを端的に示している。記念館における展示においても、ナチ党の政権獲得以後のナチによる政治犯やユダヤ人たちの迫害とナチ政府が遂行した戦争とは一連のものとして展示されている。従って、この一覧表も「ナチズムと戦争の記念碑・記念館(抄)」としている。この点がドイツのにおける第二次世界大戦の記憶の仕方の基本的な特徴であるということもできる。つまり、戦争中の出来事だけを切り離して問題にするのではなく、その戦争を引き起こし推進した国家体制のあり方全体を常に問題にしてきている、ということである。むしろ、1939年9月1日のポーランド侵攻を直接の発端とし1945年5月8日の降伏に終わる5年8ケ月に及ぶ第二次世界大戦は、1933年1月30日から戦争終了までの12年余りのナチ時代の一部として取り扱われるのが通常である。第二次大戦に関して、ベルリンのカールスホルストにある独ソ戦博物館が戦争史の展示を中心としているが、その戦争の展示のあり方は、戦闘経過や武器の展示ではなく、戦争の政治的、社会的背景、ナチによる戦争中の住民や捕虜などへの暴力行為、兵士を含めて戦争中の人々の生活など、戦争を社会的な出来事として広い視点で捕らえようとする点に特色がある。また、ドレースデンのドイツ連邦軍軍事史博物館のナチ及び第二次大戦期の展示では、ヒトラー暗殺未遂事件の関係者ら軍隊内の反ナチ抵抗運動を顕彰する展示や空軍パイロットの美化=英雄化を批判する展示などが見られる。

ナチズムおよび戦争に関する記念碑・記念館の総数の把握は困難である。記念館については、歴史的に関係する場所にあり、常設展示を持ち、かつ継続的に教育や研究活動を行っているものに限定しても、60箇所余り存在する。記念碑については、数え切れない。それでも、仮に数えるとすれば、旧西ドイツに関してはドイツ連邦政治教育中央局の編集による「ナチズムの犠牲者のための追悼所」という題名の800ページを越える報告書がもっとも総括的なものとして参考になるが、地名別に記載されているその地名数だけで旧版(1987年)で800余り、1995年発行の増補新版の第一巻はベルリンを除く旧西ドイツ地域 10州のみを扱っているが、その地名数は1500近くに上っている。しかもこれは地名であって、そこには地方の小さな町もミュンヒェンのような大都会も含まれており、例えばミュンヒェンという一つの地名のもとに30余りの記念碑について記述されている。従って、実際の記念碑数は、この地名数を遙かに越える。このような量の多さそれ自体が、またそれを記録しようとする試み自体が、戦後のドイツにおけるナチズムと戦争の記憶のあり方を示していると言うこともできる。

ここに取り上げたのは、1983年から2003年の間に筆者が自分の目で見たものの中から選んだものである。掲載した写真もすべて筆者自身が撮影したものである。ドイツにおける類書を参考にしながらも、訪れた際の見聞や印象に基づいて、選択した。その意味でこれはあくまで筆者の個人的な「一覧」にすぎない。重要なものでも漏れているものがあると思うが(例えば、キリスト教抵抗運動に関するものなど)、それでもドイツにおけるナチズムと戦争の記憶の仕方を考える際の概観を得るための一つの参考にはなると判断し、あえて「一覧」という呼称を用いた。
 
分類については、地域別や成立年別、あるいは記念館と記念像と記念碑などの形態別などがあるが、網羅的ではないことを前提にして、ここでは主題別の分類を行った。つまり、当該の記念館や記念碑などが記憶し記念しまたは追悼している事柄や対象となっている人々の政治的あるいは社会的または民族的などの特徴に従って、以下のように分類した。すなわち、ナチズムと戦争の犠牲者に関する国立の公式の追悼所をはじめに置き、以下歴史的な経過を考慮して、強制収容所跡の記念館、反ナチ抵抗運動の犠牲者の追悼所、そしてユダヤ人を中心とする迫害に関する記念碑や追悼所等に分けた。共産党や社会民主党の活動家たちを中心としたナチにとっての政治的な敵対者たちが強制収容所に囚われるか、亡命を余儀なくされることにより、これらの反ナチ勢力が基本的に一掃されてから、本格的なユダヤ人迫害等もそして戦争も始まったという経過に従ったものである。そして、戦争に直接関わる記念碑・記念館を戦争史と戦死者と物的被害とに分け、最後に強制労働に関する警告・追悼碑を置いた。分類別に一覧してすぐに気づかれるのは、強制収容所跡記念館のようにドイツ人による加害を記録するものと、反ナチ・反戦抵抗運動の犠牲者の公的な顕彰碑・館が数多く存在することの二点に、我々の国の戦争記念碑・記念館との基本的な違いがあることである。

