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西正典那覇防衛施設局長(右)から普天間飛行場代替施設建設予定地の説明を受ける大野功統防衛庁長官(中央)=18日午後5時半ごろ、名護市のキャンプ・シュワブ
【名護】大野功統防衛庁長官は18日、就任後初めて来県し、名護市の万国津梁館で北部市町村長らと会談した。この中で同長官は「SACO合意を着実に進めていくことが沖縄の負担軽減につながる道」と普天間代替施設の同市辺野古沖移設を進める考えをあらためて強調した。会談で儀武剛金武町長はキャンプ・ハンセン内で進む都市型戦闘訓練施設の建設中止を要請した。同長官は山中昭栄防衛施設庁長官とともに来県し、キャンプ・シュワブから辺野古沖の代替施設建設海域を視察後に首長らとの会談に臨んだ。
岸本建男名護市長によると大野長官は会談で「SACO合意通りに辺野古移設を進めたい」と述べたといい、これに同市長は「当然のこと」との認識を示した。一方、同市長はキャンプ・シュワブ内のレンジ10重機関銃訓練、廃弾処理訓練など演習被害の軽減を要望した。
冒頭のあいさつで大野長官は「米軍の再配置問題の議論のため沖縄の基地を見て声を聞きたい」と来県の目的を述べ、米軍再編への対応に向け首長らの「意見を聞き、理解と協力を得たい」との基本姿勢を示した。
儀武金武町長が住民の不安を訴え都市型訓練施設の建設中止を求めたのに対し、同長官は「打開策を含めて知恵を絞っている」と一定の理解を示した。
辺野古沖視察で同長官は辺野古移設が「沖縄の負担軽減になる」との認識を強調。県民の8割が移設に反対する世論調査については「8割かどうかは存じない」と述べた。
(琉球新報) - 1月19日10時28分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050119-00000014-ryu-oki
午前6時30分、漁港より海上座り込みを行なうために阻止船が出港。
午前7時ごろには東村、国頭、宜野座、金武、石川の海人達が集まってきました。総勢15隻。
作業台船が来るかもしれない、その緊迫感の中で座り込みは始まります。
私はいつでも外洋に出られる用意をしていました。
海人達は「いつでも応援として俺たちを呼んでくれ。」と心強い。私達は一人ではない。多くの人達に支えられ、それにつながって行動する人達が大勢います。
海人達の誇りは沖縄の人々はもちろんのこと、全国で共に行動してくださっている全ての皆様が分かち合えるものです。
午前8時30分、辺野古漁港より作業船が出港。
外洋の警戒船も4隻出ていました。海上保安庁の警戒船も1隻。「作業台船はいまだ動きなし」との連絡を受け取る。
リーフ内でも小型船が7隻出港して、キャンプシュワブ沖で資材、作業員を乗せる準備に入っていました。
私は第四で待機し、海人達と共にヤグラを完全に包囲し、ヤグラ内も座り込みを行ない作業をさせない状況を作り出しました。
午前9時40分、資材、作業員を乗せた作業船がキャンプシュワブ沖を出港。一気に緊張が走る。
外洋に目をやると大型船がブイの移動を行なっている。作業台船の周りに着くタグボートが1隻が外洋に金武湾方向から現れ一緒に作業をしている模様でした。ブイは「応用地質」と書かれており、外洋でのボーリングのための(場所指定する)ポイントブイだと思われます。
午前10時、第一ヤグラ、第二ヤグラに作業船が近づきました。
防衛施設局は一言も言わずにダイバーを飛び込ませ、「作業する」と作業員が言う、いきなりの強行です。阻止行動に各ヤグラが移る。
第一ではパシィフィックコンサルタントが上げてある機材の作動をし、点検をしていました。それ以外の作業は阻止しています。
第二ヤグラではサンコーコンサルタントが海底のクランプの交換を強行しました。それ以上は何もさせていません。どちらもダイバーを先に飛び込ませるというやり方です。
第三のヤグラでも足場板を強行的に上げて一部を敷かれました。それ以降は阻止しています。
この作業の中で作業員の責任者が「突き落としても良い」などと発言したことに強く抗議します。暴力を黙認しただけでなく指示をしていることに他なりません。
「全員落としてでも作業する」「くくって落とせ」そんな言葉が海上で聞かれました。今までこちらには2人の人が重症を負い、10人以上が打撲などの軽症を負っています。それに対して全国的に抗議の声が上がったにも関わらずその責任を2つの業者は認めないというのか。防衛施設局は現場責任を放棄しているとしかいいようがない。
パシィフィックコンサルタントは負傷者を出したことになんの責任追及も行なわず開き直るなんていうのは許される行為ではない!!言語道断だ!!
