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『亜空間通信』953号(2005/01/28)
【ホロコースト生存者はホロコーストの嘘の生き証人でフランクル『夜と霧』はガス室の嘘の証言】
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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!
幼児からの教育による思い込みの恐ろしさの典型は、日本人なら、戦前の天皇の「生き神様」である。
私は1937年生まれである。日米開戦の1941年には4歳になり、幼稚園から軍歌を歌う軍国主義教育を受けたから、その教育の恐ろしさの実感は非常に強い。
その経験の恐ろしさを踏まえて、私は、「偽」イスラエルの「生き神様」に相当するのが、「ホロコースト」だと主張し続けてきた。
拙著、『アウシュヴィッツの争点』の出版は、1995年である。
今年は2005年だから、ちょうど10年が経過した。「苦節10年」、「10年一剣を研ぐ」などという表現があるが、ユダヤ人の極右を中心とするネオコン主導のアメリカでは、イラク「戦争」が、「イスラエルのための戦争」と言われるようになり、イスラエルの極右首相、シャロンの実像が、世間に広まるにつれて、拙著の主張の支持者は、激増の一途を辿っている。
今年は、「捲土重来」の年と位置付けている。これまたちょうど、今年は、ソ連軍がアウシュヴィッツに到達し、「解放」とも「占領」とも表現される年、1945年から60年の節目だから、「ホロコーストの大嘘」がまたも、体制派、対米従属、シオニストの先兵の大手メディアによって流され、不勉強な「偽の友」の左巻きが、それをせっせと広める愚かな風景も、そこここに展開されている。
私は、「すべてを疑う」原則の阿修羅戦争掲示板の常連だが、そこにも、ホロコースト狂信者が、まだいる。新聞の御用記事を、せっせとコピーして、投稿するマニアが、あとを絶たない。
私は、そういう不勉強な思い込みの投稿に、即座に反論する。それがすぐに出来るのは、過去の苦い経験から、工夫を凝らしたからである。
10年ほど前には、ほとんどが不勉強な「偽の友」の左巻きの電子手紙広場(メーリングリスト)、AMLで、大量のメールを送り付けてくる「メール爆弾」によって、パソコンを2度も破壊された。壊されなくても、反論に追われて、時間の無駄も甚だしかった。
この経験から、拙著の『アウシュヴィッツの争点』、拙訳の『偽イスラエル政治神話』などを、電網宝庫(ホームページ)で発表し、それを自分自身が検索して、即座に利用できるようにした。
この亜空間通信の記事も、その手法である。
以下が、今の今、「ホロコーストの生き残り」に関する投稿への反論として、電網宝庫から引き出した記述である。
裁判では、相手方が提出した証拠、証言を、厳密に吟味すると、それ逆に、有利に使える。いわゆる「敵性証拠」の活用である。これは決定的な証拠なのである。
以下は、その典型である。ホロコーストの証拠として、大々的に利用されてきた『夜と霧』は、全く逆に、「ガス室」の偽装と主張されるシャワールームで、「湯を浴びた収容者の証言」になるのである。
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http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus-49.html
『アウシュヴィッツの争点』
第6章:減少する一方の「ガス室」
(その49)前線発表報道の「ガス室」は「発疹チフス」予防の消毒室だった
「ガス室」の存在については「物的証拠」の発見以前に、第二次大戦中から「戦時宣伝」がはじまっていた。
ところが不思議なことに、戦争末期、または戦後の、「物的証拠」の発見の経過をまとめた資料が、どこからも発見できないのである。どの資料を見ても、いきなりニュルンベルグ裁判からはじまっている。仕方がないので、国会図書館で当時の『ニューヨーク・タイムズ』のマイクロフィルムを検索してみた。本来ならば、アメリカの図書館や公文書館に長期間通って、可能なかぎりの情報を収集すべきところなのだが、本書では中間報告にとどめざるをえない。
