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外野さん、はじめまして、こんにちは。
そして、これは、【Re: ユダヤ教徒の「ホロコースト」は仏教徒の「成仏」やキリスト教をの「昇天」「殉教」と同じhttp://www.asyura2.com/0502/war66/msg/957.html投稿者 外野 日時 2005 年 2 月 01 日】へのレスになります。
ホロコーストの資料をありがとうございます。同時に手許にある『夜と霧』の巻末の資料を参照していると、女看守とユダヤ人女性の出会いと邂逅を描いた映画『パサジェルカ』の収容所のシーンがフラッシュ・バックして来ました。
私はホロコーストを無きものとして強引に蒸し返そうとする、所謂リヴィジョナリストではありません。ただし、私の問題意識はホロコーストをユダヤ人殲滅というナチスによる単なる犯罪行為としてではなく、もう少し俯瞰して歴史的・政治的なスパンで捉えようとするところに移行しています。
収容所に強制的に押し込められ、苛酷な状況におかれたユダヤ人の惨禍を見逃すことはできないでしょう。しかし、初期にはユダヤ人の強制収容の模様を見て見ぬふりをし、末期には恰もその規模が拡大することを期したかのように、ユダヤ人が被った災厄を喧伝することでイスラエル建国のために政治的シオニストが利用したことにこそ“悲劇”の本質があると考えています。
被害者にたいするシンパシーから徒に被害者意識を誇張するばかりでは、事の本質や変質を見誤り兼ねないといった危険性を免れ得ないでしょう。たけ(tk)さんも、ひょっとしたら木村愛二さんもそうした傾向にたいし警鐘を鳴らしているのではと想いますが、断じて恣意的に問題を摩り替えてはいないと見ています。
もちろん、キリスト教原理主義者にたいするのと同様に、ゴイム(非ユダヤ教徒)の私には「カバラ」(ユダヤ神秘思想)にたいする不信感や警戒心が少なからずあります。だからと言って、ホロコーストを完全に否定するつもりはありません。それよりも、今日的で喫緊の問題は、ホロコーストを政治的に利用した政治的シオニストをはじめとする政治勢力(アングロサクソン・アメリカンが主体の)に与するのは論外として、彼らの策動を監視していくことや非力な我々が如何にそれに対処していくべきかということだと思っています。
また、会いましょう。