第五は海人達の力を借り完全に作業を阻止しています。
明日は防衛庁長官がキャンプシュワブにヘリで訪れ、午後5時に辺野古を視察するとのこと。作業台船はいまだ動きはありません。
通常の作業は行なわれるものと思われます。
http://diary5.cgiboy.com/2/henokonikki/index.cgi?y=2005&m=1#17
午前6時30分、作業台船が来るか否かの状況の中で緊迫した朝を迎えています。
午前の時点では「作業台船に動きなし」と連絡が入りました。
座り込みをする人たちを阻止船で4つのヤグラに連れて海上での座り込みが始まります。
防衛庁大野長官が辺野古を視察するということもあり、防衛施設局の動きはいつもよりも鈍いものを感じました。
午前9時、辺野古漁港より作業船が出航。大型船4隻、小型船9隻。
作業船、大型船4隻は外洋でブイの設置作業をしているようでした。
リーフ内では小型船9隻はリーフ内で動きまわっていましたが、パシィフィックコンサルタントが乗った小型船4隻は外洋に出て大型船のサポートをするようでした。
サンコーコンサルタントを乗せた小型船4隻は第二、第四を回り、作業船に乗った防衛施設局から「作業をさせて欲しい」と申し出がありますが拒否します。
4つのヤグラには各4隻の阻止船が張り付き作業をさせない状況を作り出しています。
今日、第四で防衛施設局は「安全灯の確認」だけをして引き上げていきました。
第二では「クランプ(パイプをつなげる機材)の付け直し」を要求してきましたが、ボーリング調査に関わる作業は拒否することのもとで阻止しています。
午後4時作業船が海上から引き上げたのを確認し、私たちも引き上げました。
今日は比較的暖かく海の上の緊張を少し和らげてくれていました。
リーフ内での作業を完全に阻止しました!!
作業台船を追い返し、リーフ内での作業を完全に止めるという状況を辺野古海上では作り出しています。2005年の初めを私たちは完全な勝利を飾っています。
午後5時防衛庁長官が自衛隊のヘリを使ってキャンプシュワブに降り、辺野古を視察に訪れました。
那覇から名護までたったの1時間しかかからない距離をわざわざ自衛隊のヘリを使って視察する行為は本当に許せません。ブッシュがイラク攻撃の終りを宣言するために空母に戦闘機を使って降りたのと同じぐらいに許せない行為です。
ヘリ基地反対協がキャンプシュワブ前で抗議集会を開き、70名ほどの人たちが集まりました。
自衛隊のヘリが辺野古海上の視察に訪れるのを目の当たりにすることがこの基地建設が日米政府による共同のものなのだということを認識させます。
私たちが海上からヘロヘロになりながら帰ってきておなかすいたなぁなんて思っていると防衛庁長官は自衛隊のヘリを使ってキャンプシュワブに降り立ち私たちの声さえ聞かずにブセナリゾートホテルで良い飯を食べる。それだけでも差別です。
ニュースでは「辺野古視察の後でヘリ墜落事故現場の視察をする」とありました。何をするために視察しているのでしょうか。沖縄を売り渡す相談でもしにきたとしかいいようがありません。憤りを感じます。
集会では参加者から怒りの訴えが続きました。
「私たちはこの海を守るために行動を続けます。防衛庁長官は今すぐに沖縄からいなくなって下さい。」
「沖縄はあなたを歓迎しません。沖縄の海をつぶすためにきたあなたを。私たちは大野防衛庁長官が大嫌いだーーーーーーーーーー!!!!!!!怒怒」
大野防衛庁長官は私たちに笑顔で手を振っていましたが、私たちの怒りの声を聞いて顔が引きつっていました。
辺野古で一緒にがんばっている女性は東京でクルド難民の難民認定問題に関わっていた人です。
この間にクルド難民の2家族は日本政府に難民認定を求めていましたが、入管法の中では難民認定が困難と判断し、国連にほごを求め、抗議の座り込みを国連大学ビル前で行っていました。
座り込みを機動隊によって強制排除されそうになり、クルド難民の男性はガソリンをかぶって抗議の自殺まで試みました。まさに日本の難民認定問題は彼を決死の覚悟で抗議させるまで追い詰めていました。
その後、1家族に対し、国連は国連独自の難民認定(マンデート)をしました。
