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(回答先: Re: テスト 投稿者 クエスチョン 日時 2005 年 10 月 10 日 00:50:37)
郵貯・簡保の自然縮小と 国家財政基盤の崩壊 〜郵政「民営化」幻想の勝利−不可避となった財政破綻〜
http://eritokyo.jp/independent/nagano-pref/kawamiya-aoki-col001.html
河宮信郎・青木秀和
掲載日2005.10.9
はじめに
「郵政民営化によって資金を民に回し、経済を活性化する」という小泉・竹中構想が喧伝されてきた。いわば「金融民活」論である。この構想に、小泉政権だけでなく、マスコミ編集者、経済評論家から、金融部門を含む財界や経済学者(の一部)まで期待を寄せているようにみえる。政権に挑んだ民主党も、本心は民営化に賛成で「預金規模の圧縮を先行させよ」という注文をつけただけであった。「郵政民営化」の方針そのものに反対したのは自民の造反組と共・社だけであった。有権者には「民営化反対」の選択肢がほぼ閉ざされていた。
しかし、この「郵政民営化」構想は救いがたい自己矛盾を抱えている。というのは、もし「官」が「民」の資金を吸い上げるのがわるいとすると、「官の長」である政府が民の資金を吸い上げることもわるいはずである。ところが、小泉政権は大量に「民」の資金を吸い上げてきた。在任4年間に、146兆円の国債を発行し、06年度の予定も合わせると180兆円になる(このほかにドル買い用の短期国債を大量に発行した)。
要するに小泉首相は、「日本一の借金王」と称した小淵恵三元首相以上に「民資」を吸い上げてきた。その当事者が「官(政府)に資金を回すな」と主張している。政府は「民資」の大量吸収、すなわち「官の悪」と自分が攻撃する政策をまる4年間続けてきた。なんの「改革」もしなかったのはなぜか。
現に「実行中の政策」と正反対の方針を、「政策目標」として掲げることが許されるのか。またその「目標」を選挙民が「現実の施政と反対だ」と気づかずに支持してしまったら、政治はどうなるのか。
要するに、現実の施政は「民資の大量吸収」、改革の目標は「民への資金還流」、そのための手段が「郵政民営化」である。この「三つ巴」が互いに矛盾しているのである。三項の相互矛盾は、なにに起因し、どのような財政・金融問題を惹き起こすのか。
本稿では、「郵政民営化による経済活性化」論が壮大な共同幻想であり、じつは財政破綻の危機を秘めた「パンドラの箱」であることを明らかにしたい。「郵政民営化」法の成立・施行を待つ間にも、政府の資金欠乏、国債の消化困難が顕在化すると思われる。
T部 「郵政」の本質−税外の政府収入 「郵営国家」の構造と問題点
そもそも「郵政」とはなんであり、なぜそれが財政と不可分なのか。これを明らかにするには、「創設以降今日まで、郵政がどのような歴史的役割を果してきたのか」を問わなければならない。折しも、郵貯・簡保の資金収縮が始まった。「改革」に先行して「官」への資金供給力が急に細った。このこと自体、郵政130年の歴史的総括を迫る変動である。
郵政の歴史を、戦前・戦中史(1875 −1945)70年の第一ラウンドと戦後史(1946−2016)70年の第二ラウンドに分けて考えよう。前者は、明治期の郵貯創設から第二次大戦期の「戦時財投」による壮絶な破産までである。戦後史は、敗戦の灰塵のなか、預金封鎖と破綻処理から再出発してから今回の「民営化」問題決着までである。中間点の破綻・再出発から60年経ったいま、改めて郵政の存亡が問われるに至った。
★1 郵政事業の本質 「民の貯蓄」を「官の収入」に転化
「郵政改革」の核心は、資金額334 兆円の「郵貯・簡保をどうするか」である。郵政3事業というが、郵貯214兆円・簡保119兆円と郵便事業とでは事業規模に2桁の差がある。郵便事業と郵便局窓口は、公共サービスとして市民生活との関連が深いが、事業規模は数兆円、郵貯・簡保からの補助金で成り立つ(郵便事業は、1871年に江戸時代の飛脚制度を取り込んでつくられた)。
郵貯預金や簡保契約は、本来預金者や契約者(民)の「個人資産」である。この段階では銀行・生保と同じである。しかし、この後の運用が異なる。政府が国債という借金証文を郵政当局にわたし、金は政府が受け取る。政府は得た現金をそのまま税金と同じように使うことができる(財政投融資制度、財投)。すなわち、政府(官)にとってはこの金(公的資金)は「税外の国庫収入」になる。
結局、「郵貯・簡保−財投」のセットは、「民の貯蓄」を「官の収入」に変える変換システムである。このシステムのおかげで、官(政府)は民から「借りた金」を「もらった金」のように使うことができる。郵貯・簡保は、戦前から一貫して国債の消化機構であった(簡保の創設は大正時代、1916年)、むしろそのためにつくられたといってもよい。なお、簡保資金は大蔵省への預託を義務づけられていなかったが(「自主運用」制度)、大蔵省の預託金運用をまねた資金運用をしていたので、一括して扱う。
結局郵政は、債務者の政府が健全であれば成り立つが、不健全であれば破綻する。国家信用のもとは政府の「徴税能力」である。この「能力」の限界は国民の税負担力(対GDPで1/3程度)である。ところが、歴史的な困難期には、政府がやみくもに国債を発行して、国民の税負担力を超えるところまで行く。これが、郵貯・簡保破綻の究極の原因である。
★2 創設から「戦時財投」の破産まで 戦前・戦中史(1875−1945)
日清・日露戦争から第一次大戦そして第二次大戦に至る戦費の調達、つまり戦時国債の購入に郵貯・簡保の資金が総動員された。政府が全戦費を税金でまかなおうとしたら、いかに軍国主義的に教育された国民でも怒る。大戦争では、全所得を徴収しても足りないからである。戦費は、「借り倒し」を前提とした借金でまかなうしかない。
