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以下のわが投稿へのフォローが、UTLは戦争66板なのに、所在が不明です。
投稿の時間は、かなり遅いのです。
どうしたことでしょうか。
ホロコースト:嘘は大きければ大きいほど良い
http://www.asyura2.com/0502/war66/msg/416.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 1 月 21 日 10:31:12:SO0fHq1bYvRzo
(回答先: 「戦争をどう裁くか」NHK番組なので管理人さんに戦争板議論要望 投稿者 木村愛二 日時 2005 年 1 月 21 日 08:35:17)
ホロコースト:嘘は大きければ大きいほど良い
下の方の愚民等さんの投稿『ネオコンと宗教右派の「物語」とわれわれの現在』の中に次のような東京新聞記者 田原 牧 の言葉が引用されています。
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http://www.asyura2.com/0502/war66/msg/352.html
【引用開始】
ネオコンの思想的な大きな柱は、拙著『ネオコンとは何か』にも書いたように、レオ・シュトラウスという政治学者の思想です。シュトラウスは、ドイツ出身で30年代にナチの迫害を受けてアメリカに亡命してきた。アウシュヴィッツやホロコーストを目の当たりにした人です。シュトラウスがその後、たどり着いたイズムというのはこれは私の勝手な解釈ですが、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』に出てくる異端審問官ではなかったのか。
ネオコン中枢の人物で国防副長官のウォルフォウィッツは、シュトラウスを敬愛してやまない人ですが、マイケル・ムーアは、彼を吸血鬼みたいな不気味な存在として描いた。でも私はそうではないと思う。彼の本業は数学であり、哲学者といった趣も漂わせている。彼をみていると、ネオコンはヒューマニズムとか、そういう要素を理解した上で、あえて大審問官として振る舞っているのではないか。どんなきれい事を言ったところで、無知なる大衆はそのままでは無知なままであり、騙してでも真理を知る一握りの集団が牽引せねばならないという風に。レーニンの前衛党主義にもつながるというのは、この点なのです。シュトラウスはある種の「必要悪」というものに確信を持っている。そのベースはホロコーストです。それがネオコンと宗教右派との接点を説くカギにもなる。
シュトラウスははっきりと言っています。「(マルクスが説くように)宗教は阿片である。けれども、大衆には阿片が必要である。高貴な嘘が大切である」「下劣な真実の下で、俗世的な欲望に溺れるよりも、英雄的な妄想の犠牲になる方がよい。宗教は、政治社会にモラル・秩序・安定をもたらすのに必要である」と。
【引用終わり】
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この中で田原牧氏は『どんなきれい事を言ったところで、無知なる大衆はそのままでは無知なままであり、騙してでも真理を知る一握りの集団が牽引せねばならないという風に。』と言いながら『シュトラウスは、ドイツ出身で30年代にナチの迫害を受けてアメリカに亡命してきた。アウシュヴィッツやホロコーストを目の当たりにした人です。』と、シュトラウスの大嘘を実に純真爛漫に真に受けているわけです。ご苦労さんで。
まあ、こんな人物が日本のジャーナリズムにいる限り、日本は絶望的でしょうね。自分が『真理を知る一握りの集団』に騙されている『無知なる大衆』の一人に過ぎないことに気付こうともしていないわけですから。
確かにシュトラウスの言うように『下劣な真実の下で、俗世的な欲望に溺れるよりも、英雄的な妄想の犠牲になる方がよい。』というわけでしょう。ということは、嘘は大きければ大きいほど大衆は幸せになる、ということになります。こりゃまた、ご親切なことで! なるほど、ホロコーストは確かに『英雄的な妄想の犠牲になる』『無知な大衆』を幸せにすることでしょうね。木村さんの投稿にある頭狂大学狂授の高橋某とやらも『無知な大衆』を幸せにするありがた〜いお歴々のお一人なのでしょう。
ただ、この田原牧氏の言葉の中で『苦労が足りないリベラル・左翼』と言う箇所は日本の左翼にもズバリ当たっていますね。
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【引用開始】
それと、私たちが見落としてはいけないのは、宗教右派もネオコンもリベラル以上に苦労してきたということです。クリストルもそうですが、ネオコン系知識人たちは飯を食うことからして困難な道を歩んできた。アメリカの場合、大学の先生というのはほとんどがリベラルです。彼らは大学教員という職を持っていて、生活が安定している。映画を撮ってみたり、たまに新聞に文章を書いてみたり、その程度のことしかやってこなかった。学窓からはじかれたネオコンの連中はまず食うためにシンクタンクを作り、ハングリーな情念を抱えつつ、イズムを物質化してきた。宗教右派に至っては、もっと厳しい。この四半世紀、教会を通じた場末の草の根の運動から、強大な集票マシンを築き上げてきた。それは大変な労力だった。「明日のジョー」の主役はいつの間にか、すり替わっていたのです。どこかの国で民が飢えているのに焼肉を食ってたり、いいクルマを転がしている間に。
今回のブッシュの勝利、ネオコンや宗教右派の台頭という今日の現象をリベラルや左翼が教訓化するならば「彼らが強いのではなく、われわれが弱いのだ」という一言に尽きると思います。それは決してアメリカのみに限った話ではないでしょう。
【引用終わり】
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まあ、日本で左翼を自認する人たちはこの部分を十分にかみ締めてみるべきでしょう。
それにしても「右」も「左」も何をしていることやら! 「右」は朝日新聞を攻撃し「左」は自民党幹部を攻撃する。そりゃそれぞれにとって攻撃しやすい相手ですからね。自分の身にもさして被害は降りかからないし。ただし相手にとっては屁でもない。「右」は朝日新聞の、「左」は自民党幹部の『逆応援団』になっていることに気付かないのでしょうかね。NHKこそ体制そのものであり、「右」も「左」も体制の手のひらの上でタコ踊りを踊っているだけだ、ということに、いつになったら気付くのでしょうか。アホらしゅうてモノも言えん。