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社説
01月30日付
■アウシュビッツ――内なる悪魔を忘れまい
第2次大戦中、ドイツのナチス政権は欧州各地から数百万人のユダヤ人らを強制収容所に集めて殺した。なかでもポーランド南部のアウシュビッツ(現オシフィエンチム)では、毒ガス、銃殺、飢えで、100万人を超す人々が虫けらのように命を奪われた。
自分たちの優越を誇って他民族をさげすみ、他人の人権など顧みない。それがファシズムだ。人の心に潜む悪魔を呼び覚まし、行為の残忍さを忘れさせる魔力を持つ。それが極限に達すると何が起きるか。アウシュビッツが証しである。
鉄道で運ばれてくる収容者を降ろした停車場。立ち並ぶバラック。焼却炉。監視塔や有刺鉄線。「働けば自由になる」という文字が掲げられた門。解放から60年をへた今も当時のままに保存されている施設は、来訪者をうちのめす。
先週、その施設跡で解放60周年の式典が催された。欧州諸国やロシア、イスラエルの首脳らが二度とこうした大量虐殺を起こさせないことを誓った。
民族差別や排外思想を抑え、人道主義を定着させることは、廃虚の中から再出発した戦後欧州の原点である。
ドイツはナチスの戦争犯罪を深く謝罪し、それが欧州社会への復帰と戦後復興の土台ともなった。共通の憲法を制定するところまで来た欧州の統合にとっても、アウシュビッツの記憶が果たしてきた役割は大きい。
90年代、ユーゴスラビアの解体とともに民族紛争が火を噴き、殺戮(さつりく)や迫害が続いた。それに敏感に反応したのも欧州だ。欧州連合は平和維持部隊を派遣し、民主化と復興の支え役となっている。
だが、人間にまとわりつく「ナチス的なるもの」との決別は容易ではない。
排他的な右翼政党が欧州で議席を伸ばしたのは最近のことだ。ドイツでも「ネオナチ」や、ナチスの犯罪を矮小(わいしょう)化しようとする動きがある。
年月がたち、世代が移れば記憶は薄れる。国連が先週、10年前の解放50周年には開かなかった特別会合を総会で催したのも、アウシュビッツを忘れさせてはならないという危機感の表れだろう。
私たちもそれぞれの歴史を振り返り、非人道的な行為と決別するこころを新たにしたい。
アウシュビッツの生き残りである作家エリー・ウィーゼル氏は国連の式典で、世界があの大量虐殺の恐怖に耳を傾けていれば、ルワンダやカンボジアなどでの虐殺は防げたかもしれないと語った。
「ナチス的なるもの」の芽をどうやって摘んでいけばいいのか。歴史に学ぶとともに、人道主義を具体化する道を歩む必要がある。
集団殺害などの戦争犯罪人を裁く国際刑事裁判所に米国や日本が加盟し、非人道行為を抑止する力として機能させる必要がある。武力による「人道介入」をどういう条件で認めるのかどうかについても、国連で論議を急いでほしい。
60周年に取り組むべきことは多い。
http://www.asahi.com/paper/editorial20050130.html