各戦争における総戦費と一般会計歳出(通常の政府予算)の比をとると、日清戦争で 3.74倍、日露戦争で 4.15倍、日中/太平洋戦争で 9.16倍であった。今次大戦では、戦費を郵貯・簡保・年金、銀行・生保からの借り入れと国債の日銀引き受けでまかなった。郵貯・簡保・年金基金はあげて戦時財投にまわされ、すべて消尽した。郵政資金で造った兵器は太平洋の藻屑となり、軍需工場は空襲で破壊された[『数字でみる日本の100年』国勢社、 1991、10章]。
戦争継続の財政基盤は税金よりも郵貯・簡保に依存していた。そこを経由して、政府が国民に払った金がまた政府に戻るからである。たとえば、兵士の給与が「軍事郵便貯金」に入ると、戦時国債を経て、兵器生産や兵士給与(本人分を含む)に回った。これでは兵士が自費で戦争していたようなものではないか。税金ではこのような二重三重の使い回しはできない。
敗戦で戦時財投は当然返済不能になり、郵貯・簡保も破産した。じつをいうと、この「破産」は開戦前、軍需投資にフル動員された時点(1930 年頃)ですでに運命づけられていた。政府・軍部は、「返せなくなった」と告白して国民に謝罪するか、戦争拡大というバクチに賭けるか、の二者択一に追い込まれていたといえる。前者なら、国民は預金損失を被るにせよ、命まで失うことはなかったはずである。実際は、破産した債務者(政府・軍部)が、債権者(預金者・国民)に謝るかわりに、「国(政府・軍部)のために死ね」と命令したのである。
★3 敗戦後の破綻・清算と再建(1946−1950)
戦時国債は本来的に「不良債権」である。戦争に使った金を政府に返せと請求しても返せるわけがない。つまり、政府(債務者)は債務不履行に陥る。その結果、債権者である郵政、その債権者である預金者は預金を失う。この状況は敗戦前から不可避であった。しかし、戦争中はまだ政府信用の幻想が崩れない。敗戦で政府の無能・無責任が露呈するときに、国債が紙屑であることが白日のもとにさらされる。
郵貯・簡保の資産は「対政府債権」であるから、その価値は「債務者・政府」の信用(徴税能力)で決まる。もっとも国債額が国民の税負担力を超えると、自動的に(客観的な)債務不履行の状態になる。しかし、「政府信用の幻想」が続く間は郵貯・簡保も無事である。郵貯・簡保の「破綻」は、政府の信用というより信用の幻想が崩れた瞬間に起こった。
あとに残った問題は、政府の「債務切り捨て」、つまり預金者の貯金収奪をどうやるかということであった。日本政府は、旧植民地住民、零細預金者など弱いところにほど重い損失負担、つまり全額ないし高率の不払いを課した。他方では、軍需企業など財投資金の借り手に対しては債権放棄(返還免除)という恩典を与えた。零細預金者に不利、高額預金者や財投受益者に有利な破綻処理を企んだ。そのうえで、預金封鎖(引き出し規制)と新円切り換え、インフレによる減価を組み合わせて、ようやく累積債務を清算した[グループKIKI『どうして郵貯がいけないの』北斗出版、1993年、1章]。
このような理不尽な破綻処理が、敗戦後の混乱と占領軍の強権のもとで強行された。当然ながら、郵貯・簡保の信用も地に落ちた。信用回復・郵貯・簡保再建のために、政府は一般会計からの補償(税金による支払い保証)を含む信用保証の制度を設けた。債務者の政府が、債権者である郵貯・簡保の債権を保証する制度である。保証人(政府)の支払能力には保証がないが、ともかくこれで郵貯・簡保は信用を回復した(現在まで継続)。
なお、占領軍による戦後処理の一環として、郵貯・簡保財政投融資も「民主化」の対象となったが、これが「非軍事化」でよしとされた。その結果、旧陸海軍部がもっていた財投配分権を、大蔵省(現財務省)が一手に受け継いだ[竹原憲雄『戦後日本の財政投融資』文真堂 1988]。敗戦日本のなかで大蔵省は唯一「勝利者」であったといえる。もし大蔵省が旧軍部のモラル(の欠如)まで受け継いでいたとしたら、日本の郵政・財投は同じ過ちを繰り返しかねない。
このときの郵貯・簡保の「破綻処理」はどこがわるかったのか。それは、「債務者」である政府が恣意的な「預金切り捨て」をやったことである。通常の破産処理であれば、「債権者」(預金者・国民)が債務者(政府・旧軍事部門)に対して「破産管財人」としてのぞみ、債権の保全・回収・放棄のやり方を指示する。少なくとも、債権者間の平等を確保するだけでも格段に公正な破綻処理になったはずである。「債務者・政府による破産管財」が許されない。この原則を、今後政府破産・郵貯・簡保整理が起こる場合にも適用する必要がある。
★4 郵貯・簡保資金の成長と公共投資の拡大(1951−1974)
再生した郵貯・簡保は、敗戦後の復興、大規模公共事業、財政赤字の補填、金融破綻の処理など多岐にわたる政府支出を担ってきた。60 年代まで、郵貯・簡保は、社会的効用の高い都市基盤、産業基盤の整備に低利の融資金を供給する効果的な金融システムとして機能したといえる。敗戦日本の復興を牽引した功績はある。この「実績」に立って「政官業」利権複合体が確立し、やがて壮大な「無駄遣いシステム」に肥大した。最初から「悪」だったらここまで大きくはなれなかったであろう。
ところが、ダム建設や公団住宅建設、鉄道電化・新幹線網・高速道路網の整備など社会インフラの整備が進むにつれて、こういう公共建設部門は縮小されるべきであった。西欧諸国ではこの経過を辿った。つまり公共投資の必要性が減るにつれて、公共工事の規模も縮小された。現在、これらの国では公共投資の対GDP比は日本のほぼ半分である。
(なお、アメリカは特殊で、必要不可欠な公共投資もやめて「軍事投資」に集中した。05年8月のハリケーン被害はその結果である。「民営」主義国家の末期症状である。)
ところが、日本では逆に、不要不急の大規模公共事業が止めどなく拡大した。なぜか。郵貯・簡保に「過剰な資金」が溜まり、それを「公共投資」に使える制度があり、そのような政策が続けられたからである。80年代まで続いた所得水準の向上とそれを標的にした利用限度額の引き上げで、郵貯・簡保は銀行・生保を圧倒する集金力を獲得した。郵貯・簡保と年金基金の3機関に溜まる資金が、民間の銀行に溜まる全資金量と拮抗しうるようになった。
