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(回答先: Re: テスト 投稿者 クエスチョン 日時 2005 年 9 月 05 日 21:55:31)
改憲シミュレーション選挙としての「郵政民営化国民投票」選挙
http://critic.exblog.jp/3429445#3429445_1
2週間ほど前に「9条の会は何をやっているのか」と訝しんだのだが、どうやら何もやっていなかった。自民党が憲法改正を堂々と政権公約に掲げ、そしてその自民党の圧勝が予想報道され、一市民であるわれわれでさえも焦燥感で息苦しく鬱懐する毎日が続いているのだが、護憲運動の御本家である「9条の会」のブログ(LD 仕様)は、選挙などどこ吹く風とでも言わんばかりの平静さと明鏡止水ぶりである。私には意味がよくわからない。全逓(JPU)の不可解な達観姿勢とよく似ているように見える。ブログは選挙に関する主張や議論は何もせず、切迫した危機感は微塵も見られない。トークショーを見てきた話とか、沖縄旅行へ行ってきた話を楽しそうに掲載している。トラックバックも全然入っていない。憲法改正がリアルな争点になっている総選挙が行われているとは思えない。嫌な感じがする。公選法絡みの問題で選挙の話題はわざと避けるように組織の上から指令されているのだろうか。
それとも「マガジン9条」はイージーでライトなカルチャーで演出しろという方針が上からあって、それに従ってそれっぽく中身を作っているのだろうか。「マガジン9条」ブログに感じるのは、一つはそういう(透けて見える)裏の政治的意図と組織の論理だが、もう一つはある種のエリート意識のようなものである。労働貴族という言葉があったけれど、言わば護憲貴族とも言うべき感覚。「マガジン9条」ブログに寄稿している者の態度は、何か自分たちは特別な人気雑誌の編集者で、そして雑誌をありがたがって読んでいる読者が全国に沢山いて、その読者のために記事を取材、編集して与えてやっているのだという意識が窺える。ディストリビューション型の情報発信が前提で、原理的に双方向のコミュニケーションのスパイラルは意識されていない。組織の宣伝機関紙をブログ・システムにスライドさせているだけだ。ブログ本来の「運動」に寄与するトラックバック機能の活用が重視されていない。
私は「マガジン9条」の編集者たちに考えて欲しいことが一つあって、それは、今回の小泉首相の「郵政民営化を問う」解散と総選挙を、「憲法改正を問う」解散と総選挙に置き換えてシミュレーション・テストしてもらいたいということだ。この演出政治の実験と成功は、必ず法則化されて次の選挙にも応用されてくる。憲法改正を国会で発議する前には、必ずこのような擬似国民投票スタイルの解散総選挙を仕掛けてくるだろう。そして解散を断行した(演技力抜群の)総理大臣が、その夜に、渾身の演説で選挙の意義を説き、テレビの前の視聴者に向かって「賛成か反対か国民に問いたい」と迫り、翌日の世論調査で首相支持の数字がハネ上がったとき、果たして皆様はその総選挙で憲法改正を阻止できますか。そのことを今から考えておいて欲しいのだ。と言うより、今、そういう想像ができなければ、その人間は相当に鈍感な政治音痴で、改憲阻止の政治運動にも何も役に立たないだろうと私は思う。 そして解散後のテレビ番組では、竹中平蔵のような早口のディベート屋が出てきて、民主党の菅直人に向かってこう切り出すはずだ。「菅さん、それじゃ聴きますが、民主党は憲法改正に賛成なんですか反対なんですか」。
当ブログはアクセスが多く、だから後の影響を考えると、ご本人には若干恐縮なのだが、こういう興味深いブログ記事を見つけた。「マガジン9条」のブログよりもこちらの方が人間的で、すなわち政治ロボット的印象がない。で、私は敢えて君に言いたいのだが、一人で静観するのではなく、「隗より始めよ」で自分から動くことをお考えなさい。自分から政治を動かすべく挑戦してごらんなさい。私たち国民は主権者であって、政治を動かすのは一人一人の国民なのだ。同じ疑問や不満は他の仲間たちも持っているかも知れない。それを確かめ合えばよいではないか。政治とは同意を調達することだ。共感を獲得することだ。そして合意を形成することだ。それが政治だ。だから政治は、まず一人が他の一人を説得するところから始まる。一対一から始まる。政治は一対一の説得と合意が基本で、常にその原点に還る。多数を組織し動員するためには、まず一人を説得するところから始めなければならない。政治に哲学が必要なのは、哲学がなければ一人を説得することができないからである。挑戦せよ。隗より政治を始めよ。哲学を勉強せよ。