関連記事をいくつか発見できたが、これがまた不思議なのである。死体の山の写真があったり、「ドイツの恐怖の収容所」とか「ドイツの残虐行為の証拠」とかいう見出しや、写真説明があるのに、「ガス室」という言葉はでてこないのである。「アウシュヴィッツ収容所が“もっとも恐ろしい”」(45・4・29)という見出しのベタ記事もあったが、その内容は「元アウシュヴィッツ収容者」のラジオ放送の談話の再録であって、「犠牲者が焼き殺された」ことが“もっとも恐ろしい”経験の具体例になっている。これも「ガス室」ではないのだ。この記事の日付は、アウシュヴィッツ収容所がソ連軍によって解放されてから三か月後である。
すでに本書の八四ページに載せた写真(web公開では省略)の説明で、ダッハウ収容所の「消毒室」を「ガス室」と間違えていた経過を紹介した。この写真のような「物的証拠」がたどった経過も調べなおす必要があるだろう。
『世界大百科事典』の「発疹チフス」の項目では、「シラミが寄生するような衛生状態の不良なところに流行が発生し、〈戦争熱〉〈飢饉熱〉〈刑務所熱〉〈船舶熱〉などの別名でも呼ばれた」とし、「第二次世界大戦でも発疹チフスは将兵をおそい、多くの日本軍兵士の命を奪った。さらにアウシュヴィッツなどのナチスの捕虜収容所でも大流行」したと説明している。
ユダヤ人の強制収容それ自体も残虐行為である。だが、わたしにも、戦後の中国からの引き揚げ家族の一員としての、ささやかな収容所経験がある。当時の衛生環境の収容所で、発疹チフスが発生したら大変な騒ぎになっただろうと思う。日本に帰国して上陸したとたんに、大男のアメリカ兵に頭から袋をかぶせられ、DDTの噴射で全身真白にされたものだ。
となると大量の死体だとか、はだかの人の群れだとか、衣服や髪の毛の山だとか、これまでに何度も見た写真などの各種の資料についても、つぎのような説明が自然に思えてくる。
「発疹チフスの流行下でユダヤ人を大量に強制移送したドイツ軍は、かれらを収容所にいれる前に、それまで着ていた衣服を全部ぬがせ、シラミの卵がうえつけられている可能性のたかい髪を刈り、シャワーを浴びさせた。衣服は別室にまとめ、殺虫剤チクロンBで薫蒸することよってシラミを駆除した。チクロンBと薫蒸室には、毒物の危険を知らせるために、どくろマークがつけられた」
具体例を有名なベストセラーの『夜と霧』の記述にもとめてみよう。
『夜と霧』には予備知識にもとづく想像による記述が非常におおい。だが、そればかりではない。著者の精神医、フランクルは、自分自身の直接の実体験をもくわしくしるしている。かれは、「アウシュヴィッツ到着」の直後に「消毒浴場」にむかい、親衛隊員から「二分間でお前達は全部衣類を脱がなければならん」と命令された。「他の部屋」で「毛をそられた。頭髪ばかりでなく、身体中残らず毛をそられてしまった」。「それからシャワー室に追いこまれた。われわれは整列した」。フランクルは恐怖をおぼえる。だが、「シャワーの漏斗から実際に」、(毒ガスではなくて!)、「水が滴り落ちてくるのを認めて喜んだ」のである。さらにフランクルは、シャワー室で「冗談を言いかわし」た理由として、「もう一度言うが、シャワーの漏斗から実際に水が出てきたからである」とまで、くりかえし書いている。
フランクルはこのように、「消毒浴場」が本物であることを証言しているのだ。
さらには、もう一つの謎もこれで一挙にとける。その謎とは、なぜ、これらの「衣服や髪の毛の山」とか、「どくろマーク」つきの「チクロンB」とか、おなじく「どくろマーク」つきの部屋とかが、そのまま強制収容所にのこされていたのかという謎である。それらの遺留品や設備はこれまですべて「ホロコースト」の物的証拠だと主張され、世界中の「ホロコースト記念展」などで写真や実物の展示までされてきた。だが、本当にそれだけの凶悪な犯罪の物的証拠ならば、なぜドイツ軍は、日本軍の七三一細菌部隊がそうしたように、撤退にさいしてそれらを破壊または焼却しようとしなかったのだろうか。この破壊作業は、要塞なみに頑丈につくられた鉄筋コンクリートの建物を相手にした七三一部隊の場合よりも、はるかに容易だったはずである。