大蔵省(当時)は郵政資金、つまり税収なみの「税外国庫収入」を得て、これを是が非でも「運用」すべき立場に立った。あり余る金をどう使うかに苦慮することになった。しかし、「この金を返済不能な貸し付け」に使ってはならないというのが、戦前史からの教訓であったはずである。しかし、財投運用先の是非が問われることはなく、大蔵省は専権的にこのような運用を続けた。
★5 財政投融資の腐敗から地価バブルへ(1975−1990)2005.09.20
郵貯・簡保に集まる金を使い切るのが財投の役割となると、大規模な建設工事に投じるのが最も能率的である。1980年に18兆円を超え(1人当たり約18万円)、なお増えつづける財投資金を大蔵省の資金運用部(理財局)が使い切るのは大変だったにちがいない。
建設省(当時)は「大量無駄遣い」の起案能力で他省庁を圧し、大蔵省の“頼もしい盟友”となった。長良川河口堰(1800 億円)、諫早湾干拓(2500億円)、徳山ダム(3000億円)など、環境破壊だけで効用ゼロの工事が、もっぱら「資金需要大(高コスト)」という理由で採択されたのではないか。この段階で、「財投使途の有効性や返済可能性を問わない」というモラルハザードが全開になったように思われる。
ところが、無制限な乱費に耐えると思われた財投が、不採算な建設投資の累積で、「財投対象機関」の財政を圧迫しはじめた。財投対象機関とは、旧国鉄などの特殊法人、地方自治体、ついで政府、つまり大規模な公的組織すべてである。この1980年代初頭の時点で、財投総体、郵貯・簡保のありかたが問われるべきだった。
個々の財投受け入れ機関は「返済義務」を免れない。だから、不採算な巨大投資をすれば、返済義務で首が回らなくなる。国鉄(旧)が38 兆円の累積債務を抱えて倒産したとき、それは「財投という仕組み」総体の破綻を意味していた。不採算の巨大建設工事(国鉄の場合は赤字地方線建設)を「政官業」の共謀で推進した。これは経済合理性を欠いており、その欠陥が露呈したのである。国鉄の状況は、すべての財投対象機関の先駆けであり典型であった。したがって、ここでは国鉄1社ではなく「郵政と財投」そのものが問われていた。
ところが、事態はあるべき方向とは逆に展開した。国鉄だけがわるい、とりわけ「国鉄労組がわるい」かのような攻撃キャンペーンが張られた。なお、これは「郵政民営化」論議における「郵便局員バッシング」の先例である。中曾根政権は、国鉄1社をスケープゴートにして「行革の目玉」とし、その裏で他の財投機関の無駄遣いを隠蔽し免責した。
国鉄「民営化」(1986 年)、「国鉄清算」(1997年)の裏でなにがあったか。「民営化」に必要な資金はすべて財投資金(郵貯・簡保等)でまかなわれた。そもそも国鉄への「過大な不採算融資」自体が、郵貯・簡保資金で行われた。そこで生じた累積損失(国鉄清算事業団の残債27兆円)をさらに、郵貯・簡保の資金で埋めた[河宮信郎・青木秀和『公共政策の倫理学』丸善、2002、10章]。
要するに、郵貯預金者の金を不採算の投融資に充て、そこで生じた損失をさらに預金者の金で補填したということになる。預金者(真の債権者)からいうと、これは預金の横領であり、取り込み詐欺である。しかし、「これは許せない、あくまで返せ」といったら、JR各社は再倒産に追い込まれる。ここからわかるように「民営化」の核心は「損失転嫁」、累積赤字の「国有化」にある。この損失転嫁が累積損失を引き受けるところ(郵貯・簡保)があってはじめて、「民営化」がなりたつ。赤字の国有化によって政府(の債務)規模はその分だけ大きくなる。旧国鉄1社の民営化で、政府は27兆円も大きくなった。
中曾根政権は、財投全般の無駄遣い体制を温存したうえ、さらに「民活」による「無駄遣い」を誘導した。「不採算な巨大開発」のために、財投資金だけではなく、民間資本も巻き込もうという政策であった。第三セクター方式と呼ばれる公共開発の新しい手段(官民共同出資の企業体)を法的に整備した。これが爆発的な開発ブームを巻き起こし、「土地・株式バブル」にまで突き進むことになった。
1980 年代後半の地価・株価バブルを牽引したのは投機的開発による地価騰貴である。本来、営利・採算にさといはずの民間企業が「採算性のない巨大開発」に殺到したのはなぜか。それは長年にわたり、財投資金が「採算性を度外視した巨大開発」を可能にし、そこで建設関連業界に甘い汁を吸わせてきたからであろう。「官」からの資金補助が出る事業なら、自動的に採算が保証されると思い込んだのではないか。
じつはその反対である。もともと採算性がないところこそ財投資金の出番だったといえる。採算無視の開発を推進してきた主役は、大蔵省・建設省コンビであった。ところが、この第三セクター方式では自治体に「開発投機」のチャンスが与えられた。全国の自治体がこぞって「三セク」投機に走り、その結末のバブル崩壊とともに財政危機に陥った(cf. 自治体の公債依存率)。
この損失補填にも財投資金が投じられ、最終的には財投による特殊法人や地方自治体に対する融資の大半が不良債権化しているという指摘がある。慶応義塾大学の土居丈朗助教授によると、これら財投機関への融資357兆円のうち、267兆円(75%)が不良債権化しているという[“特殊法人「不良債権」の実態”『文芸春秋』2003年3月号]。なおこれは、国債自体は不良債権でないとみなす範囲での試算である。
「バブル、つまり協同現象的な過剰投資」は「はじけた」のが悪いのではなく、「起こした」ことが悪い。日本経済の超長期的低迷を運命づけたのは中曾根政権である。
★9 地価バブルの崩壊から国債バブルへの転落(1991−)
80 年代の地価バブルは政府が下地をつくった。財投・民活・低金利政策の三点セットで、政府・自治体が開発ブームを先導し、地価つり上げを誘発した。地価・株価バブルの崩壊で、金融部門総体が壊滅的な打撃を受けた。この歴史的な失政で生じた金融不安と長期不況への対策に、政府は無制限と思われるほどの国公債増発で応じた。この「国債バブル」が第二の失政である。とくに2008年から国債返済の負担が破局的な規模に達する。
