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(回答先: フランスはすべてのネオナチ・グループ非合法化を望む(エル・ペリオディコ):要するに反シオニズム狩り 投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 2 月 02 日 22:02:44)
「ネオナチ政党」NPDの大物がドイツ内務省のスパイだったというスキャンダ
ルがありました。この件は以前阿修羅にも出ていたような気がするのですが、
探してみても見つからなかったので、ついでに投稿しておきます。
http://web.archive.org/web/20030213074359/www.ohnichi.de/Toki/toki20.htm
http://www.ohnichi.de/ [欧日協会]
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NPD 禁止申請スキャンダル
【編集部注】 NPD弁護士マーラー[元赤軍派幹部]によれば、NPD幹部で、防諜機関V-Mannであっ また2月6日現在のラジオ情報(DLF)によれば、禁止申請書には(防諜機関がNPD
連邦議会(衆院)、連邦評議会(参院)、連邦政府の三機関が提出していたNPD(ド
イツ民族党)禁止申請についての第一回口頭弁論が、開始数日前に中止される
という事態が発生した。これは理由書の内容の一部が、防諜機関から同党内部
に潜入していたV-Mann(諜報工作員。スパイ)のアジビラ、発言等を「証言」に
して作成されていたことが発覚したためで、野党側はシリー内相[元赤軍派弁
護士]の辞任を要求している。
たFrenz は申請書類に本名だけでなく----反ユダヤのアジ文書を書いている-
---、NPD機関紙(編集)員として多数のペンネームで登場している、と言う。
に潜入させた)少なくとも5人のスパイの発言、文書が「証言」として引用され
ている。
ホルトマンはNPD役員会の一人で、ノルトライン・ヴェストファーレン支部長
であるが、同時に防諜機関(Verfassungschutz。連邦憲制擁護庁。BfV)が24年
前に同党に送り込んだスパイでもある。このホルトマンが同党の弁護士マーラー
と密会し、自分がスパイ活動していたことを告白した。密会後、ホルトマンが
BfV長官にこのことを通知したため、シリー内相は議会統制委員会を召集し、
ホルトマンがNPDでスパイ活動をしていたことを知らせ、 NPDがこの件をすっ
ぱぬいて内相更迭に利用する先を制した。
これにより、シリー内相が中心になって(憲法裁に)提出したNPD禁止手続きが
立ち消えになる可能性が増大した。
先週水曜(1月29日)の連邦議会内務委員会でシリーが真実をすべて明らかにし
ていないことがはっきりして来たためだ。
しかも、今回は(既に正体が暴露された)諜報工作員Frenz の時と異なり、シリー
内相の直接管轄下でスキャンダラスなエラー、怠慢が発生した。ホルトマンは、
内務省直轄のBfVのスパイだったからだ。
BfVはホルトマンの工作活動指導にあたり、法治国家が防諜機関に指示してい
るほぼすべての規則に違反した。ホルトマンは極右組織に潜入させた最もラン
クの高いスパイの一人であったが、元来V-Mann は「監視対象(組織)の目標、
活動を決定づける行為に参加してはならない」ことがBfV職務規定で定められ
ている。しかるに、ホルトマンがランクの高い、又は最高ランクの党の職務を
執行していたとき、BfVがホルトマンにスパイ活動の停止を命じたのは一度だ
け----、ホルトマンが1995年に暫定的に NPDの党首となった時だけ----である。
このホルトマン事件だけをとっても、《NPD禁止手続き》にどれだけの影響を
与えるかは、目下予測できない状況にある。もともと2月第2週に予定されてい
たた口頭弁論が(証拠書類として潜入スパイFrenzの文書が使われていたたため)
中止されたが、憲法裁が新たな日程を決定すれば、NPDはこのスパイ事件をこ
と細かに取り上げ、申請者(連邦議会、連邦評議会、政府)を物笑いの種にする
であろう。
憲法裁は「V-Mann 問題全体をテーマにするだろう」、と元憲法裁判事ベンダー
は警告する。政治家は「ことの重要性をいまだに認識していない。」
