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【北京=伊藤正】中国の民主化運動が武力弾圧された一九八九年の天安門事件で政治責任を問われて失脚し、十六年近く軟禁状態にあった中国共産党の元総書記、趙紫陽氏が十七日午前七時(日本時間同八時)すぎ、心臓病のため、北京市内の病院で死去した。八十五歳だった。中国政局への直接的な影響は少ない半面、趙氏の名誉回復や「反革命暴乱」とされた事件の再評価を求める声が、死去を機に内外で高まることは避けられない情勢だ。
趙氏は昨年二月、肺炎のため北京の病院に入院し、健康不安説が高まった。昨年末に持病の心臓病が悪化して再入院し、香港の民主化団体は一月十四日に心臓発作を起こした後、昏睡(こんすい)状態に陥ったと伝えていた。
趙氏は一九一九年、北部の河南省出身。三八年に共産党員となり、主に地方の党務畑を歩み、広東省、四川省など重要地方の党委第一書記を歴任して疲弊した生産力の回復に手腕を発揮し、七九年に党政治局メンバーに昇格。首相ポストを経て、胡耀邦総書記(故人)の失脚後に総書記就任を果たし、大胆な経済改革に道を開く「社会主義初級段階論」などを提起した。
天安門事件で学生らの民主化要求を擁護する立場をとった趙氏は、「動乱と党分裂の誤りを支持した」として、戒厳令下の八九年六月に開かれた党十三期中央委員会第四回総会で失脚。後継の江沢民政権下では、すべての公職を解かれ、北京市内の自宅で軟禁状態に置かれた。
趙氏の失脚を出発点としてきた江沢民前総書記が引退したことで、胡錦濤政権の天安門事件に対する再評価に関心が集まったが、温家宝首相は昨年三月の記者会見で、事件について「果断な措置により国内情勢を安定させた」と述べ、武力弾圧を重ねて支持していた。
趙氏の失脚劇で主要な役割を果たしたトウ小平氏ら当時の長老はすでに死去、李鵬首相(当時)ら存命中の要人も大半が引退していることで、死去が政局を揺さぶる可能性は少ないとみられる。
ただ、過去二度にわたる天安門広場での街頭行動が、要人死去への追悼を引き金としたことで、政府当局は広場周辺での警戒をすでに強化している。
(産経新聞) - 1月17日16時1分更新
どう出るんでしょう?
テレビ、ラジオでの報道を規制しているようなことが他でかかれていました、以外に影響大きいのでしょうか?