現在地 HOME > テスト9 > 432.html ★阿修羅♪ |
|
http://foresight.exblog.jp/m2004-10-01/
Thinking quietly about people's righ
「国が燃える」連載中止に見える「醜い圧力」(By foresight1974)
集英社が発行していた漫画雑誌「ヤングジャンプ」に連載されていた、本宮ひろ志の漫画「国が燃える」が南京大虐殺に触れた描写に抗議が殺到し、休載に追い込まれた。
「国が燃える」は、連載が始まった当初から、1930年代から始まる日本の悪質な侵略行為についてかなりの文献を引用しながら描いており、右翼や保守論壇からいずれ批判される問題になるだろう、とは思っていた。だが、正直、私は集英社がここまで弱腰であるとは思っていなかった。それは意外であった。
しかし、南京大虐殺が「あったもの」(国際的には「あった」ということで決着しているが)として描いたことが気に入らないから、「許されない(連載中止せよ)」、という態度はいかがなものだろう。
私がその話を聞いて思ったのは、4年前に扶桑社が新しい歴史教科書を編纂していたときに、韓国政府や中国政府が教科書として検定合格しないように政治的な圧力をかけてきた問題と二重写しに見えた、ということだ。
右翼・保守論壇がなぜ南京大虐殺を批判できるか。それは皮肉にも「南京大虐殺があった」という主張に言論の自由が認められるからである。論理的に「ある」という主張が成立・あるいはその社会でその主張の自由を保障されなければ、当然それに対する批判は成立しえないからである。「ない」と信じている頭の固い御仁の逆鱗に触れたかどうかは知らないが、「ある」という主張を亡き者にしようというのは、自らを谷底に突き落とす愚行であることに自覚はないようである。
結局は、「好き嫌い感覚」で愛国ゴッコをやっているウヨたちが、特高よろしく自分と異なる見解の著作に圧力をかけたということだ。おもちゃ屋の前の駄々っ子のやることである。ウヨの醜い幼稚さ、しつけのなってないワガママが露になった事件であった。
「国が燃える」休載事件に関する事実経過と論点の確認(1)
さて、ここでこの事件に関する事実経過をもう1度確認しておきたい。
「国が燃える」は02年11月から連載が始まり、若き商工官僚・本多勇介の半生を通して、昭和期前半の日本を描いている。問題となった回は9月16日発売号と22日発売号で、旧日本軍が南京市民を大量虐殺したいわゆる「南京大虐殺」を取り上げている。
報道によると、集英社には抗議が1日20件入り、また、10月13日には、「集英社問題を考える地方議員の会」なるグループが「事の重要性を認識せず、問題の事実関係についての調査研究を怠り、大東亜戦争従軍の将兵、遺族さらには日本国及び国民の誇りに傷をつけ、辱めさせた行為は厳に慎むべき行為であり、フィクションと記載された「漫画」であっても許されない。」として、「平成16年10月12日までに誠意ある回答、対応及び面会を求める」旨抗議が行われた。(なお、抗議文の内容は「いぬぶし秀一の激辛活動日誌」http://www.enpitu.ne.jp/usr9/bin/day?id=98044&pg=20041004によった)
集英社はこれに対し、集英社は「描写の参考にした写真は『ねつ造された』との指摘もある。そういう資料を使ったのは不適切だった」としている。単行本化の際に訂正し経緯を説明するほか、同誌上で記事として経緯を説明することを回答している。
この経過をみるに、集英社側はすでにこの連載にあたり自らの非を認めて決着を図る意向のようである。
しかし、前回のブログで述べたように、「国が燃える」は当時の日本が行っていた侵略行為について非常に踏み込んだ描写をしており、いずれ遅かれ早かれ、このような事態が生じることは予想しえたであろう。集英社側からは報道発表以上の具体的な説明がないので、立ち入ったことは分からないが、見通しの甘さを指摘されても仕方がないのではないか。
そして、もっと問題なのは、この「集英社問題を考える地方議員の会」なる不思議な団体の動きである。前掲抗議文によれば単に面会・回答を求めているのみであったが、そうした手合いの対応は集英社側も日常茶飯事にしているはずである。前掲のいぬぶし氏の日記によれば、10月5日に有志議員5人と元特高隊員なる人物が同社を訪れて、広報担当者を相手に抗議を行っている。30分の抗議行動の中で大声で抗議文を読み上げるなどのパフォーマンスをしているが、特筆すべき動きはない。
