現在地 HOME > テスト9 > 207.html ★阿修羅♪ |
|
最近、ホロコーストをめぐる“論争”が戦争板(など)で一見「激しく」展開されております。
小生は怠惰で不勉強な一読者ですが、強い異和感と退屈を感じているところです。この件に関して自分なりに考えたことを発言させていただきたく思います。
思うに、“十把一からげ”で相手なり対象なりを裁断してしまう論調を多数の論者が採用しておりますが、小生が感じる異和感と退屈の源泉はそこにあります。
例えば、ホロコースト「否定派」と「肯定派」とか、「あった派」と「なかった派」とかという形で、複数の論者を一緒くたに論断する投稿が続発しております。
しかしながら、それは、いかにも荒っぽすぎるし、単なる揚げ足取りに限りなく近く見えます。
何故ならば、「あった派」と「なかった派」の両陣営(※注1)とも、実際には、個々の論者の主張ないし持論には明らかな違いがあるからです。
小生に言わせれば、正に噴飯物の主張のみを繰り返す論者が、双方の陣営に存在しています。同時に、概ね説得力のある主張をされてきた論者も、双方の陣営に存在しています。従いまして、相手陣営の前者の主張の不備を理由にして、後者を含む相手陣営の全論者の全主張の説得力を断定的に否定するような投稿は無意味です。そして、そのような無意味な投稿が両陣営から次々に繰り出されてくるから、退屈なのです。
また、小生に言わせれば、各論者とも、主張・発言ないし投稿の内容にはブレがあります。以前から概ね説得力のある投稿をされてきた論者が、一時的ないし断続的に噴飯物の発言をされる場合があります(ありました)が、そのことをもって直ちにその論者の全主張の説得力が断定的に否定されることにはならないと考えます。
※注1
「あった派」と「なかった派」の両陣営・・・という言い回しを使いましたが、双方の論者とも、相手陣営に対しては前記の無意味で退屈な投稿を多々繰り出しておりますが、反面、自陣営の全論者の全発言に責任を持つという姿勢は皆無です(※そもそもそんなことはできるはずはないと思われますが)。
この点においても、各論者に対する「あった派」「なかった派」というような括り方は無意味かつ不毛であると思います。
別の言い方をするならば、あくまでも相手陣営を“十把一からげ”的に論難することに固執する論者は、自陣営の全論者の全発言に責任を持っていただく必要があると考えます。何故ならば、そうでないと首尾一貫性に欠けるからです。
小生に言わせれば、各論者の主張ないし持論には違いがありますので、本来ならば、相手陣営のみならず自陣営の各論者について、「○○さんのこの部分は賛同できるがこの部分は賛同できない」「何故なら〜〜だからである」といった議論になって然るべきです。何故ならば、そのほうが論点がわかりやすくなり、整理が容易になると思われるからです。
にもかかわらず、そうならずに、あたかも自陣営内では野合してもっぱら相手陣営叩きに精を出す方々には、強い異和感を覚えます。何故なら、少なくとも結果として、論点を整理しにくくしているからです。相手陣営に対する断定調の決め付け・レッテル張りは、繰り返されるほどに退屈になるだけです。
※結論
小生は怠惰で不勉強な一読者ですので、“論争”に切り込んでいくつもりはありませんが、もしも切り込んだとしたら、おそらく両陣営の大半の論者の方々に対して文句を付けさせていただくことになると思います。小生はおそらく、どちらの陣営にも収まることはありません。
従来から、阿修羅掲示板は玉石混淆と言われておりました。
論者各位には、僭越ながら、吟味に値する目の覚めるような投稿を期待させていただきます。
なお、小生の正体につきましては、初投稿(http://www.asyura2.com/0311/senkyo1/msg/427.html)をご覧下さい。