銀行・生保・証券会社の動揺を尻目に、90 年代の郵貯・簡保は一見順調に資金を増やした。この資金が国債バブルに総動員され、その余得で民間金融機関が救済された。「民」(金融・建設・不動産業)が郵政資金(官)に救済を求めたことは、民(金融機関)が自らの非効率的かつ無責任な資金運用の責任をとれなかったことを意味する。自己責任を全うしえない点で「官」と同じなのである。救済に投じられた「公的資金」の実体は、預金者の「私的資産」であり、公的資金の減耗は預金者の資産の毀損であった。
バブル崩壊以後の財政の実態をみるためには、年々の収支よりも累積した結果をみるほうがわかりやすい。たとえば、国債は1990 年166兆円、2005年度末で538兆円である。バブル破綻以後、372兆円増えた。そのうち313兆円は1995年から2005年の間に増えた。地方債を合わせると、ここからさらに4割増える。国・地方を合わせた一般政府債務は774兆円になる(05年3月)。10年余でGDP相当の500兆円以上増えた勘定である。このほかに年金支払いの政府債務730兆円のうち、430兆円は財源が確保されていない。そして、すでに積み立てた基金140兆円も財投に回って不良債権化している。
これだけの資金を「官(政府・自治体)」が「民」から吸い上げた。しかも、郵貯・簡保および年金基金だけでなく、銀行・生保等を通して民間からも吸い上げている。経由する機関が国営であれ民営であれ差はない。実際国債保有高でみると、郵貯・簡保、年金などから213兆円、銀行・生保など民間金融機関から229兆円を借りている。民間金融機関からの借入のほうが多いのである。
つまり、郵政という資金経路が「民」に転換したら、政府はそこから資金を吸い上げるだけの話である。最終的な資金需要(財政赤字)を満たすために、政府は官民を問わず、あらゆる金融機関を資金調達の対象としてきた。この点では、郵貯民営化は「資金の民間還流」にさえ役立たない。
問題解決に役立たない。「郵政改革」はあらゆる「構造改革」の要となるどころか、 問題解決に役立たない。
ともかく、歴代政府はこれだけの民間資金を吸い上げており、小泉政権もそれを継続し加速した。政府が実施中の政策とは反対の「政策目標」を掲げることは常軌を逸している。そして、政府が自分の財政基盤となってきた郵政を「ぶっこわす」と叫んでいる。しかもそれで人気を博している。要するに、「民の資金を民に回す」という改革目標は、小泉政権の現実の施政と反対である。さらに「郵政民営化」は資金の流れを変えるはたらきをしない。この2点だけでも、政府の政策は整合性を欠いており、意図する政策が実現することはありえない。
U部 噴出する矛盾−国債バブルの終焉
2000 年以降、国債バブルを支えた郵貯・簡保が資金収縮に転じ、国債消化の機能を失った。この時期に「郵政民営化」を掲げる政権が生まれ、かつ有権者の支持を得た。郵貯・簡保の抑制・縮小は1980年代に行うべきであった。それなら先見の明を讃えるに値した。ところが、377兆円(99年のピーク値)にも膨れ上がり、政府を筆頭とする融資先が不健全化したあとで、「民営化」と規模縮小を図るという。これがいかなる財政・金融危機をもたらすか、政府が真剣に検討したとは考えられない。
★11 郵貯・簡保の自然収縮−虚構と化した「民営化」
郵政民営化を掲げて小泉政権が登場する前に、郵政経由で「官に回る資金」に異変が生じていた。郵貯・簡保が資金縮小に転じ、かつてのように赤字財政を補填できなくなったのである。この(1) 「資金の縮小傾向」、(2)「過剰な国債保有」、そして(3)「自己資本の不足と高い不良債権比率」の3条件のために、21世紀初頭から「郵政民営化」は実質上不可能になっていた。そして、いまや「名目的な民営化」さえも危うくなった。以下に、この状況を検討してみよう。
(1) 1990年代を通して、郵貯・簡保の資金は、90年の189兆円から99年の377兆円まで、188兆円増えた。うち郵貯は90年に136兆円、 1999年に260兆円の頂点に達し、以後毎年6〜10兆円の割で減り始めた(この増え方にも問題があった−補論参照)。簡保は90年に53兆円、 2001年に126兆円に達して漸減に転じた。今後、後10年余で100兆円以上減ると予測される。(年次データの表)
資金を得る政府側からいうと、郵政は90年に通算188兆円の収入をもたらし、反対に2000年代の十数年間に百数十兆円の支出要因になるだろう。1990年から2015年で通算すると、300兆円以上の収入減マイナスになる。政府財政はこの衝撃に耐えるであろうか。
戦後伸び続けた郵貯・簡保がなぜ縮小し始めたか。まず団塊世代が「貯蓄する階層」から「貯蓄を取り崩す階層」に移行しつつある。さらに、金利低下による利子再預金(元加利子という)の減少および不況長期化による所得減・払戻し増も響いている。簡保もまた、新契約による入金よりも契約者の死亡による支払いが増える時代になった。いまや郵政公社は資金の需要者であり、年10兆円規模で「払戻し原資」の現金が必要となった。
この変動は社会構造上に生じた傾向で、政策で動かせるものではない。そして、この変動が国家財政を根底から揺るがす。過去130年間、敗戦後の異常期を除いて、郵貯・簡保は「税外の政府収入」であった。しかし、「収入」扱いにできたのは増え続けたからである。逆に収縮に転じれば、「支出」になる。すなわち、預金高の純減分は「予算外の政府支出」になる。なぜそうなるか。
郵政公社は、預金者の預金払い戻しに現金を用意しておく必要がある。このとき、他の預金者から預かる現金を「払戻し原資」に回してすむならば差し当たり問題がない。しかし、新預金をすべて払い戻し原資に充ててもなお足りないときはどうするか。資産(主に国債)を売って現金にするか、借り手の財務省から預託金を返してもらうしかない。しかし、どちらも容易でない。
