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投稿者 TORA 日時 2005 年 1 月 20 日 15:00:42:CP1Vgnax47n1s

(回答先: 朝日新聞と朝日放送を非難する (桜魂) 投稿者 TORA 日時 2005 年 1 月 20 日 14:06:38)

http://nipponsaisei.air-nifty.com/sakura/2005/01/post_32.html

ついでに追加

◆NHK「朝日の報道は歪曲」 再び抗議・訂正要求
http://nipponsaisei.air-nifty.com/sakura/2005/01/post_36.html

※本日の産経抄は、「自由は社会に対する節度、公への配慮があってこそ成り立つ。政治家の言い分との食い違いは、ぜひ検証を続けていただきたい。同時に、この国を一方的に断罪しそれを報じる「自由」が妥当だったかも、どうか考えていただきたい。」という文章を載せているが、まさにその通りである。 

自由には、「正義へ向かう自由」と、「悪に向かう自由」があるし、「国がよくなる方向への自由」と「国が悪くなる方向への自由」がある。そして、「悪に向かい、国が悪くなる方向への自由」は自由とは言わず、「堕落」と呼ぶべきなのだ。 

では、この正義とは何か、悪とは何か、国がよくなるとは何か。皆様にはお分かりだろうか。 

ここに、昨日書いた「信仰」というものが出てくるのだ。正義とか、悪とか、国益などというものは、本来人間が軽々しく決めるべきものではなく、「信仰」という事や「宗教」を前提としなければ答えは出てこないのだ。「国がよくなる方向」とは、神仏が願う国造りの事なのだ。「正義」とは神仏の正邪を分ける力なのだ。

この信仰を抜きにしては、自由というものは語ってはいけないのだ。どのような信仰でもいいと思うが、少なくとも、神仏の願いはここだろうという意識を持って考え、議論しなければならないのだ。そして、これが民主主義の大前提なのだ。 

果たして、朝日が言うところの「報道の自由」に、この「信仰」を前提とする考え方があるのか。神仏の願いはどこにあるのかということを少しなりとも考えたことがあるのか。私にはどこから見てもあるようには見えない。そして、この女性法廷をやっている連中に、少しなりともそのような意識があるとも思えない。 


今回、VAWW−NETジャパンは「女性国際戦犯法廷」についての基本的な事実を歪曲する数々の誤解について、事実の正確な理解のために声明「安倍晋三氏の事実歪曲発言について」を口頭弁論終了後に発表したが、その会場である、YMCAアジア青少年センター9階国際ホール会場入り口には、こんなものが据えてあったとか。

はっきり言って、このような人間に、自由を語る資格がないことは、皆様にも少しはご理解いただけたのではないだろうか。


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