「髪の毛」にはとくに、古今東西で「遺髪」としてあつかわれてきた性格があるから、微妙な感情的問題をはらむ。さきに紹介した『レクスプレス』(国際版95・1・26)にも、アウシュヴィッツ博物館の国際評議会内に、その展示の是非についての異議があるなどという経過がしるされている。ソ連軍による「発見」以来の経過も複雑なようである。
わたし自身には、アウシュヴィッツ博物館で大学教授のヴォランティア案内役の説明をうけたときの、予想外の経験がある。わたしは、展示されている「髪の毛」について、人形の髪の毛用の「繊維」ではないかという説があるのを知っていたので、ガラス窓ごしにしげしげと眺めていた。外観はたしかに、その説の通りで、まったく同じ亜麻色、まったく同じ太さである。さまざまな人々の髪の毛が混在しているという感じはしなかった。すると、わたしが質問したわけでもないのに案内役の大学教授は、「ガス室で殺された人の髪の毛なので、ガスの影響で変質して同じ色になっている」と説明したのだ。
そうなのかもしれない。わたしには、これ以上の知識はない。だが、その場合、「シラミ取りの消毒をするからという口実で髪の毛を刈った」という従来の説明とは、完全に矛盾してくる。「生き証人」、たとえばすでに紹介した映画『ショア』にでてくる理髪師アブラハム・ボンバなどの証言は、どう解釈すればいいのだろうか。かれは、「ガス室」にはいる前の裸の女の髪の毛を刈ったと語っている。「女の髪の毛の注文があった。ドイツに送られたのだ」というのが、かれの説明だった。
現存の「ガス室」については、すでにアウシュヴィッツIとビルケナウの、たったふたつの実物に疑問があることを紹介した。ビルケナウには、「ドイツ軍が撤退にさいして爆破した」という説明の廃墟がある。これも『ロイヒター報告』の調査対象にはいっているが、「爆破」についてのくわしい経過や、元の設計図が残っているのかどうかなどの状況が、よくわからない。『ロイヒター報告』では、現在の廃墟の規模から計算して、もしもそれが「ガス室」だったとしても、最大に見積もって「一〇万人」そこそこを殺すのがやっとだろうと主張している。この数字は、すでに紹介したニュルンベルグ裁判の証拠「L・022」が主張する二年間で「一七六万五〇〇〇人」の一〇分一にもならない。
研究論文には、巻末に紹介した「ビルケナウの火葬場IIとIII」などがある。なお、フォーリソンからの耳情報によると、ビルケナウの火葬場については絶滅論者のなかで、最初から「ガス室」として建設されたという説と、別の目的だった建物を改造したという説の、ふたつに割れているそうである。刑事裁判でいえば、検察側の意見がまとまっていないことになる。これでは、反論のしようもない。
[後略]
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このような状況から、ホロコーストを大嘘と主張する歴史見直し論者(リヴィジョニスト)は、「ホロコースト生存者はホロコーストの嘘の生き証人」だと主張し続けているのである。
私は、日本にはまだ数少ない歴史見直し論者の一人として、60周年記念に、以上の通信を発し、日本国内の掲示板に投稿する。
以上。
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≪≪≪≪≪木村愛二:国際電網空間総合雑誌『憎まれ愚痴』編集長≫≫≫≫
ある時は自称"嘘発見"名探偵。ある時は年齢別世界記録を目指す生涯水泳選手。
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電網速報『亜空間通信』(2001.09.01.創刊 2005.01.28.現在、953号発行済)
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