まず、郵貯・簡保の国債売却は破滅的である。国債の最大の買い手が、突然年10 兆円の売り手に回ったら、国債暴落は必至である。日銀の国債買いつけ(買いオペ)が年14兆円であることを考えれば、郵政だけで買いオペの大半が食われる。だから、総務省と財務省はたとえ「郵政を民営化しても、国債の管理を続ける」ことに合意した。これは、民営・郵政会社の資産を政府の管理下に置くことを意味する。「民への資金還流」は不可能、「民営化」は名目だけに止まらざるをえない。
他方、財務省は「預託金を現金で返す」義務を負っている。しかし、財務省には現金も資産もない。郵政からの預かり金は、国債購入や特殊法人への貸し出し、手元には借金の証文(債権)しかない。その借り手がみな赤字体質で財務省に金を返せない。
財務省はこの窮地をどう凌ぐのか。じつは財務省は、特異な借り換え方式(次節参照)を案出して当座を凌いできたが、その手法の有効期限が迫ってきた。そこに、政治日程から郵政民営化が重なっている。結局「債務不履行」を免れる方途が見出せない。
資金縮小は、政府・財務省にとっても郵政自体にとっても危険であり、両者が共倒れになりかねない。この危機が先行したために、いまや名目的な「民営化」でさえ危険を伴う。これが、「郵政民営化」に対する最も基本的な障害である。
(2) さらに、郵政民営化には、過剰な国債保有と関連した制度的障害がある。郵貯・簡保の「資産」は9割がたが国公債と財務省預託金(この金利は国債に連動)である。このように、低金利の債権を主たる資産とする金融機関は本質的に「不健全」である。なぜなら、わずかな金利上昇でも巨額の資産減価が起こるからである。
国際決済銀行(BIS)は近年この危険性を銀行評価に取り入れることを決めた。BISは従来国債保有に甘い評価を与えていたが、明確にそれを修正した。06 年末にBISが導入する新国際ルールでは、「固定金利の債権を大量に抱える銀行」を規格外とみなし、「当局の監視・指導下」に置くよう要請する。この新ルールのもとでは、郵政は「民営化・会社設立」と同時に「当局の監視・指導下」に置かれるであろう。しかし、歴代政府は、郵貯・簡保の資金を食い荒らし、国債だらけにした元凶である。この政府に監視・指導を任せられるものか。
(3) また、「自己資本」の不足も深刻である。「不足」などという生易しいものではない。郵貯・簡保には、財政赤字、採算なき公共事業、金融損失、旧国鉄その他の特殊法人の累積赤字など「官・民」のあらゆる損失が流入してきた。銀行業界が自己負担すべき預金保険機構の資金の不足(保険機関としての破綻)さえも郵貯・簡保が負担してきた。民営化するには、まずこれらの損失をきちんと補償しておく必要がある。
その上さらに総資産(郵貯214 兆円、簡保119兆円)に見合う自己資本を「注入」してやる必要がある。郵政公社は総資産3兆ドル、世界最大の金融機関である。そこに溜まった累積損失を埋め、必要な自己資本を提供する機関が現れるか。ちなみに、CitigroupとみずほFG(最大級の銀行)の総資産が各1.3兆ドルの規模である。
いままで「官・民」を問わずあらゆる失敗に、郵貯・簡保が「救いの神」(公的資金の提供)を演じてきた。郵貯・簡保を「救済」する機関があるとすれば、その数倍の規模をもっていないと危ない。
結局、郵貯・簡保に見合う正味の自己資本調達は非現実的である。「政府保証」という空手形を発行するしかないのであろう。しかし、「世界最大の債務者」である日本政府が、自分の「債権者」でかつ世界最大の金融機関である「民営・郵政」の自己資本を保証するの変ではないか(これで「信用」が成り立つか)。
以上見てきたように、「郵政民営化」は実質上頓挫した。名目をどう取り繕っても、国営は続く。というより、国営としての存続も危うい。その責任は、「債権者」である郵政公社よりも「債務者」である政府にある。政府が無責任に債務を膨らませ、ついに「債務の返済」どころか「借り入れの継続」自体に困るようになったからである。
とくに、赤字財政補填の主役であった郵貯・簡保資金の新規供給が止まり、逆に資金を需要する側に回ったことは、政府・財務省にとって絶体絶命のくびきとなった。
郵政の「長期低落傾向」は、2000年の時点でほぼ確定していた。しかし、「財政危機」は即座には顕在化せず、辛うじて今日まで抑えられてきた。土壇場で危機を「先送り」したメカニズムはなんであったか。それはいつまでもつか。以下でこの問題を解いてみよう。
★12 危機先送りの「からくり」−財務省による預託金の食いつぶし
郵貯・簡保の資金縮小という新事態で、財務省は「郵貯の純増で新規国債を消化する」という伝統的な手段を失った。これを放置すると、予算の執行や編成自体が危うくなる。そこで彼らは新しい手を案出した。
すなわち、郵貯・簡保に国債を直接に「自主運用」で買わせ、それに必要な資金を預託金から現金で提供(返済)する方法である。その「からくり」は、こうなっている。
1) 財務省は、財投の回収金その他で集めた現金を郵政への預託金返済に回す。
2) 郵貯・簡保は返済された預託金で新規国債を買う。その代金が財務省に行く。
3) 財務省はそれで財政赤字を補填する。
この操作で財務省は郵政に払った現金を丸々取り戻す。これは、まるで落語の「花見酒」商法である。こうして、財務省は国債を無事消化し、それで予算の編成・執行を行う。 他方、郵貯・簡保が失ったものはなにか。現金請求権(払戻し要求権)である。この取引の意味はなにか。もともと財務省は郵貯・簡保から預った資金を「現金で返す責任」を負う(国債で返すことは許されない)。郵貯・簡保の側からいうと、「現金を受け取る権利」がある。ところが、上記の「からくり」が一巡すると、郵貯・簡保は国債を得て(もたされて)、現金請求権(預託金回収権)を失う。財務省は国債を売って、現金を得る。この取引、つまり「現金化の権利」の譲渡は郵貯・簡保側にとって断然不利である。