これは特にシリー内相について言えることだ。
シリーは木曜の内務委員会でCSU議員ウールの非難に対し、居丈高に「嘘つき
の汚名はきせさせない」と怒鳴ったが、ウールはスパイ第1号Frenz が発覚し
た後に、議会にシリーがすべての事実を明らかにしなかったことを指摘したに
すぎない。実際、シリーは----知っていながら----第二のV- Mannが発覚する
可能性の示唆すら行わず、そうした失態のもたらす影響の規模についても明ら
かにしていない。法律的理由からも、第二のV-Mannの存在について法務委員会
で発言できなかったというのがシリーの言い訳である。
そうかも知れないが、以下の発言は控えるべきであったろう。
「私には理解できず、批判すべき点は、防諜活動をおこなっている(V-Mann)が
つくり出した状況を(政党)禁止の理由として利用することだが、これは許され
ないことだ。だがそんなことは全く実施されていない。」---- これはまった
くの嘘である。
というのは、ホルトマン事件で明白にこうした事態が生じているからで、シリー
は同委員会の一日前にその報告を受けている。
連邦議会のNPD禁止申請にはよりによってV-Mannの書いた文章が「政治的に異
なる考えを持つ人間を排除する計画」のエビデンスとして引用されている。
この「破局的で、混沌とした、信じがたい内務省の失態」の処理はまだ端緒段
階にある。(ノルトライン・ヴェストファーレン州の防諜機関が担当した)フレ
ンツ事件は、州と連邦の防諜機関のコーディネーション不足の結果と善意に解
釈出来ないこともないが、この言い訳はホルトマン事件では通用しない。
連邦は初めからこの件を知っていたからだ。20年間にわたるV-Mannの指揮をし
ていたのはBfVだからだ。
V-Mann投入に対する危惧は既に早くからあった。ホルトマンが防諜機関から引
き抜かれた時、同氏は既に党役員だったからだ。1993年、州支部長になった時、
ノルトライン・ヴェストファーレン州は連邦に対し、同氏のV-Mannとしての活
動停止を要請した。これほどランクの高い幹部を情報ソースとして利用するの
は問題が多い、というのがその理由であった。
しかし同州防諜機関長官バウマンがBfV長官ヴェルテバッハと1993年10月、直
接話し合いを行った後にも、潜入スパイ活動はそのまま続行され、1995年には
コール時代の首相官房もこの件について通知を受けている。
ホルトマンは自分の信念に基づき1966年にNPDに入党した。(防諜機関が引き抜
いた当時)NPDは既にホルトマンなしにはほとんどやって行けないような状況に
あった。NPDのビラはほとんどすべて同氏が印刷し、同氏は党路線を決定する
綱領委員会の一員でもあり、大型デモを組織し、同党機関紙《Deutsche
Stimme》の編集責任者であった。このため、NPDノルトライン・ヴェストファー
レン支部は防諜機関がコントロールしていたのに等しい状況にあった。ホルト
マン(V-Mann)が支部長、フレンツ(V-Mann)が副支部長だったからで、この「ダ
ブルス」は禁止手続きに悪い結果をもたらすと思われる。
それだけでなく、ホルトマンはNPDの地域機関紙《Deutsche Zukunft》の責任
者でもあり、嫌悪をもよおさせるパンフの大部分はフレンツの筆によるもので
ある。こうしたパンフが20部以上、NPD禁止申請に(「証拠」として)添付され
ている。
ホルトマンは初めのうち党首ムスグヌークの承認を受けてV-Mannとしての活動
を行っていた。
「我々には何も隠すことはなく、我々をこの体制の敵だと考えている人間に我
党の真の意図を”直接”(仲介者なしに)知らせることは有益なので、党首は
(ホルトマンがV-Mannとなることに)同意する。」
(1978年3月16日。フーバーのホルトマンに宛てた手紙)
ムスグヌークがこの情報を後継者に伝達していなかったことは、このスパイ・
スキャンダルの奇妙な点の一つだ。
党内から密告を受けたマーラー(弁護士)がホルトマンに告白を迫り、ホルトマ
ンは1月26日に党首フォークトに対して書類で告白を行った。このV-Mannスキャ
ンダルは、法律問題だけでなく、政治的にも爆弾を抱えている。
NPD禁止申請の(論拠を)支えているスパイが他にもいるかどうか州首相が誰一
人としてはっきり知らないという状況だからだ。
(出典:《Der Spiegel》6/2002)