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(回答先: Re: ててすとん4 投稿者 エイドリアン 日時 2005 年 6 月 10 日 14:51:19)
地上戦で多くの住民が犠牲になった糸満市喜屋武の集落では、石垣や土台だけが 当時のまま残った「空き屋敷」が多い。「5月ウマチー(豊作祈願祭)」の21日 (旧暦5月15日)、屋敷跡で祈りをささげる親族の上地チヨさん(右端)ら |
あす23日、沖縄は60回目の「慰霊の日」を迎える。
式典が行われる平和祈念公園にほど近い、糸満市喜屋武(きゃん)。ひめゆりの塔などの南部戦跡を巡る観光客のざわめきをよそに、ひっそりと、往時を伝え続ける戦跡がある。
集落のあちこちに、珊瑚でできた、琉球石灰岩を積んだ石垣が残る。「空き屋敷」とよばれる住居跡だ。戦時中の一家全滅や、戦後の県外転居などで、継ぐ人もなく、荒れ果てた姿で残されている。
戦争中、旧喜屋武村・山城の住民が避難していた自然壕「マヤーガマ」 |
戦争中、旧喜屋武村・山城の住民が 避難していた自然壕「マヤーガマ」 未だに多くの遺品が残されており、 学生らが平和学習のために訪れている (糸満市で) |
「空き屋敷」が点在する旧喜屋武村・山城地区に、住民のほとんどが避難した「ガマ」とよばれる自然の洞窟がある。そこには、今でも多数の遺品が残り、昨年から平和学習の場として使われ始めた。
ぽつぽつと水滴がしたたる中、学生たちが目をつぶって「暗闇のおそろしさ」を体験している。多くの島民が自決を余儀なくされた悲劇の洞窟は、なお数百から1000以上が沖縄に残っている。
1945年、民間人を巻き込んでの沖縄戦は、島民の4人に1人が亡くなり、最悪の地上戦となった。
一家全滅した1063世帯(沖縄県遺族連合会調べ)、2000柱は、平和祈念公園の奥にある「しづたま(鎮魂)の碑」に祭られている。
カメラとペン・大久保忠司(2005/6/22)