なぜなら、国債の現金化には大きなリスクがあるためである。郵貯・簡保が手持ちの国債を現金にするとき、「満期までまつか、金利を割り引いて途中売却するか」しかない。「現金化」には時間コストないし金利変動リスクがかかる。このリスク負担は、預託制のもとでは財務省にあったが、上記のからくりで郵貯・簡保の側に移される。現在のように引き出し超過(純減)のときには、このリスクは深刻な脅威である。新規の預金をすべて払戻金に回しても足りない。差額分を現金で用意する必要がある。
この換金コストがとくに郵貯・簡保にとって破滅的なものになる危険がある。なぜかというと、郵貯・簡保は国債購入の最大手である。ここが「買い」を止めるだけでも、国債市場に激震が起こる。まして、そこが国債の売りに回ったら、この売りに立ち向かう買い手が現れるはずがない。買い手がつかないと、現金にはできない。
他方、財務省の綱渡りにもタイムリミットがある。というのは、財務省が握る「預託金」の残高が底をつくからである。「からくり」が一巡するごとに、預託金が約30兆円減り、郵政の国債保有(直接保有分)が同額増える。今年預託金は80兆円を切った。あと2回半取り崩すと預託金高がゼロになる(預託金制度の清算)。
このとき、最後の財政トリックが封じられる。このトリックに頼って辛うじて抑えてきた矛盾−国債消化の資金源の枯渇−が一挙に露呈する。「最終期限」は2008 年3月である。折悪しく、この年は「小淵の呪い」の当年である。1998年度に小淵首相は国債発行を20兆円台から一挙に30兆円超に引き上げた。そのとき大量発行された10年国債の償還期限が来る。現在100兆円を超えて増え続ける借換債がこの年にさらに30兆円増える勘定である。
じつは「返済された預託金」こそ「官から民に回る」と試算された資金枠であった。これが、財務省の「からくり」財政でそっくり国債購入に向けられている。「郵政改革」は発進前から完全に「官−官」のたらい回し金融にロックされていることになる。
注 2001 年の「財政投融資」改革で預託制が廃止され、郵貯資金も「自主運用」になった。この改革は郵政の自主性を高め、財務省の権限を縮小する「改革」、すなわち「郵政に有利な改革」と思われた。しかし、この財政トリックをみると、財務省が財投改革・預託制廃止をたくみに利用(悪用)した形である。それでも郵政公社が財務省に唯々諾々と従うのは、「自主運用」になっても有利な運用先が見つからず、それを探す能力もないからである。このうえ「民営化」しても、運用能力が上がるとか投資環境が改善されるとは考えられない。
★まとめ
以上の考察からわかるように、「郵政民営化による経済活性化」論は現実の経済実態とかけ離れた願望にすぎない。しかし、なぜかこの言説が、政権首脳から、民主党を含む政界、マスコミ編集者、経済評論家、金融業を含む財界などを統べる壮大な「共同幻想」になった。今次選挙の結果は、この共同幻想が広範な有権者に拡がったことを示す。
じつは2000 年以降、郵貯・簡保が資金縮小に転じ、「官」に資金を流すどころか、官(財務省)に「金を返せ」という側に回った。郵貯・簡保を「資金源」と見るのはもはや錯覚である。郵貯・簡保が、資金の供給者から返済資金の請求者に転化したことは、政府・財務省にとっては埋めようのない財政欠損になる。
さすがに財務省と総務省(郵政の所管省庁)は、この「共同幻想」には与していないようにみえる。しかし、彼らは小泉首相に諫言することも、危機の実態を国民に訴えることもしない。自分たちも責任を問われるからである。財務省は、黙々と借り換えテクニックを駆使して、切迫する財政破綻を先送りしてきた。しかし結局、郵政資金の構造的な縮小にもとづく財政欠損を穴埋めすることはできなかった。財務省の財政アクロバットは「2008年の壁」を超えられないであろう。
根本的な問題は、債務者である政府の「能力」、それも債務返済の資力というより借金を続ける能力にある。これが破断限界に達したのである。これに比べると、政府の「意図」、郵貯・簡保の改組いかんやその際の政府債務の処理法は二次的な問題である。
実際、政府が対郵政の債務をまともに返済しようとすれば、財政が破綻する。しかし、逆に政府が対郵政の債務切り捨て(国債の政府管理はその第一歩)を図れば、金融危機の発現になる。どちらも、歴代政府の「国債バブル」が弾けるという点では同じで、どちらから始まっても金融・財政の連鎖破綻になる。
郵政公社が、「BISの新規準に適う健全な金融機関」になる道ははじめから閉ざされていた。日本政府という巨大な債務者を抱えていることが致命的である(巨大債務はつねに不良債務である)。だから、郵政「民営化」には、「郵政の保有する国債を政府が管理する」(自由な処分を認めない)という条件がつく。これは、市場任せでは「国債価値の維持を保証できない」という政府の告白である。
郵政民営化の国会審議で郵貯・簡保の先行きが不透明になり、新預金・新規契約が止まるとすると、それだけで連鎖破綻への扉が開く。政府は、財政・金融ともに「郵政」に頼り切ってきたから、郵政簡保の単純な資金縮小にも耐ええない。この点でいうと、民主党の「限度額切り下げ」のほうがより過激な「改革」であり、財政破綻を一挙に加速しかねない(「限度額超過分を国債に振り替える」というのでは、「官」への資金固定を深めるだけである)。
世界最大の債務者である日本政府が、自らの債務履行を棚上げにして、債権者である郵政を「悪玉」扱いにし、その改組・解体に狂奔している。あたかも財政悪化・経済停滞の責任が政府ではなく、政府に資金を供給した郵政にある、といわんばかりである。
補論
1)「郵貯収益」の虚構−利子源泉なき利払いと損失膨張
2)「民営=善」という幻想−金融業における自己責任の放棄
3)「小さい政府」という幻想−民営化の代償に政府の肥大化
1)「郵貯収益」の虚構−利子源泉なき利払いと損失膨張