しかし、17日の午前11時クルド難民の男性とその長男が入管管理局に仮放免を申請に出頭したところを不当にも日本政府は彼ら2人を強制収容し、強制送還を行った。
2人がクルドに送り戻されるということはトルコ政府に彼らの生命を売り渡し、命を危険にさらすことに他ならない。拷問や処刑があってもおかしくはない。
クルド人という迫害され、差別されている民族を日本政府は受けいれないという恥じるべき前提を作りました。この国のあり方そのものが問われる問題です。
クルドの難民の家族は
「日本人を嫌いになりたくはない。しかし、どうやってこのシステムを認めろというのか!!こんな日本のシステムが人を幸せにするということはない!!」と怒りの会見を行っています。
強制送還された長男は20歳、私と同い年です。日本に来て数年の間に日本語を覚え必死になって難民認定を訴え続けていました。
残された家族には16歳の女性もいます。
こんなことは絶対に許さない。
日本には共に生活し生きているたくさんの在日の人たちがいます。日本政府はその人たちの全てを対象にクルド難民の家族を見せしめにしている。
私たちが守るべき存在はとても身近に存在しています。
彼らを殺させるわけにはいかない!!入管法の問題を含め、この国が行った最悪の行為に対して声を上げていく必要性を強く感じます。追求していく必要性を強く感じます。
クルド人難民二家族を支援する会HP
http://homepage3.nifty.com/kds/
辺野古の基地建設問題、沖縄に対する日本政府の差別的な政策は今回の出来事と根っこに同じものがあります。戦争への道を切り開くということ。戦争は人を差別するところから始まります。
今回のことを絶対に許さない姿勢を全国から示していく必要があります。基地建設を止めるという問題と同等にクルド民族の命は大事なものです。負けられない闘いがそこにもある。
http://diary5.cgiboy.com/2/henokonikki/index.cgi?y=2005&m=1#18
午前6時30分には阻止船で人を4つのヤグラまで運び海上での座り込みが始まりました。
午前の段階で作業台船は動いていないということ。
各ヤグラには東村、国頭、宜野座、石川、金武から来た海人達によって4隻以上の阻止船が囲み絶対に作業させない状況を作り出しています。
今日、防衛施設局は外洋でのポイント設置作業以外ではリーフ内で私たちの了解の上で安全灯と旗の点検をしただけで他の全ての作業を完全に阻止されています。
海の上はだんだんと寒くなってきています。
ヤグラには抗議のメッセージを書いたゴザをはり風よけをしています。
ヤグラの上から海を見るとアバサー(はりせんぼん)が集まってきています。アバサーは浅瀬に集まってエサをとる習性があるので集まってくるのかもしれません。
今日も完全に阻止しました。この間何もさせていません。すごいことです。
作業台船は中城湾に停泊しています。
金武町のキャンプハンセン内での都市型訓練施設建設を止める行動はこの間もずっと続けられています。
基地内での建設という中で金武町伊芸区の人達の闘いは厳しい中で行われています。
昨日、金武町では総決起大会が行われ、約300人もの人達が集まり声を上げました。「電気工事が始まった段階で阻止行動を強化する。」と止める姿勢を改めて訴えています。
大野防衛庁長官はサミットが行われたブセナリゾートホテルで岸本名護市長と会談し、改めて「辺野古移設を進める」と話しています。
今の辺野古の状況で「進める」なんていうことができるのか。かなり焦っていることが伺えました。
クルド難民の問題で全国ニュースにも取り上げられ始めていますが、強制送還された2人の男性は一人が警察署から釈放され、2人とも無事だということです。
国連の側から日本政府へ批判の声が上がりましたが、小泉総理大臣は言葉を濁すだけにとどまっているようです。
命の危険があっただけに「無事だ」と聞かされ一安心していますが、トルコ政府が彼ら二人に対し、どのような対応を行ったかは不確かなままです。
http://diary5.cgiboy.com/2/henokonikki/index.cgi?y=2005&m=1#19
http://diary5.cgiboy.com/2/henokonikki/