何を記念碑・記念館と見なすかは自明のようでいて、必ずしもそうではない。たとえば、ナチに殺害されたことを物語る死亡年月を刻んだユダヤ人たちの墓石は記念碑なのかそうではないのか。ベルリンの旧東地区ヴァイセンゼーには中央ヨーロッパ最大の広大なユダヤ人墓地の一つがあるが、そこに林立する、または倒れかけた墓石の数々にはテレージエンシュタット、アウシュヴィッツといった名前と1940年代前半の死亡年月が刻まれている。それらは静かに、ドイツのユダヤ人或いはユダヤ系ドイツ人たちの膨大な迫害の歴史を伝えている。或いは、ベルリンの南、ハルベの森の中には2万人を越える多くは若いドイツ兵たちの小さな墓石が並ぶ墓地がある。1945年4月下旬、戦争終結直前の戦闘での死者たちの一部である。最後まで戦うことを強要され殺されていった多くのドイツの青年たちの姿を思い浮かべさせる光景が広がっている。また、旧ベルリンの中心街の古い建物の壁には、今も多くの弾痕の跡が見られる。首都の真ん中まで戦闘が行われた歴史を具体的に伝えている。これらは、記念碑なのか、そうではないのか。そのように見ていけば、戦争とナチズムの歴史を思い起こす契機となるものはもっと様々に存在するだろう。しかし、ここで、記念碑あるいは記念館または追悼所と見なすのは、意識的に記念碑・記念館として設置されたものに限る。墓石は、その人間の生死を記念する最も古く普遍的な形式だが、その意味で最も代表的な記念碑であるが、兵士墓地もユダヤ人墓地もそれ自体はここでは含めない。ただし、そこに建てられた追悼碑等は含める。弾痕跡については、ベルリンの街角で見かけるように、その上に”PAX”という(ラテン語で「平和」)文字を付した小さな金属の枠がはめられる時、記念碑となる。                  
                   
・主要参考文献
1) Bundeszentrale für politische Bildung(Hg.),Gedenkstätten für die Opfer des  Nationalsozialismus. 2Bde,Bonn,1987/1999.  
2) Martin Schönfeld:Gedenktafeln in West-Berlin.Schriftenreihe Aktives Museum,Bd.6.Berlin,1993.
3) Kunstamt Schöneberg,Schöneberg Museum in Zusammenarbeit mit der Gedenkstätte Haus der Wannsee-Konferenz(Hg.): Orte des Erinnerns.
  Bd.1. Das Denkmal im Bayerischen Viertel.Berlin, Edition Hentrich,1994. 
4) Stefanie Endlich/Thomas Lutz:Gedenken und Lernen an historischen Orten.Ein Wegweiser zu Gedenkstätten für die Opfer des National-
  sozialismus in Berlin.Berlin,Landeszentrale für politische Bildung Berlin,1995. 
5) Stiftung Topographie des Terrors(Hg.)(Redaktion:Thomas Lutz unter Mitarbeit von M. Fields und I. Roschmann-Steltenkamp):
  Gedenkstätten für die Opfer des NS-Regimes - eine Übersicht. Gedenkstätten-Rundbrief, Sondernummer. Berlin, 1996.
6) G.E.Schafft/Gerhard Zeidler:Die KZ-Mahn -und Gedenkstätten in Deutschland.  Berlin,Dietz Verlag,1996.
 
* この一覧は『季刊 戦争責任研究』第17号(1997年秋号)に掲載したものを訂正・加筆したものである。
  1997年10月に初めてホームページに掲載し、2004年1月に訂正・加筆した。ただし、部分的な改訂及び増補は随時行われる。

   

ドイツと日本に関連する近代以後の主な戦没者追悼所・戦争記念碑・戦争記念館・平和博物館等の分類略年表
Zeittafel ueber Gedenkstaetten fuer Kriegsopfer, Kriegsdenkmaeler,Kriegsmuseen und Friedensmuseen etc. in Deutschland und Japan in der modernen Zeit (Auswahl)

愛知教育大学国際文化コース 南守夫研究室 (mminami@auecc.aichi-edu.ac.jp)

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