90年代に混迷を重ねた銀行・生保・証券に比して、郵貯・簡保は順調に資金を拡大した。90年−99年の間、郵貯・簡保の資金は189兆円から377兆円まで伸びた。民間金融機関には思いもよらない好成績であった。しかし、その実態はきわめて「不健全」であった。
民間金融機関の危機は、借り手の企業とくに建設・不動産部門が地価バブル崩壊で壊滅的な打撃を受けたからである。借り手が利払いも元本返済できなくなれば、貸手である銀行・生保が預金者・契約者に金を払い戻すことはできない。
では、郵貯・簡保資金の借り手はバブル崩壊の悪影響を免れ、元利の支払いをしたのか。とんでもない。財投資金の借り手である政府・自治体・特殊法人などはバブルの最中でさえ、赤字であった。利払いのもとになる収益(税収黒字や経常利益)がもともとなかった。最終の借り手が利子を払わないのに、財務省は預託金に高い利子をつけ、郵政公社は預金者に高い利子をつけた。郵貯の主力、定額預金は90年代初頭にバブル期と同じ 5〜6%の利子をつけ、半年複利、10年据え置きで、市中銀行に比して桁外れの高金利を保証した。資産運用の実績(借り手の利払い)と無関係に高利を保証し、逆ザヤでも金利を払い続けた。この利子が預金元本に加算され、自動的に預金高が増えていたのである[仁科剛平『郵貯崩壊』祥伝社、1章]。
財務省に預託された資金の利子は、必要に応じて税金から「利子補給金」が支給された。しかし、税収不足になると、利払い原資も国債でまかない、その国債を郵貯等に買わせるようになった。つまり、財務省(旧大蔵省)は郵政に支払う利子の原資を郵政資金から調達していた。預金者からいうと、預金で預金利子をつけたことになる。
これはでほとんどネズミ講ではないか。90年代前半には預金自体の増加が合ったが、後半になると元加利子が預金増加の主力になった。こうなると、固定メンバーのネズミ講である。90年代郵貯残高の驚異的な伸びはこのようなからくりの所産だった。簡保もまた採算無視の新契約者サービスを売り物にして客を集めた。
2)「民営=善」という幻想−金融業における自己責任の放棄
民営化が「望ましいもの」であるためには、私営企業が自己責任を全うする存在でなければならない。公的企業・公的資金を食いものにして存続・営利を図る企業は「官」以上に悪である。
金融業の自己責任の基本は、金融破綻の救済に当たる預金保険機構に破綻処理に十分な保険金を積み立てることにある。こうすれば、ある銀行や生保が破綻しても、同業者が出し合った保険金で処理され、社会に迷惑をかけないですむ。
反対にろくな積み立てをしないで営業しているとすると、金融業界全体としては無保険で営業しているのと同然である。いわば無保険で車を運転しているようなものである。銀行・生保・証券会社などが経営業破綻した場合に、政府が「公的資金」でしりぬぐいをすることは、預金保険の機構が機能していないことを示す。
実際、いま預金保険機構への保険金納入は年5000億円、これでは地銀1行の破綻でも足が出る。同機構は相次ぐ破綻救済の結果、16兆円の債務を抱える。金融システム安定の基盤を支えるはずの預金保険機構が、年収の32倍の債務を抱えて破綻している。
郵貯・簡保はここにも融資している。つまり、無責任な「民」のしりぬぐいをしている。しかし、もし郵貯・簡保が民営会社になると、預金保険機構を救済する側からそれに救済される側になる。いまでさえ破綻している預金保険機構に対して、郵政334兆円の資金が「救済する側」から「救済される側」に回ったらどうなるか。金融部門の自立性・自己責任性はいま以上に破壊される。ここからも、郵政民営化が金融システム総体の不安定をもたらすことがわかる。
預金保険機構が赤字倒産の状態にあることは、金融業の基本的な「無責任状態」を顕している。というのも、同機構は郵貯や銀行から借りた資金を、破綻行への「自己資金補填」に使っている。しかし、この資金の持ち主は預金者である。その預金が預金保険機構を介して、破綻行の「自己資金」に転化されているのである。この資金は、渡し切りになるのであれば預金者の資産の詐取になるし、返済を要するのであれば「自己資本」ではない。他人の資金を本人の承諾なしに、自己資金にすることは業務上横領である。
たとえ救済を受けた銀行等が返済できなくても、形式的には預金保険機構が責任をもって「預金者に資金を返す」ことになっている。だがしかし、同機構にはこの支払い義務を果たす能力(資金力)がない。返すためには別の所から借りるしかない。というわけで、預金保険機構が、預金者の金を破綻行の自己資本に流用する事態が続いている。
この現状は正常ではない。しかし、問題は、民間金融機関が自己責任を全うせず、公的資金(郵貯・簡保)に救済を依存する点にある。金融機関の自己責任性の基盤は、預金保険機構に十分な倒産対策金を積むことである。本当は保険料を数倍にするのが正道であるが、銀行がその負担に耐えられない。民(銀行・生保等)が自己責任を全うし、社会に不当な負担をかけないで営業する状態にならないかぎり、「民営化」が組織の改善になる保証がない。現状では「民善・官悪」論や「金融・民活」論もまた現実離れの幻想である。
民営の郵貯会社・簡保会社ができたとしても、「資金運用」の知識・経験・能力を欠いている。大量の専門家を急遽雇ったとして、それで運用成果が出せるであろうか。じつは、本来の運用プロである銀行・生保がいまや日本国債という極端な低利債権を大量に買っている。このこと自体、ろくな運用先がないことを示している。いくら資金運用のノウハウをもっていても、投資機会が不足している。そこに郵貯資金が、流れ込んできたら銀行も困る。現状でも、有利な運用先がないのに、郵貯からの流入する資金と競合させられたらますます苦しくなる。「金融民活」どころか「金融共倒れ」が必至である。
3)「小さい政府」という幻想−民営化の代償に政府の肥大化
「巨大な公社や公団を民営化すると、行政改革になる」であろうか。かつて中曾根元首相はそう主張し、いま小泉首相が同じ発想で道路関係公団や郵政公社の民営化を進めている。これが事実に反するというより、巨大な財投機関が民営化されるごとに政府が肥大化する、といえばだれでも驚くであろう。しかし、これまでの事例はこれが事実であることを示す。
