XXXの寺社
守谷市内には17の神社が存在するが、古い時代の頃から室町時代にかけて創建された神社は8社で、残りは江戸時代以降に建てられたものである。平安時代以前に創建された神社はなく、また、延喜式式内社もない。
更にこれを分類すると、大同年間の創建といわれるものが2社(浅間神社、八坂神社)、将門の創建といわれるものが2社(愛宕神社、妙見八幡宮)、室町時代に相馬氏によって建てられたものが2社(香取神社、大山新田香取神社、保食神社)、そして江戸時代になって9社が創建されている。
守谷地方では、古くは推古天皇によって創建されたと伝えられる大円寺があるが、はっきりした資料はない。平安時代に創建されたと言われる5寺院は、すべて将門が勧請したもので、これによっても、守谷と将門との深いつながりを知ることができる。将門は守谷を信仰の場として、これらの寺院を建立したものであろう。
これらの寺院のうち6社は天台宗で、そのうち2社は後に他宗に変わったものもある。将門は天台宗を信仰したようで当時の守谷の祖先の大半も、天台宗に属していたものと見られる。(守谷町史より)
MAP中の寺社名をクリックすると詳細画面にLINKされています お不動さんとは?
近隣では伊奈町の板橋不動が有名ですね(県指定文化財)。茨城大学名誉教授の田中義恭氏は茨城県から依頼され、県内の仏像文化財の調査、鑑定等指導されています。田中教授に不動明王について解説していただきました。
民衆に溶け込んだ如来の変身−不動明王
明王の「明」は明呪のこと、真実の世界をもたらす意で「真言」とも言う。また、人間(衆生)の迷いを打破するとの意味がある。
明呪を保持するものを持明者といい、明王はその代表である。密教特有の尊像で、如来の命を受けて一切の魔障、即ち反仏教的衆生を調伏する役割を持つ如来の使者、或いは変身であるとされる。
菩薩と同様な衣装を纏うが、忿怒形とし、様々な武器を持ち、激しく燃える火焔に包まれる。多面多臂像(顔や手が多数ついている像)も多く、蛇や髑髏などで身を飾り、異様で恐ろしげな姿に表わされる。
明王には不動明王以下の五大明王、不浄な汚れを焼き払う烏枢沙摩明王、荒野の野生を象徴する大元帥明王、愛欲の象徴とされる愛染明王などがあり、インドで最も早く成立した孔雀明王のみは、他の明王と異なって孔雀に乗った菩薩の形に表わされる。
明王像は平安時代の初めに空海(弘法大師)や最澄(伝教大師)など真言、天台宗の僧侶によって密教とともにわが国へもたらされ、京都教王護国寺講堂の五大明王像や同御影堂の不動明坐像が最も古い作例である。
不動明王像−−−明王の中で不動明王は「お不動さん」の愛称で我々に親しまれ、縁日、初詣、節分などを思い出す人も多い。最近では自動車の交通安全の祈祷でもお馴染みになっている。多くの明王の中でこの明王が画像、彫像ともに作例が圧倒的に多く、護摩や祈祷の本尊として上下を問わず、信仰を集めている。
青黒色の肥満した童子形の身体の一面二臂像で、右手に剣、左手に羂索を持ち、火焔の光背を負って磐石(瑟瑟)座上に坐る。頭頂に莎髻(莎草で結った髻)または蓮華形を載せ、頭髪を束ねて左肩へ垂らし(辮髪)、左眼を細めて天地眼(古い時代には両眼を見開く)とし、下歯で上唇を噛み、左上と右下の牙を出し、眉をしかめ、額に皺をつくる忿怒の形相とするのが一般的で、平安中頃に「不動十九觀」が説かれ、それに記載されている形が平安後期以降の不動明王像の一曲型となり、多くの名作が画像や彫像で制作された。
不動明王の信仰−−−不動信仰は最初貴族の間で流行した。「源氏物語」や「枕草子」にもその尊名が記載されており、「今昔物語」、「宇治拾遺物語」には不動明王に関する説話が語られている。中世には武士階級にも好まれ、近世には農民や町民の信仰にまで広がり、能楽や歌舞伎にまで登場する。
地域的には、京都から関西一帯に、更に僧侶や修験者の布教活動によって東国や九州へと延びていった。ことに関東地方では、成田山新勝寺(千葉)の成田不動が著名で、元禄(1700年頃)以降は不動尊といえば成田不動をいうまでになり、成田詣では2泊3日の庶民のレクリエーションともなった。
歌舞伎の初代団十郎の屋号「成田屋」は信仰の厚かった成田不動に由来するという。特に江戸では、その護りとして造立された目黒・目白・目黄・目赤・目青不動が著名で、前二者は今でも地名として残り、深川(現在の江東区)には成田山の別院まで建立され、江戸の庶民が参詣した。
八大童子−−−不動明王の眷属(従者)には三十六童子、四十八使者があるといわれているが、一般には衿羯羅、制多迦の二童子に恵光、恵喜、烏倶婆?(うくばか)、清浄比丘、阿褥達、指徳の八大童子が知られており、このうち衿羯羅、制多迦の二童子が代表して左右に配して三尊とすることが多い。
五大明王−−−不動明王は如来の教えを実行する姿、即ち、密教の最高仏大日如来の教令輪身である大日如来を囲む金剛界曼荼羅中に、四仏にもそれぞれ教令輪身としての明王があてられる。
不動明王に加えて降三世明王(阿閃如来)、軍茶利明王(宝生如来)、大威徳明王(阿弥陀如来)、金剛夜叉明王(不空成就如来)の五尊の明王を五大明王という。平安時代には宮中などの修法の本尊として、画像、彫像が盛んに制作された。不動明王以外は多面多臂で、多足、多眼の像も含まれ、極めて異形な姿に表わされる。
愛染明王−−−愛欲煩悩を表す赤色で全身を染め、三目一面六臂の忿怒形に造られるのが一般的である。平安時代には息災延命の霊験にすぐれているとされて信仰を集めたが、中世以降は男女の縁結びの信仰、近世になると恋愛の本尊へと進展し、庶民の愛染参りが盛んとなり、遊女の守護神ともなった。
(茨城大学名誉教授 田中義恭)