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(回答先: 果てしなく減り続けるアウシュヴィッツの死者:ホロコーストの嘘 投稿者 木村愛二 日時 2005 年 1 月 26 日 23:20:56)
http://www.e.okayama-u.ac.jp/~taguchi/kansai/nakatani.htm
ある医療ベッドメーカーの営業マンとして働いていた私は、ポーランドの円卓会議の模様を伝えるカーラジオを聞きながら、まだ共産主義時代だった1987年、<自由>の尊さを熱っぽく語ってくれた、彼らポーランド人のことを懐かしく思った。
そして21世紀を迎えた今年、その<自由>を手にしたポーランドで私の生活は10年目となる。この国が、そしてこの国の人たちが教えてくれたこと、それは私の訪ポ前の期待をはるかに上回るものであった。 今、1989年の共産主義の終焉を振り返ると、その要因として巷で評される経済システムの崩壊よりも、彼らポーランド人の人間としての<豊かさ>が原動力となったように思える。ポーランドはこれまで200年間、近隣の列強諸国によって苦しめられてきた。
1795年の第三次三国分割後、1918年の第1次世界大戦まで地図上から姿を消し、39年にはナチスドイツによって占領され、戦後はソビエトの衛星国と呼ばれた。この間、ポーランド人は独立回復のため、幾度となく大国に対し戦いを挑んだのである。
この<自由>の尊さを感じる背景には、人々の良心、正義感があるように思える。今、生きているポーランド人でさえ、幾度となく選択を迫られてきた。戦時中、占領してきたナチスに抵抗するか否か、迫害されているユダヤ人を助けるか否か、戦後、ソビエトのシステムに同調するか否か。生死をかけた良心の選択である。
占領されたポーランドで、ナチスドイツと戦いながらユダヤ人を救い、強制収容所へ連行されながらも奇跡的に生還し、この英雄的な行為が戦後の共産主義体制下では危険人物と見なされ、たいした職にもつけず、<自由>を手にした今、資本主義体制化で貧しい国家予算の中、わずかな年金で生活をしている英雄もいるのである。その彼らがが私たち外国人に口を揃えてにこやかにおっしゃることが、<穏やかに悔いなく死ねる。>である。ポーランド人同士の会話としては、あまりにもデリケートな話題なのかもしれない。
今、ポーランド人とユダヤ人の関係を改善しようという動きがある。自国を持てなかったユダヤ人は700年も昔、ポーランド王に入植を認められてから、この地を第2の母国として生活の拠点とした。首都ワルシャワの人口の3分の1はユダヤ系のポーランド人であったほどである。そのポーランドがユダヤ人大虐殺の舞台となった。アウシュビッツをはじめとする強制収容所である。
今日の若いユダヤ人の目には、ポーランドという国が地獄に映るらしい。これをどうやって、700年のユダヤ人の歴史を共有する国と変えていくかが今後の課題である。戦争直接被害国であったポーランドが、ユダヤ人の虐殺行為がポーランドで行われたという責任を負うことはあまりにも酷である。しかしながら、1930年代に蔓延した反ユダヤ主義を反省し、その時代の出来事を明らかにすることがその第一歩と捉えられている。
今の時代を生きる若者に戦争責任はない。ただし、将来それを繰り返さないための責任はある。これはアウシュビッツの元収容者で、今も当地で研究を続けるスモーレン氏の言葉である。現在、国立ミュージアムとして一般公開されている当地を訪れる人々のなかに、多くのドイツの若者を見受ける。学校の先生に引率されてくることが多いようだ。一度、ある先生に訪問の動機を聞いてみたことがある。今の生活に役立てるために私たちはここへやって来ます、という答えが返ってきた。ドイツには少なからず外国人移住者がいる。その人達の文化を共有し、お互いを尊重し共存できる人間性を養うことが、60年前の悲劇を繰り返さないことにつながるのだ。 こんなこともおっしゃっていた。生徒たちがこの地でいわゆる<ドイツ人>の罪と誤解しないように、しっかりとここで何が行われたか自国で勉強してから訪問する。もし、デリケートな子どもで罪を被ってしまった時、ポーランドの若者に、<あなたたちの責任でない。>と言ってもらうこともある。
アウシュビッツが人類史上、類をみない悲劇の場所であるとしたら、そこを私たちが決して越えてはならない領域として、常に人々の目にさらしておくことは重要である。そしてそこで繰り広げられた悲劇は一つの事実として存在すべきである。
私たち日本人も当地を訪れた後、再度アジアの問題を見つめ、将来のために役立てる意義を感じる。なぜなら、それは<穏やかに悔いなく死ぬ。>ための良心の選択でもあるからだ。
(なかたに たけし 2001.08.29)