政府レベルにおける「民営化」の先例は、国鉄、電電、専売の3公社の民営化である(といってもJR東日本、西日本以外は、財務大臣の株保有で半国有のままである)。
このうち国鉄は、37.1 兆円と大きな累積赤字を抱えて行き詰まった。その赤字を抱えたまま「株式会社」にした場合、債務返済に窮して即刻倒産する。そこで、政府は「国鉄清算事業団」と「新幹線保有機構」という二つの財投機関(財政投融資から融資を受ける機関)を新設し、債務の大部分をそこに移し替えて返済に当たらせた。これによってJR各社は過酷な債務負担から免れることができ、兎にも角にも「株式会社」としての経営が成り立つようになったのである。
さて、財投機関として残った「国鉄清算事業団」はどうなったか。これは赤字を膨らませたあげく、「再国有化」された。結果として、政府はその分肥大化したのである。
すなわち、「国鉄清算事業団」は累積債務の2/3、 25.5兆円を引き受けた。この国鉄処分では、収益力の乏しい清算事業団(非稼働部門)になんと利払いを命じた。当然、この組織は借金で利払いを続け、債務を減らすどころか10年後の解散時には逆に約28兆円にまで膨らませた。政府は、この大半23.5兆円を一般会計で引き受け、結局国債に引き継いだ。「旧国鉄赤字の再国有化」である。
残りのうち4.3 兆円(年金等負担金分)を「新幹線保有機構」を吸収した「鉄道建設公団」に引き取らせた(現在では独立行政法人「鉄道建設・運輸施設整備支援機構」)。JR各社の追加負担はたった1800億円であった(実質免除)。旧国鉄が残した累積債務は、最終的にその大半が「再国有化」されたのである。それも公社有から純国有になった。
この国鉄「民営化」の核心は、官(国鉄公社)から官(政府)への債務移転にある。この債務移転には、通常の破綻処理と異なる点がある。というのは、清算と銘打ったにも関わらず、旧国鉄には債務の減免とくに利払い停止がなされていない。だからこそ「清算事業」で赤字が増えたのである。
通常の破産処理では真先に、利払い停止をかけ、続いて債務減免の協議に入る。これが「破産処理」の核心である。それをしないと、無為に赤字が膨らみ、すべてのひとが損をするからである。だから国鉄の「清算事業」は、利払いを継続させ債務減免をさせないための制度、つまり国鉄の清算をさせないための制度であった。なぜこのような異常な制度がつくられたか。それは、財投制度を(社会の批判から)守るためである。国鉄破産と対照的に、英仏を結ぶ「ユーロトンネル」社が破産したときは、利払い停止、銀行等の出資者の債権カットが整然と行われた。それなしには、真の再建はありえないからである[河宮信郎・青木秀和『公共政策の倫理学』丸善、2002、10章]。
なぜ、国鉄清算では通常の破産処理が行われなかったのか。通常の破産管財をすると、出資者である財投、その出資者である郵政に損失が出る。そうなると、財投による無責任投融資の制度自体が批判にさらされる。それよりも、利払いの継続・赤字の膨張を放置し、すべて財投で裏から補填するほうが「有利」と「官」は判断したのであろう。
「財政投融資」は「官から官へ」の債務移転を財投の矛盾隠蔽にまで容易にしたのがである。この国家金融システムが、無責任な「投融資」を続け、そこで生じた損失の膨張を温存し、その責任を回避することを可能にした。この官による浪費システムの資金源が、郵貯・簡保「年金」、つまり国民が政府を信用して預けた「貯蓄」であった。
この債務の「官から官」への債務移転(不良債権の純国有化)を財投システム全体に拡大したのが、じつは「財投改革」だった。「改革」を利用して財務省は、資金運用部が負っていた預託金債務を、そのまま国債・地方債にすり替えたのである。ここで政府は市中金融機関への財投債売却を進め、したたかに「民の資金」を財投システムに取り込んだ。しかし、政府財政が郵貯・簡保、年金基金を不可欠の基盤とする状況が続いているのはいうまでもない。
さらに、政府は新しく「官から官へ」の債務移転を行おうとしている。05 年10月に始まった道路4公団の「民営化」に当たり、東日本高速道路会社など5つの「株式会社」は、ほとんどの累積債務を免れる。わずかに引き継ぐ債務はサービスエリアなどの資産継承の見返りの部分だけである。そして、総額37.4兆円の「有利子負債」は、新設される「独立行政法人日本高速道路保有・債務返済機構」という「財投機関」に引き継がれることになっている。ここでも「赤字の国有化」が行われた。道路公団「民営化」というのは、小泉「構造改革」のもう一方の目玉であるが、国鉄「民営化」の寸分違わぬ焼き直しにすぎない。「破産機関の利払い継続」という異常な措置も国鉄清算のときと同じである。
もし、郵貯・簡保という「官」に張り付いた資金を、預金者という「民」に戻そうとするのなら、まず財投機関がきちんとした税収や収益を計上して郵貯・簡保に債務を返済する必要がある。それをせずに「民営化」するなら、現在の郵貯・簡保が政府に貸し付けた金融資産をすべて買い取ることが出来る、もう一つの、さらに巨大な郵貯・簡保を用意するしかない。
ところが、小泉政権は、郵貯・簡保を単純に「民営化」して、その縮小だけを図ろうというのである。郵貯・簡保は純減時代に入り、財政を下支えする能力を急速に失っている。
巨大な借金を抱えた「大きな政府」のままで、資金源の枯渇を加速させたら、財政上の資金繰りは瞬く間に行き詰まって財政崩壊に一気に向かってしまう。宰相が「ぶっ壊わす」のは自民党ではなく、わが国の財政なのである。
公明党を含む連立政権に全議席の2/3という絶対安定多数を得た小泉政権は、おそらく「郵政民営化」の動きを早めなければならなくなるはずである。しかし、それは早期の財政破綻を確実に招き寄せる。それをきっかけに現政権若しくはその後継政権は崩壊することになろう。