これについて、「♪すいか泥棒 日曜版」作者氏が次のような見解を示している。
ttp://subakdoduk.exblog.jp/1179189
「 歴史問題をめぐって自称「被害国」やら在日朝鮮人やら国内の「進歩的文化人」やらが行ってきたのと同じような「議論は口数の多いほうが勝つ」というだけの一種の《言論の人海戦術》が,保守言論の底辺を支える大衆の間に根付いてしまう結果を招きはしないか.もしそうなってしまったら,遅かれ早かれ保守言論はお隣の国の金完燮バッシングと何ら変わりないレベルに自らを貶めてしまうことになる(もっとも金完燮氏の場合,《袋叩きにする側》に国がついているという点が決定的に違いますが).」
「国が燃える」休載事件に関する事実経過と論点の確認(2)
この事件の集英社の対応の意図について、いくつか推測出来る。
まず、集英社に対して、表面化している以外の圧力がかかっている可能性。一応、可能性としては考えられるが、現時点ではそのようなことを間接的にも推測させるようなことはない。
次に、集英社が「弱者を演じている」可能性。つまり、自分達が不当な圧力を受けて屈した被害者を演じることで、世間の同情と批判の矛先を圧力をかけてきた側に向けさせることであるが、そうだとしても、本宮の漫画の訂正は避けられないことになる。そのような「工作」を本宮が受け入れるとは考えにくい。
最後に、これが最も考えられると思っているが、本宮自身が自ら「間違っている」と抗議を受け入れた可能性である。自分が知る限り、本宮がこうした微妙な問題について、極端にどちらかのポジションを取った、というような話を聞いたことが無い。いたってニュートラルな立場だったはずである。今回問題となっている「国が燃える」についても、内容を見る限りどちらかに偏ったというより、単に「悪いことは悪い」というポジションだと思われる。
そういう意味では、多分な推測をご容赦いただくとして、おそらく事件自体は意外に早々に決着するのではないか、と考えている。
ただ、それにしても釈然としない思いは残るのである。それは、「集英社問題を考える地方議員の会」なる団体の行動である。
彼らが今回の事件で果たした役割は、前のブログでご紹介した「いぬぶし秀一の激辛活動日誌」に詳しいが、彼らが社会的影響力、政治的影響力がある地方議員という立場でなかったら、わざわざ奥に通され、広報担当者と面会できるはずもなかったはずである。
もちろん、彼らが違法性のある脅迫行為、強要行為に及んだわけではない。だが、そうした立場で働きかけや要請、抗議といった活動を行うことがどういう意味を持っているか、自覚しているように思えない。当団体の代表であるいぬぶし日記には、「拉致問題もマスコミに登場するまで黙々と訴えていたのは、地方議員だった。国会議員さん!日本の誇りを取り戻すため頑張ってよ!」とまあ、むしろ意気上がる勢いですらある。
「国が燃える」休載事件に関する事実経過と論点の確認(追加)
さて、前回のブログ掲載の後も、この問題を調べているが、新たに分かったことがあるので、追加したい。
前回のブログコメントで oneearth氏が指摘していたが、問題の部分に関し抗議を行ったのは、「集英社問題を考える地方議員の会」だけではなかったようである。
まず、国粋主義的な姿勢でしられるCS放送「チャンネル桜」はこの連載を積極的に取り上げ、問題の部分を激しく非難していた。
また、未確認の情報であるがどうも集英社側が訂正と謝罪を明らかにしたのは、右翼系新聞社「国民新聞」の記者西村修平氏が同社を訪問した際だったようである。「国民新聞」は、民族系右翼の暴力組織とのつながりも取り沙汰されるブラックジャーナリズムである。
おそらく、これらの保守系・右翼系圧力団体の行動は一体の、連動した動きではない。歴史認識のような問題は、彼らにとっての存在意義、アイデンティティに関わる問題であると同時に、彼らの商売にとっての「書き入れ時」でもある。
本宮の漫画に対応して一斉に押しかけたため、対応する集英社側もかなりやっかないなことだったのではないか。本人達は合法だと考えているだろうが、こうした連中が入れ替わり立ち替わりやってきたら、ほとんど営業妨害と同然の状態だった可能性もある。
ただし、これらの状況の検討の多くは仮定に基づくものであり、真実そうであった可能性も、そうでなかった可能性もある。現時点で集英社側のしっかりした発表がない以上、かなりの憶測の余地が入り込むことになる。